不可能の花
翌日、サラとモウグリは山の中に籠っての捜索が始まった。
赤紫の花弁をつけたランド・ロゼ。カルラーク西部に分布する花である。
見た目こそ不気味ではあるが、その花から漂う香りは心を落ち着かせ、一部層ではアロマの調合素材として重宝されているとか。
また、マナに大きく干渉する花でもあるため、魔法使いの間では薬としても扱われていたらしい。
『花なんぞどれも同じであろう』
「そうでもないんだよ。リューは大雑把というか、適当だよね」
「ん? なんか言ったか?」
モウグリには聞こえないよう小声で返したつもりだったが聞こえてしまったらしい。
なんでもないとサラははぐらかし、話を逸らした。
「花屋で一度だけ現物を見たことがあるけれど、いい香りだったね」
「そうそう。あれは故郷を思い出す匂いっていうか。昔はよく裏山で採れたんだけど、最近は数も減ってるみたいでよぉ」
中腰で草木を掻き分けながら、サラたちは他愛のない話を続けた。
その最中で思う。このモウグリという男は、やはり根は悪い人間ではないのかもしれない、と。
昨日の人を殺した話をしていた時の顔つきとはまるで違う、田舎の農夫とでも話しているかのような空気感だった。
だからこそ疑問は募る。彼は何故魔法使いを殺したのか――
「聞いてもいいかな? その女の子のこと」
「おっさんの恋話なんて面白くないぞ?」
「私はそういう好きがわからないから、参考までに聞きたいな」
そうサラが微笑みかけると、モウグリは困ったように頭を掻く。
やがて照れくさそうに天を仰ぎ、ぽつりぽつりと答える。
「そいつは隣の家で、一つ年下の妹みたいなもんだった。同年代もそれほど多くなかったから自然と二人で遊ぶこともあった。人懐っこい奴でさ、一緒に裏山に行ってランド・ロゼを探して歩き回って、大人に怒られたりもしたっけ。……んで、気づいたらとんでもねぇ美人になってた。きっかけなんてそんなもんだよ」
そういうものか、とサラは腑に落ちないながらも頷く。
生まれたときから近しい関係にいれば、自然と意識するもの……なのか?
サラには異性どころか、同年代との交流が乏しい。いずれそういう感情も湧いてくるのか。
『お前にはまだ早いな』
大雑把を通り越して失礼ときた。どうしてしまおうかこの使い魔、と心の中で悪態を吐く。
しかし、彼にとってその女性はよほど大事な存在だったのだろう。
久しぶりに帰る故郷に、荷物からして大した土産は持っていなそうだ。それなのに、彼女への土産だけはなんとか探そうとしている。
すぐに同情してしまうのは悪癖だとサラ自身も理解している。
ただ、その想いは報われるべきだと思う。
さりげなく彼から距離を取り、背の高い草の中に身を隠す。
「ひっそり練習してきた成果、試してみようか」
サラが練習していた魔法。それはマギウスクラフトとは似ていても本質は違う。
頭の中にある物体を投影して現実のものとする。いわば《階位魔法》の初級に通ずるもの。
かつてこの魔法を駆使し、泉の中に断絶された自分の世界を造っている魔法使いがいた。
彼を見て着想を得て、自分にもできないかと密かに型を作っていた。
地面を軽く撫で、ゆっくりと目を瞑って想像する。
暗がりに咲く赤紫の花。その形を、匂いを明確に思い起こす。
「私は理に触れる者。光ある生命に雫を注ぐ者。声あるものは囁け。足あるものは立て。静かなるものはただ風に揺れ、私の声を聞け」
まだ粗のある詠唱かもしれないが、これで発現させるには十分だった。
掻き分けられた地面から一本の緑が顔を出し、弱々しいマナを帯びて成長する。
それから
「よし。できた」
申し訳ないが、生まれたばかりのランド・ロゼを手に取る。
形も匂いもサラの想像のままに生まれた。練習よりも遥かにいい出来に、サラは喜びを隠しきれない。
溢れ出る笑顔のまま、サラはモウグリの下まで向かう。
「見ておじさん。背の高い草の中に、一本だけ生えてたよ」
「ああ……本当だな」
これで彼も笑顔になってくれる。そう信じて彼の前にランド・ロゼを差し出した。
彼は間の抜けた返事をし、薄く笑った――ように見えた。
が、サラに差し出されたのは手でも笑顔でもない。
拳銃を抜き、真っ直ぐにサラへと向けていた。予想外の行動にサラは固まってしまう。
魔法を見られた? まさか、ちゃんと距離は取って身も隠した。声だって潜めていたのに。
その疑問はモウグリがすぐに解決してくれた。
「俺は三年間、この山でランド・ロゼを探し続けた。それでも、一本どころか散った花びら一つ見つけられなかった。ここには咲いていないんだと知ってる。お前はどうやって……いや、何者だ?」
冷たく、凍り付くような低い声色と瞳にサラは理解した。
そもそも何故彼はあの山道で倒れていたのか。あの少ない荷物で中央から西部のこの地まで来れるはずもない。
ある程度察しはつくはずだった。リューに再三言われていたのに、結局サラは油断していた。
