サイコプラズム

安室 作

サイコプラズム




 この病院で本当にあった話をするよ。

 昔、肺炎っていう病気にかかった子が入院したんだ。先生がお薬で治そうとしたんだけど、死んじゃった。体育が得意なすごく元気な子で、お母さんに「はやく校庭や体育館でボール遊びしたい」「病院はつまんない」「友だちと遊びたい」って呟いてたんだって。

 お母さんは泣くのを我慢しながら、真剣にさいごまで聞いてた。そして。











 子どもの頃『なんとかプラズマ』って病気で入院していた。

 もともと小児ぜんそく持ちで、それで通算三度目の入院だった。


 自分で言うのもおかしいんだが当時は大したクソガキで、やれ注射は打つなと看護婦さんを困らせたり、塩分が恋しくてポテチをこっそり食べてたり、初めての入院の時は、退院前日に部屋友だちと一緒にベッドをぜんぶ繋げて風船バレーをして、退院が数日伸びたこともある。


 想像よりも入院生活は楽しかった。

 学校とは違う友だちと、携帯ゲームを交換して遊び、子ども用のパーツの大きなプラモデルとかみんなで作った……そんな思い出ばかりだ。

 漫画もたくさんあったしな。

 運動が出来なかったのは嫌だったが学校の勉強からは解放されていたので、まあチャラだと思ってたよ。


 夏の時には消灯時間に怖い話をした。

 それぞれの学校から持ち寄った話も怖くて面白かったが、印象に残ってるのは入院歴が長いお兄さんがしてくれた『この病院にまつわる話』だった。

 なにしろ自分たちが生活して寝泊りしている場所だから、イメージしやすくて話がするすると入る。この病院であった、って前置きがあるから余計怖くてさ。


 エレベーターが地下一階から止まらずに屋上までいくとき、病院で亡くなった人の魂が天国に運ばれる。逆だと地獄行き。とか。

 深夜二階の長廊下に車いすの動く音が聞こえて、見つかると車いすに乗った骸骨がどこまでも追いかけてくる。とか。

 肺炎で死んだ息子がさみしくないように、連れていける子どもを探している看護婦さん。とかだ。


 今から話すのは、一番最後に言った看護婦さんに関わる話だ。

 といっても当時の記憶から『今思えば』って部分も多いし憶測もある。

 子どもの思い込みってのはすごいからな。


 そうだ。

 この話を終わりまでした時、聞かせてくれ。

 ただの思い込みか? それとも実は……ってさ。




 *  *




 入院生活でどうしても慣れないものがあった。

 採血と、点滴台を引いて歩くのと、ある看護婦さんの態度だ。


 よくベッドに来てくれて「なんのゲームやってるの?」とか「プラモデル完成まであと少しだね!」とか他愛ない話をするんだけど、必要以上に聞きたがって遊びたい自分には少ししつこく感じていた。


 仕事の合間を作るのが上手かったのかな?

 でも他の入院友だちには、そこまで時間を割かない。自分だけ。

 食事を持って来るとき、体温を計るとき、ついでに話すくらいならなって思ってた。患者と親身になり過ぎる性格ってのとも違う。


 当時同じ病室の年上のお兄さんお姉さんに聞いたら、

 元気過ぎて危なっかしいし、つい心配で声をかけるんじゃない?

 みたいなことを言ってた。

 もっと小さい女の方がおしゃべり好きだし、そっちに行けばいいのに。

 とか考えてたっけ。




 ある夜。

 いつものことで、決まった時間。

 その看護婦さんが点滴のチューブの継ぎ目から、薬を注射した。


 って言って通じるかい? 

 点滴のコネクタ部分から、血を抜いたり投薬が出来るT字型の箇所だ。

 針は使わないし、どっちかって言えば注入なんだけど。


 点滴とは少しだけ勢いや温度が違って、

 ひんやりとした冷たさが血管を巡っていくのが分かる。

 その時。

 普段とは違う、少し痺れるような違和感があった。


 不思議に思って、看護婦さんを見た。

 優しい目が細くなって、安心させるように笑ったんだ。


 しみるよ! って文句を言おうとしたけど、「おやすみなさい」っていつものように布団をかけて言われたから自分も同じ言葉を返して、すぐに眠った。


 深夜の時間だったと思う。

 ……手と腰が濡れた感じで気がつく。

 おねしょなんて年じゃないが、まず考えたのはそれだった。

 実際、布団をはねて手で確かめてみたらシーツはびしょびしょになっていた。

 でもすぐに違うと分かる。


 白いシーツが、真っ赤に染まっていた。


 声を出そうとしたが、力が抜ける。

 ……血が足りなかったのかもな。

 頭も身体も痺れるようにだるかった。

 点滴のコネクタが外れていて、そこから血がゆっくりと流れてるのが分かった。

 震える手で、ナースボタンを押し込む。


 すぐにあの看護婦さんが来てくれて、コネクタを繋いだ。

 事情を聴きながら、血圧計を巻いて測り、安心する言葉をかけてくれた。


 夜間の薄明りでも看護婦さんが涙を溜めているのが分かった。

 看護婦さんは「少しでも眠った方がいいよ」と言っていたが、

 気分が落ち着かず、疲れやだるさがあったけど、そのまま朝になった。


 血まみれのシーツはいつの間にか変わっていた。

 いつ変わったのかは覚えていない。

 夜トイレに行ったときに変わったのかもしれない。


 チューブの継ぎ目は、ストッパーと輪ゴムみたいなのが付いていて

 暴れても取れそうにない。どうして外れてしまったんだろう?

