糸の声

 ソファもローテーブルも、すでに消し炭になって消えている。私は白の魔導師イムセアと黒い狼の攻防を凍りついたまま見ている。


ざわりな犬め。身体の方を先に探し出して消してやろうか!」


「そんなことも見分けられないのか。僕にこの世界での肉体はもうない。五年も前に自殺しててた」


「何だと……? おまえ、やはりかえり方を知っていたな?」


「ちょっと考えれば分かることだろう。おまえが記憶を取り戻し肉体を棄てたのは去年になってからか。次期王宮魔導師にしては目覚めるのが遅かったんじゃないのか?」


 うるさい、と激昂してイムセアは空色に輝く矢を放つが、黒狼に防がれた。イムセアの表情に余裕がなくなってきている。


「貴様、記憶を取り戻し身体を棄てたならなぜ帰還しない。私より先に還れば優位に立てる」


「僕はキアと一緒でなければ還らない」


「馬鹿が。ろくな力も持たないこの娘が、何度名を呼ぼうと思い出したりするものか!」


 イムセアの叫びとともに、一際大きな矢が連続して床に突き刺さる。その一瞬前、黒狼は防ぐのをやめて私に体当たりしていた。大きな生き物の背がお腹の辺りにぶつかってきて、私はキッチンの方に突き飛ばされる形になった。

 私がいた場所はイムセアの矢で床が破壊され地面までえぐれていた。あれがじかに当たったらと思うとぞっとする。

 黒狼が私のあごに鼻をくっつけて、済まない、と言った。


「君を危険な目に遭わせ続けている。僕のせいだ。ご免ね、キア」


 ご免ね、キア。

 黒狼はいつもそう言う。僕のせいだ、と。でも何が? 私がこういう境遇に生まれついたのは黒狼のせいじゃない。では、今イムセアに襲われているこのことが?


「どうしてなの」


 私は床に尻餅をついたまま二人に言った。


「どうして攻撃し合うの。なぜのではいけないの」


 口はそう言葉をつむぐが、言っている私自身が分かっていない。還るって、どこへ? イムセア、あなたと会ったのはいつ? そして黒狼、あなたは誰?

 私はなぜあなたといたいの?


「ふざけるな。還るのは私一人だ。貴様ら二人はここで死ぬのだ。この果ての夢エイオスの中で! 黒狼、貴様をなどと、決して認めるものか! 果ての夢エイオスから生還し、王宮魔導師に選ばれるのはこの私だ!」


「思い込みも大概にしろ!」


 黒狼のうなりと共に再び銀の炎が巻き上がり、黒鉄くろがね色の矢が連続してイムセアを襲う。イムセアの前面を覆うように、渦巻き状に展開する空色の図形がそれを弾く。

 私をかばって立ちながら黒狼は、どこか辛そうな声で言った。


「僕は、王宮魔導師になどなりたくない。確かに僕とおまえの父は同じだが、イムセア、おまえの兄として認められたいと思ったこともない。すべておまえの勝手な思い込みだ。

 愚かな魔導師、おまえはありもしない妄想からキアと僕を殺そうとし、おまえ自身の命も無駄にした!」


 いけない。


 頭の中で大きな火花が跳ねた。

 目玉が裏返ったような感じがして、私の意識は初めて運命の流れを暴く。

 

 


 脳が、頭蓋骨が、内側に流れ込む膨大な何かに破裂しそうになる。

 私は無数の糸を観測している、無数の枝にいずれつく葉や花やその実、虫に喰われて腐った幹を、横倒しになる大木を見ている、糸の先が樹のこずえが空へ伸びあるいは千切れあるいはくうへと消え、また地をつらぬき土となりあるいは何処いずことも知れぬ遠く重い壁を突き抜けて、この果ての夢エイオスを脱し再び私たちのふるさとへ辿り着くのを見ている、あなたがいまつかもうとしているその若い枝の名は怒りであり、衝動と力にあふれているがやがてみずからどす黒く病んでこの世から消されてしまう。

 私は言わなければならない、私は読み取る者、この細い、ただ一本の糸についてあなたに告げる者。

 ああ、今分かる。私は今この瞬間のために生まれてきた。

 たった一度、他の誰にも見えないこの星を読むために。

 あなたのために。

 唇がひらく、舌と歯列の間を風が通り抜ける、温かな空気が震えて、そして私はあなたを呼ぶ。

 ようやく。


 夢の中で、夢見ていた。

 ずっとこうして、思い出したかった。


 会いたかった。

 会いたかった。

 ねえ、




、殺しては駄目!」




 瞬間、私たちはまばゆい光に包まれて、何も見えなくなった。


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