幸せの犠牲

Damy

友人の幸せのために

『次のニュースです。先日、自分が両性愛者であることを発表した世界的な女性シンガーソングライター“B”が、「新曲のテーマは同性愛です。この曲が所謂LGBT(私はこの言い方が好きではありませんが)の人々の心の支えになればと思います」とSNS上に投稿されました。これにファンの反応はーー』


 休日の昼下がり、信号待ちをしていると、街中の喧騒に紛れてビル外壁のオーロラビジョンからニュースキャスターの声が聞こえた。

 繋いだかなうの左手が揺れるのを感じて、そういえば叶は“B”のファンだったな、とぼんやり考える。

 叶に勧められて一度だけ“B”の曲を聞いたことがあった。あまり音楽を聴かない私には、その曲の良さはわからなかったが、透き通るような美しい声は今も覚えている。

 しかし“B”両性愛者だということは初耳だった。


 ニュースでは街頭インタビューの様子が映されていて、「どう受けともていいものか戸惑っている」、「正直ショックでした」、「LGBTへの理解が深まってほしい」など、様々な意見が出ていた。


 正直、私にはよくわからない。想像もできなかった。女の人とキスやら何やら、男の人とするようなことをする……それってどんな感じなんだろ。例えば、私と叶は今日、デートと言って街中を手を繋いでぷらぷらしてるわけだけど、友情これと恋愛はどう違うのかな。

 私の中で同性愛への好奇心が頭をもたげる。

 ふと、叶がどう考えているのかが気になった。自分の好きなアーティストが両性愛者だったと知ったら、両性愛について少しは考えるんじゃないだろうか。


「私がさ、かなうの事好きだって言ったら。どうする?」


 冗談のつもりだった。

 こうやって聞けば、叶は私の訊きたいことを察して、同性愛をどう思っているかを話してくれると思っていた。

 しかし、叶の反応はそれとは違って、


「え?」


 浅く開かれた小さな口からはそんな間抜けな声が漏れた。

 繋いでいた叶の左手が強張る。色白の顔はみるみるうちに紅潮していき、垂れ気味の大きな瞳が見開かれる。

 私はその予想外の反応に少し戸惑い、思わず口をつぐむ。

 まごついた沈黙が叶との間に停滞する。その沈黙には黒く燻んだ違和感のようなものが横たわってた。その違和感は崩壊の軋みをあげ、警鐘のように私の耳朶を打つ。

 私は何か重大なミスを犯したのだと直感した。

 叶は冗談を間に受けてしまっていた。生真面目な家庭で育った叶はたまに冗談が伝わらないことがあった。

 叶は当惑した様子で、黒目を右斜め下へと落とす。私が誤解を解こうとするより早く、叶の口が開いた。


「……あたし、も」


 困惑が漏れそうになる口を私は急いで左手で塞ぐ。

 叶のそれは、まぎれもない告白だった。

 信号が青に変わり、周りの人は横断歩道を渡っていく。それと一緒に、街に満ちる喧騒も、信号の誘導音も、ニュースキャスターの声も、残響を残すことなく聞こえなくなる。真っ白になった私の頭の中に、激しい鼓動の音だけが響く。

 放心する私を見た叶の目尻に、涙が溜まっていくのが見えた。

 あ、なにか、言わなきゃ。私のせいで、叶が、友達が泣いちゃう。


「――、――――」


 開いた口から紡がれた言の葉は、私には聞こえなかった。何を言ったのかもわからない。

 ただ、目の前の花のほころぶ笑顔が、友情を欺瞞の関係へと変えてしまったことを教えていた。


 ***


 味方からパスをもらい、スリーポイントシュートを放つ。弧を描いて飛んだバスケットボールが、吸い込まれるようにゴールリングの中心を穿つ。

 ビー!

