空色の眼の三人

「……果ての夢エイオスに飛ばされる寸前、気を失ったキアに遠矢の魔方陣を貼り付けてあるのがえたので、とっに魂の外表だけを分核させて」


「陣ごと割り、それを分核にだけ持たせて撒き餌にしたのか。そこまで見切ったか」


「それでも主核に陣の断片が残ってしまって、随分心配しました。幸い、僕が記憶を取り戻した時、はまだ無事だったので、すぐさま自殺して身体をて、それからは霊体としてずっと側に。分核を順に殺したあと、イムセアが必ず襲ってくると思いましたので」


「分核のほうは?」


「咄嗟のことで調整できず十七にも割れてしまい、どうなることかと思いましたが……」


「十七……そもそも、これまで大老師エラルゴスしか成功した記録のない術だ。下手をすれば再合がうまくいかず記憶も魔力も欠けてしまう。老師自身、十一分核でも一苦労したと書いている。それをよく……」


「必死でしたから」


 少し離れたところから溜め息が聞こえた。誰だろう。

 ここはどこだろう。温かくて懐かしい。


「殺された分核の魂はひとりでに主核に戻ります。それでも、元々魔法の力がほとんど使えないキアはきっと二度と記憶を取り戻すことはないだろう、実質、僕がキアを死なせたのだと思いました。キアを守って果ての夢エイオスで一緒に死ぬつもりだった。

 だからもちろん、生還して王宮魔導師になろうなどという気はまったくなかったし、今もありません」


 再び溜め息。

 私の意識は温かな海からゆっくりと浮かび上がる。身体の感覚が戻ってきて身じろぎすると、ヨエルの呼吸と視線を感じた。

 目を開く。私は彼の膝に頭をもたせ掛けて横になっている。見覚えのある壁、窓、布のかかった長椅子、薬草の匂い、ここはヨエルの家だ。

 帰ってきた。

 私は自分の両眼からじわりと涙があふれるのを感じる。

 身体を起こし、ヨエルの目を見る。腕を持ち上げてヨエルの首に巻き付ける。泣きそうな顔で笑って彼は、私の身体を優しく抱き締める。頬と耳に唇が押し当てられる感触。それから押し殺した涙の気配。

 耳の側で、優しくかすれた懐かしい声がする。


「お帰り、雪花キア……」


黒狼ヨエル


 抱き合った私たちを見ているのが本物の王宮魔導師ヴェニテだということを私は知っている。今日ここで目覚めた時に会うと、星が告げていた。

 黒狼ヨエル。最も暗い冬至の夜に生まれる黒銀の狼の名。果ての夢エイオスから外天の星を辿って還る道すがら、私は彼の星の軌跡を眺めていた。

 ヴェニテが妻ではない女性に産ませた子がヨエルだ。ヨエルの母親は心を病み、王宮魔導師の家に息子を引き取らせようと、ヴェニテと同じ青い目だけを残してもう片方の鳶色とびいろの目ごと顔の片側を焼いた。そのためヨエルは人目を避けて辺境で魔導師として暮らしてきた。

 けれどもある日、王宮星見が未来の王宮魔導師候補としてヨエルの名を挙げ、そのためにヴェニテの子イムセアは腹違いの兄を殺そうとやって来た。


――この娘を救いたければ追って来い。私が殺してしまう前に。


 イムセアはそう言って、私を人質にヨエルを果ての夢エイオスに引き込んだのだ。


「イムセアは比較的強い魔導師だが、王宮魔導師になるには紙一重なにかが足りない。だから果ての夢エイオスには行かせられなかった。あの子を失いたくなくてな。だがあの子は己の力量を冷静に判断できず不満に思い、そこにおまえの話を聞いて決定的に焦ったのだな……」


 ヴェニテはそして、床に片膝をつき、ヨエルに抱かれたままの私に銀の指輪を差し出した。


「星読みのお嬢さん、私とイムセアのせいで、君にはあまりにも恐ろしい思いをさせてしまった。本当に申し訳ないことをした。私の心からの詫びにこれを受け取ってほしい。王宮星見だった私の祖母のものだ。

 彼女は幼い私にこう言った。おまえの子は辺境の星読み娘に命を救われるだろう。彼女は果ての夢エイオスで目覚める、と。だがまさか、一度に二人も私の子を救ってくれるとは予想もしていなかった。助けてくれてありがとう。そして、生きて帰ってきてくれてありがとう。心から感謝する」


 私は戸惑い、ヨエルを見る。空色の眼はどこまでも優しい。再びヴェニテを見た私は、恐る恐る手を差し出した。ヴェニテは私の手を取り、細かな宝石をぐるりと巡らせた華奢きゃしゃな指輪を中指にめてくれた。


「雷龍の鱗、雪虎の水晶、千年すみれの朝露、新月の焔、夕陽の雫……どれも小さいが本物だ。祖母を守ってくれたように、君のことも守るだろう」


 ヴェニテの向こう、ヨエルの寝台の上には、傷付いたイムセアが昏昏こんこんと眠っている。果ての夢エイオスでの姿とは違い、元通りの大人の姿だ。ただし、魔力が尽きかけておりひどく顔色が悪い。

 今や私には彼に殺されたの記憶があり、若く美しい彼が繰り返し私を殺しに来るたびに凄惨な表情になっていったことも、記憶を繋ぎ合わせて知っている。身体を棄てて魂だけになったにも関わらず、最後の主核わたしの前に現れた時には青白くやつれていた。

 魔導師の存在も知らないまま、何も分からず殺されることは想像を遥かに越えて恐ろしい経験だったけれど、今やその恐怖よりも悲しみや憐れみが強い。

 イムセア、あなたはこんなことをする必要はなかったのに。

 どんなにヨエルが憎かろうと、そのために自分の命を危険に晒すことはなかったのに。

 果ての夢エイオスから戻るだけの力がなかった彼を、私たち二人が強引に連れて帰ってきた。それで、こうして眠っている。

 また目覚める時が来るかどうか、それはまだ分からないとのことだった。



 王都からの従者たちにイムセアを運ばせて、別れ際、ヴェニテは指輪を嵌めた私の手を再び取って自分の額に押し当てた。それからヨエルに握手を求めた。

 涙はないけれど、心は泣いているようだった。悲しみからではなく、自分のあやまちと運命を知ったために。この事態を招いたのは自分だと自覚しているために。

 ごきげんよう、王宮魔導師ヴェニテ。あなたの糸の先にも、喜ばしいことはきっとある。どうか、その糸を手放さないで。


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