雪花と黒狼

 果ての夢エイオスにいたことが本当に夢のようだ。私は十八人にも分かれてそれぞれの人生を過ごしながらあの世界に十五年もいたのに、こちらの世界ではそれはほんの小一時間のことだったという。確かに記憶と何も変わらない、元通りの世界だ。

 ヴェニテの隊列が夕陽に向かって小さくなっていくのを見送ったあと、私は急に思い出して飛び上がりそうになった。


「すっかり夕方になっちゃった。どうしよう、私、お夕飯の支度に帰らないとまた叱られる」


 そもそもイムセアが来た時、私はヨエルの家に近い森で薬味にする野草を摘んでいたのだった。苦労して探したのにあれも全部どこかへやってしまったのか。


「ヨエル、私、一度家に戻るね。夜中になったらまた抜け出してくるから」


 慌てて歩き出そうとする私の腕を優しく引き留めて、ヨエルは言った。


「いや、今日は僕が君の家に行く」


「駄目だよ、家は狭いからすぐ見つかっちゃう」


「いいんだよ。今行く」


「今?」


 ぎゅう、と抱き締められて、一瞬そのまま眠ってしまいそうになる。まぶたの裏を可愛らしい星が幾つも転がって、その打ち合う水晶みたいに澄んだ音を聴き、私は心から驚く。

 ヨエル、あなた、本当なの?


「一緒に行く。君のご両親に挨拶させてくれ。もう二度と君と離れたくない。

 雪花キア、僕は君に結婚を申し込みたい」


 ああ。

 私は自分の生まれを初めて好ましく思う。

 星をうまく読めないとはこういうことだ。どんな重大なことも、事前にきちんと予測できない。自分の運命に関わることさえ。そして恐らくは、世界でたった一人の大切な人の意志さえ、こうして直前に触れるまでは分からない。

 分からないからこんな風に、驚いて、嬉しくて、混乱して、涙が出てしまうんだ。

 ありがとうヨエル、と私は涙声で言った。


「すごく嬉しい。私も、ずっとあなたと一緒にいたい。でも私すぐ転ぶしお皿割ったりするから、ヨエルは私のこと嫌いになるかもしれないよ。それにすぐ泣くし、うちで一番頭悪いし、イムセアも私のこと貧相って言ったし、」


「……あいつ、やっぱり助けるんじゃなかったな」


 そんなこと言って、私が自分ごと果ての夢エイオスを裂いて出口を作ったあの時、私と同時にイムセアの手を取ったくせに。

 衝動で間違った枝を掴みかけることはあっても、その優しさが消えないあなたを私は好きなんだよ。


 ねえ、黒狼ヨエル

 片眼は青くて、片眼は傷付いた、優しい優しい、私の黒狼ヨエル

 ずっと一緒にいていいの?


 私はもう星を読まなくていい。答えはあなたの声で聴きたい。

 私は何にも持っていないけれど、あなたがいれば一人じゃないから大丈夫。


 そうでしょう?











〈了〉


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あなたの星を読むために 鍋島小骨 @alphecca_

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