 寝相はどちらかというと悪い方だが、布団は乱れていなかったし。たまたま目が覚めたから良いようなものの、死んでいたかもしれないと思うとゾッとした。


 けど次の日、医者は何も言わなかった。看護婦さんも同じ。

 親にも説明している様子もない。

 どうしてかと胸に引っかかっていたが、携帯ゲームや友だちと遊んでるうち、気にしなくなった。だるさも回復してたしな。


 ……実際は、点滴の液と自分の血がちょっぴり混ざって、

 とんでもない出血だと思っただけかもしれない。

 看護婦さんも血圧を測ってたが大丈夫だと言っていたし、

 子どもの大げさ、と言えばそれまでの話だ。


 順調に病気も完治し、予定日に無事退院した。

 幸いなことに小学校中学校と身体が大きくなるにつれ、

 入院するような病気やケガもしなくなった。

 ぜんそくの薬は定期的に貰いに行っていたが。




 *  *




 高校生になって間もなく、ガキの頃に起きたこともすっかり忘れ、その日も薬を受け取りに行った時。

 いつもより待合室がザワザワしているのに気付いて、通院馴染みの知っている人に聞いてみた。その内の一人の話では「昨日だかおとといの夜、小児科病棟で事故があったらしい」と言っていたので、久しぶりに顔を出してみようと思った。


 小学生の時はたまに遊びに行ったこともある。

 今日みたいな薬を貰った帰りとかに。

 まあそれも知ってる友だちがいた頃の話だ。

 みんな退院していなくなってからは、ずっと来てない。


 二階の車いすにのった骸骨が出る長廊下を渡り、

 天国と地獄行きのエレベーター横の階段を降りる。


 小児科病棟は一階と地下にあるが、

 無意識のうちに下へ下へと足が動いた。


 地下はほとんど変わっていなかった。

 ホールにはTVや本棚、オセロやボードゲーム。

 壁紙のキャラクターが新しくなった程度。

 暗くはない。壁は明るい色だし電気も付いている。地下とは言っても部屋や廊下の一部は外の陽光を取り入れているから明るいはずなのに、どんよりと静まり返っている。


 ……そういえば子どもの声がしないな。

 朝食の時間は過ぎているから、ホールで本を読む子や、ボードゲームをする子達がうじゃうじゃいてもおかしくないのに。


 ホールから直接行ける右奥の病室。

 その一番手前のベッドを見る。

 シーツや布団に、少しの乱れもない。


 花束と、いかにも子どもが好きそうなお菓子がたくさん置いてあった。

 こんなに持ってきたら怒られるし、食べても怒られる。

 ……つまり、このお菓子を貰った子は、もう食べることが出来ないのだろう。

 何年か前に自分のいた部屋の、同じ場所。


 たまたまか?

 それとも見えない意志や巡り合わせ……

 理解し難い何かが、ここにはあるんだろうか。


 おぼつかない足取りで、ホールに戻る。

 入院している子どもが何人か確認できた。

 本棚に目を移している時、話し声がした。

 静かだから、より鮮明に聞こえる。


「……本当に信じられません」

「チューブが……」


 ナースステーションには簡単な仕切りだけでドアが無い。

 お互いの姿が見えて、声が届く方が都合がいいらしい。

 誰かに説明をしているようだった。

 懐かしい雰囲気が蘇る。あの時と変わらない。

 ルームで遊んでいた自分たちを見守っていた声だ。

 さらに耳を傾けた。


「偶然……事故……」

「泣かないの。よく話してたし、あの子もベッタリだったけど。だからこそしっかりしなさい」

「でも……昨日はベッドを繋げて、跳ねまわってたくらい元気だったのに!」


 その声と。

 その泣き顔を一瞬だけ見て。


 ホールを横切り、階段を駆け上り、家まで転がるように夢中で走った。

 心臓が落ち着くことは無かったし、その日は一睡も出来なかった。

 診察や薬を受け取る病院も変えた。

 あれから一度も行っていないし、近づくこともしてない。


 なぜかって?




 俺がクソガキだった頃。あの夜に暗がりで見た……

 看護婦の泣き顔の方がずっと悲しそうだったからだよ。












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