合理化社会

木下美月

合理化社会

 

 博士は発明した機械に満足していた。

 マイクに向かって質問をすると、最も合理的な答えが返ってくる、人工知能搭載の腕時計だ。スマートに身につけられる所がまた、合理化主義の博士らしい仕様である。


「駅前のチェーン店か、隣町のレストランのどちらで昼食を取ろうか」


「隣町へ歩いて行くべきです」


 この簡潔な答えの裏では、装着者の過去一週間の運動量が低下している事や、レストランで使われている食材の栄養素が総じて高い事などが調べられている。それらのデータを集めて比較した後に、腕時計から音声が流れるのだ。

 だが、幾つもの理由を長々と説明されても聞くに耐えない。計算の末に出された最適解だけ知る事が出来れば充分なのだ。


 街を歩けば、博士と同じ様に腕時計に話しかける人が沢山いる。


「短時間で痩せられる運動はないの?」


「高強度インターバルトレーニングが効率的でしょう」


 皆が答えだけを知って満足する。自ら考える事を放棄した人々にとって、理論などは興味の対象外。理に適った最適解だけを求め、それを与えてくれる合理化腕時計は、現代に多く普及した。


 レストランに到着し、入口をはいった所で、博士は後ろから声を掛けられた。


「もしもし、貴方もお一人の様ですね。どうやら貴方が案内されたら、そこで満席になってしまう様です。すみませんが、僕と相席してもらっても良いですか?」


 彼の話を聞けば、合理化腕時計が目の前の男性、つまり博士と相席した方が早く食事にありつけると提案したらしい。

 博士は断る必要も無かったので、青年と食事をする事になった。


「どのメニューがいいだろうか」


「二番のランチセットが良いでしょう」


 この腕時計は、高機能センサーやマイクによって、装着者の周辺状況を常に把握しており、現在地の公共施設の情報も直ぐに調べられる。

 それによって、このように簡単に質問するだけで答えが得られるのだ。


 向かいに座った青年は、注文をした後は声を発しなかったし、存在感が気にならないくらい静かだった。博士も内向的な人間だったから、青年と同じ様に静かにしていた。

 きっと、こうしてお互いが居心地良く食事が出来る事を予測して、機械は相席する事を合理的だと提案したのだろう。


 ついにはお互い言葉を交わさないまま食事が終わり、先に食べ終わった青年が自分の支払いだけ済ませ、博士にお礼を言ってから店を出て行った。

 彼は愛用している腕時計を開発したのが、目の前の男だという事を知らぬまま去って行った。それどころか、お互いの情報は何一つ開示されていない。

 他者と余計な関係を築く事も、意味の無い会話をする事もない。

 博士は、あらゆる無駄を省いた合理的な現代人の生活を中々気に入っていたし、自分の発明のお陰で更に合理化されて行くであろう社会に期待していた。

 そんな充足感に浸りながら帰路に着くと、繁華街の方から騒ぎが聞こえた。


「放せ、正しいのは俺なんだ!論理に適った答えを聞いたんだ!」


 気になる言葉を聞いた博士は、少し近付いて様子を窺ってみた。

 驚いた事に、刃物を握った男が、数人の警官に取り押さえられながらも暴れている。

 負傷者もいる様で、間も無く救急車のサイレンが聞こえてきた。


「おい、そんな奴ら治療するな!人間が減れば地球温暖化を遅らせる事が出来ると教えられたんだ。世の為になる事を、最も効率的に行った俺が正しいんだ」


 喚きながらもパトカーに乗せられる男の、左手首を見た博士は愕然とした。合理化腕時計が装着されていたのだ。


「なんと、まさか。そうか、合理性を求めるばかりで、人工知能に倫理観をプログラムする事をしなかった」


 博士が発明した機械は、合理的な最適解を教えるものだ。

 さっき男が口にしていた、温暖化という言葉。もし彼が温暖化対策についての質問を、合理化腕時計にしていたら。

 温室効果ガスを発生させる人間を減らす事は、倫理観を無視すれば最も合理的な答えだ、それを教えるに違いない。

 提示された答えを自ら吟味することも無く、正しいと思うのが現代の人々。彼らにとって、機械が出した答えこそが正解であり、故に今回の事件は起きたのだ。

 そしてこれからも同じ様な事件が起き続けるだろう。

 合理化腕時計は世に出回り、世には考え無しに答えを受け取る人が多いのだから。


 さて、ここまで考えた博士は、次に責任の所在について悩んだ。

 罪を犯したのは他人だが、そそのかす様な答えを提示する機械を作り、世に広めたのは博士なのだ。

 段々と恐ろしくなってきた。

 増え続ける事件の裏には、毎回、合理化腕時計がいる。そしてそれを作った博士に責任が向けられるのは当然だろう。

 一体、どれ程の罰が自分を待っているのか。

 博士は絶望的な心情で呟いていた。


「私は、これからどうすれば、不幸が訪れずに済むのだろうか…」


「自ら命を絶つべきでしょう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

合理化社会 木下美月 @mitsukinoshita

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