人間を信じる気持ちが裏目に出てしまった。取り返しのつかない後悔を前に、サラは――
「私はただ、おじさんを喜ばせたかっただけなんだ。余計なことをして、ごめん」
謝罪の言葉とともにサラの髪は黒から眩い銀へ。瞳は藍色から赤へと移ろう。
変わりゆく瞬間を見て、モウグリはわずかに眉を吊り上げる。
「は、はは。マジかよ……本当にまだ魔法使いがいんのかよ」
「私を殺す?」
「決まってんだろ。遊んで暮らせるほどの金だ。殺すに、決まって……」
カチャカチャと、モウグリの持つ拳銃が音を立てている。
彼がようやく自分の手が震えていることに気づき、反対の手で抑えつけるが収まる気配がない。
脅していたのは間違いなく彼だった。しかしその表情、そして手を見てサラの持っていた違和感は確信へと昇華した。
「ねえ、聞いてもいい?」
「うるせえ! これから死ぬ奴が口を開くな!」
「おじさん、本当に人を殺したことがあるの?」
純粋に、心の奥に語りかけるように。
揺れる彼の瞳を真っ直ぐに見つめて言った。
モウグリは……答えない。唇は震え、顔色はみるみる青白くなる一方。
やがて握っていた拳銃を落とし、膝を地面に落とす。
「お前の、いうとおりだ。俺は……人を殺したことなんてない。いや、殺せないんだ。いつもこうやって怖気づいて、しくじっちまう」
「じゃあ、魔法使いを殺したっていうのは?」
「それはさっき話しただろ。その花が好きな女、それが魔法使いであり俺の惚れた女だった」
サラは沈黙を貫く。正直なところ、なんと返せばいいのか迷っていた。
さっきから彼のいうことは整合性がなく、話の全容が掴めない。彼が話すまでサラは待つ。
モウグリは放心しながらも、だんだん小さくなっていく声で続ける。
「俺は、あいつの……マリーのすべてが好きだった。素直なところも、顔も声も、なにより彼女の魔法は綺麗だった。彼女はすごいんだぞって、村の連中に自慢して回ったくらいだ。魔女狩りが始まっているとも知らずにな」
魔女狩りが始まったのはおよそ100年前。
海を越えたリスタルシア帝国から始まり、それはやがてカルラーク大陸に。そしてこの西部大陸にもゆっくりと伝わったのだろう。
そのときには既に理由も何も薄れ「魔法使いを殺せ」という趣旨しか伝わっていなかった。
「ある日、中央から衛兵が来た。魔法使いを探していた。けど俺は、まさか殺しに来ただなんて、思いもしなかったんだ。いつものようにマリーの名前を口にしたら、もう遅かった」
「じゃあ、やっぱりおじさんは殺してなんか――」
「違う! 俺が殺したも同然なんだ!」
声を荒げ、近寄ろうとするサラを遠ざける。
顔を上げたモウグリは笑っていた。しかし同時に、涙も流していた。
「村の連中も、俺は悪くないと言ってくれた。それでも彼女が焼かれていく姿が頭から離れない。だから……俺は人殺しになろうとした。中央に行って、魔法使いを殺した腕利きだって嘘を吐いて自分に言い聞かせた。そうすれば、少しは気が紛れると思ったんだよ。なのに、どうやったって俺は弱いままだった」
彼の苦悩が、後悔が波となってサラに押し寄せてくる。
それに似た感情を知っている。自分がこうしていれば助かったかもしれない。変えることのできない過去にしがみつこうとする、息苦しさ。
割り切るべきだ。過去は変えられない。正論はいくつも出てくるが、彼にかける正しい言葉だとは思わない。
仮にそれが正しいのだとしたら、サラはこんなにも同情をしない。
「……君は間違ってないよ。絶対間違ってない」
「どうして、そう言い切れる?」
「君が後悔しているからだよ。たとえ死んでしまっても君が覚えていてくれる。たとえ後悔という形でも、忘れないでいてくれるのは死者にとって何よりも幸福だと、私は思う」
嗚咽交じりだったモウグリの声は止み、静かに額を地面につける。強く拳を握りしめたまま、言う。
「マリーは、許してくれるか」
「わからない。私はその人を知らないから」
「……ははっ。それもそうだな」
乾いた笑いを浮かべ、モウグリは立ち上がった。
袖で目尻を拭い、サラの前に立つ。
「その花、もらってもいいか」
「いいよ。ちゃんと話してあげてね」
持っていた一本のランド・ロゼを手渡すと、彼は祈るように両手でしっかりと持ち、その場で動かなかった。
「じゃあ、私は行くから」
役目は終わったと、サラはカバンを背負って踵を返す。
遠ざかろうとする背中にモウグリは声を飛ばした。
「……ありがとな、魔法使い。君の旅路に幸運があるよう祈るよ」
「こちらこそ。またどこかで」
振り返らず、サラは木に囲まれた獣道を抜けて元居た山道へと戻る。
『いいのか。奴はお前の正体を知ったぞ』
「大丈夫。私の勘は当たったみたいだからね」
歩いてきた獣道を眺め、サラは長く続く道を歩んでいった。
銀の魔法と赤の世界 永ノ月 @nagano2_crown
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