第43話





 いつの間にか、戦車の砲撃は止まっていた。

『直樹』は戦車の頭部が隠されていると考えられる場所に立ち止まる。

 そして、地面に向かって声をかけた。


「久しぶりね」


『直樹』の戦車への第一声は親しささえ感じられるものであった。


「ねぇ、アナタ、見えてるんでしょう? 私の目」


 そういって『直樹』は無造作に散らかっていた髪をかき上げる。

 そして、昏く蒼い眼を見開く。


「こんななりだけど……私よ」


 そう言って目を細めて柔らかく微笑む。しかし、次の瞬間、ゾッと底冷えするようなほど威圧的に雰囲気を変えた。


「で、どうする? 死ぬ? それとも退く?」


 余裕を崩さずに、『直樹』はまくしたてる。

 言葉と同時に『直樹』は、再び槍状となっていたコウを自身の首に突きつけた。

 それは問いかけか、パフォーマンスか。一体どんな意味を託していたのだろうか。

 対して、戦車の『直樹』への返答は即座に行われた。

 一斉に、砲身が『直樹』を向く。いつでも放てるぞと明確に砲身を突きつけてくる。


「そう……私を殺すのね。……もう、決めたのね」


 そう溢して、『直樹』は一瞬悲しげな表情を取る。

 だが、一瞬の後、今度は表情を無にして口を開いた。


「いつでも、壊せるわ。大事なんでしょう?」


『直樹』は戦車に見えるように手首を赤く光らせる。

 直後、戦車の腹の方から小さな、小さな音がした。

 爆発音がした。

 それを受けて戦車の行動はピタリと止まる。まるで『直樹』に急所へピストルを押し付けられたかのように。まるで『直樹』に続きを促すかのように。

 黙りこくった戦車を見て、『直樹』は自身の要求を口にした。


「手を引きなさい。そうすれば私も大人しくするわ」


 要求は戦車が手を引くこと。

 対価は『直樹』の《荷物》への爆破を取りやめること。

『直樹』の言葉が終わった後、すぐさま、戦車は『直樹』に向けていた砲身を全て別の方向へ向けた。

 要求を受け入れた、そんなメッセージであった。

『直樹』はそれを受け、その場から歩き出す。戦車の背から降りて、地上へと戻る。

 すると、戦車は黙々と歩き始めた。『直樹』たちはもう眼中にはないのだろう。

 やがて、戦車は洞窟の闇へと姿を消していった。





 ドシン、ドシンと遠くから戦車の足音が聞こえてくる。

 しかし、その足音は洞窟の暗闇の向こう。今も尚、遠ざかっていっている。


「ウフフフフッ」


 ひと段落し、舞とサクの下まで戻ってきた『直樹』であったが、湧き出てくる笑いが抑えられないといった様子であった。

 最初は妖艶さも女性らしさもある微笑みといった具合であった。

 だが、段々と変わっていった。


「ウヒヒッ……アハハハハハッッ」


 壊れたかのように笑い続けた。

 狂ってしまったかのように笑い続けた。

 最初は『直樹』の変わりようにサクと舞は困惑をあらわにしていた。どう接したらいいか分からなかったのだろう。

 だが、それも徐々に怖さに変わりつつあった。


「アハハハハハッッ」


 しばらく狂ったように笑い続けていた『直樹』。

 やがて、突然、ピタリと笑いを止める。

 そして、小さく呟いた。


「あぁあ……ツマンナイ」


 その言葉を合図にか、『直樹』は舞の方へと体を向け、歩き出した。

 その口元には、静かに、酷薄に、笑みが浮かんでいた。


「あ、アンタ何者だ? ナオキ、なのか?」


 戦闘の余波で一切動けなくなってしまったサクの、なけなしの警戒の言葉が飛ぶ。

 だが、『直樹』は反応しない。

 ゆらり、ゆらりと舞へと近寄っていく。


「ヒィッ」


 その様子に舞は悲鳴を溢す。

 ついにはへたり込んでしまった。

 それでも『直樹』は気に止めることなく迫っていく。





 ***





 直樹はこれまで呆然と事態を眺めていた。

 見えるし、聞こえる。だが、一切動かせない。現実に対して何もアプローチすることができない。気持ち悪いくらいにリアリティのあるVR作品を見ているような感じで、現実感が全くなかった。

 体を彼女に受け渡し、二人の命を彼女に託し。どうせ死ぬのなら藁にでも縋るべきだと信じての決断であった。

 それでも、直樹は思う。

 その選択は、本当に正しかったのだろうか。

 怒っている時、酔っ払っている時、盛り上がっている時、悲しんでいる時、冷めている時。

 人にはいくつもの顔がある。

 差の激しい人の場合、まるでいくつも人格があるようにさえ見える。人が変わったようになんて表現される。

 だが、どんな状態であれ、行動には結果が伴う。責任を問われる。

 良い行いとされることをすれば良い人間関係が築かれうるし、さらに良い行いを求められることもある。

 その逆もまた然りだ。

 鳥人相手にキレた時、直樹は直樹であった。別人格に近いような言動であったが、それでも直樹はやったことに後悔はなかったし、むしろ自身の一部としてあの怒りに誇らしささえ感じていた。たとえいつか他人を傷つけるような感情であったとしても、あの怒りそのものにネガティブなものはなかった。コントロールの必要性は感じていたが。

 だが、今回は違う。

 他人に体を乗っ取られてしまっている。これは直樹ではなく、『直樹』だ。


『な、何をする気だ……』


『直樹』が何をしでかそうとしているのか分からない。だが、直樹は怖かった。

『直樹』は舞へと迫っていく。酷薄な笑みを携えて。

 直樹は自身の体がやることに責任を持てなかった。

 だから、懇願する。


『やめてくれ……』


 だが、『直樹』の返事は無情であった。


「ワタシはワタシ。だから、邪魔なものは消すの」


 もし、直樹が女神様と崇めていた彼女が、直樹の体を乗っ取りそのまま生きていくとしたならば。

『直樹』ではなく直樹を知っている舞とサクは間違いなく邪魔な存在だ。


『そんな……』


 直樹は悲嘆に暮れる。だが、直樹の言葉は『直樹』以外の誰にも届かない。

 体を明け渡す寸前に、直樹は思った。

 これは、悪魔の契約だと。

 これは、命を失ってでも、絶対に結んではならない契約であったのだ。


「この子のことが大事なのね……」

「いぃっ」


 恐ろしい笑みとともに舞の正面に立った『直樹』。

 舞は恐怖で腰を抜かしてへたり込んだまま、言葉にならない悲鳴を漏らした。


『やめてくれ……』


 直樹の声は届かない。

『直樹』は、反射的に地を這って後ずさる舞を見下ろす。そして、のしかかるようにして距離を縮める。


「いぃっ」


 逃げ場をなくした舞は、震えが止まらない。涙が止まらない。


『やめてくれ……』


 直樹の声は届かない。

 直樹が戦車から助けたかったのは彼女だ。

 だが、彼女を手にかけるのは戦車ではなく、『直樹』だ。

 ——違う、選んだのは直樹だ。


『やめろぉぉぉっ』


 直樹は叫ぶ。だが、やはり届かない。

 のしかかった体勢のまま、『直樹』は舞の顔に手を触れる。

 やがて、浮かべていた笑みすら消して無表情になり、無感情に呟いた。


「——バカねぇ、本当に」


 静けさを取り戻した広場に『直樹』の声が響き渡る。

 呟きとともに、『直樹』は舞から視線を外した。

 その直後であった。

 突如、『直樹』は崩れ落ちるようにして、舞へともたれかかる。

 直樹の意識はそこで途絶えた。



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鬼人の王〜ボッチな高校生は鬼となり、迷宮のドン底から這い上がる〜 ハネダタロウ @taro_haneda

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