 ブザーが鳴り、試合終了が告げられた。一四対二で圧勝だった。体育のバスケにやる気を出しすぎたな、と苦笑していると相手チームからも、「バスケ部が本気出さないでよー」なんて揶揄からかいが飛んでくる。

 次の試合の邪魔にならないよう体育館の端のはけて座っていると、急に視界が覆われた。


「るいちゃん、すっごいカッコよかったよ!」

「ありがと。てか叶、これ、やめて、なんか湿ってんだけど?」

「そりゃあたしが使った後だし」

「ちょ! 早く避けてよ!」


 そう言うと叶は素直に私の目を覆っていたタオルを外した。かと思えば、それで今度はわっしゃわしゃと私の頭を拭き始めた。


「あたしの匂いつけてやるー」


 とかなんとか。呆れても物も言えずにいると、クラスメイトが「昼間からお熱いねー」、「イチャイチャ見せつけんなよなー」と揶揄ってくる。

 クラスメイトは私と叶……女同士で付き合っているのを知っている。付き合い始めてわずか一日で、クラスメイトには関係がバレてしまった。叶の私へのスキンシップが急に過度になったのと、問い詰められた叶がうっかり白状してしまったせいだ。

 隠すつもりはなかったが、知られたくはなかった。仲の良かったクラスメイトから同性と付き合っているというだけで蔑視されるのが怖かったからだ。しかしそれは杞憂で、みんなにバレてから二ヶ月経った今となっては、私と叶の恋人関係はクラスの日常風景の一つとなっていた。

 そんなことを考えていると、叶が後頭部に顔をなすりつけてきた。こうやって私の匂いを嗅ぐのが好きらしい。猫みたい。


「やっぱりるいちゃんっていい匂い……落ち着く」

「半分くらい叶の匂いだけどね」

「あたしとるいちゃんの混淆スメルってやつだね」

「あはは、なにそれ」


 そのまま談笑していると、叶のチームの出番が回ってきた。チームメイトに呼ばれた叶は元気よくコートに飛び出していく。


「るいちゃん見ててねー!」


 コートの真ん中から叶がそう叫ぶと、すかさずクラスメイトの数人が囃し立ててくる。さすがに体育の先生もいるのだから、やめて欲しい。教師に女同士で付き合っているのがバレたらなんて言われるかわかったもんじゃない。親に連絡が行くかもしれないし。もしかしたら、そう思われないために茶化して、ふざけた雰囲気を作ってくれているのかもしれないけど。

 なんだかいたたまれない気持ちになってきた私は、


「お手洗い行ってくる」


 その場から逃げ出した。



 洗面台に手をつきながら、トイレの大きな鏡に映る自分を眺める。

 無表情な私に反して、“鏡の私”は眉間に力が入り、涙が流れる目元は酷く腫れ、顎が引きつって梅干のようになっている。手で顔を触れて確かめてみるが、私の口は横一文字に結ばれていた。

“鏡の私”は二ヶ月前から見かけるようになっていた。叶といる時や、別れた後には特に見る。日に日に“鏡の私”の表情は酷いものとなっている。初期の頃の泣き顔はまだマシだったが、今となっては自分の顔だというのに見ているのが辛いレベルで酷い。

 恐らく、“鏡の私”は叶の友人としての私なのだろう。嘘をついていることに、欺瞞の関係に、もう二度と普通の友人には戻れないことに、涕泣しているのだ。

 ただ悲しむことしかできないそれを私は睨みつけた。“鏡の私”も対抗するように睨みつけてくる。悲痛と憤激の入り混じった、私と同じであろう表情の瞳で。

「じゃあ私に何が出来たっていうのさ」

“鏡の私”はそれに答えては来ない。おうむ返しのように言葉を返すこともしない。当然だ、相手は鏡なのだから。もし鏡が喋れたところで答えは返ってこないだろうが。私の心にない答えを鏡が言えるはずないんだ。

「叶を泣かせないためには、ああするしかなかったでしょ……友達の笑顔を守りたいって思うのはダメなこと? ちっぽけな犠牲で叶が幸せになれるんだ、それがたとえ欺瞞でも、気づかなければ本物であり続けるの……たった一つの我慢で本物の幸せを友達が手に入れる。それは私にとっても幸せなことのはずでしょ……? だから、その悲しみに見せかけた自己愛は私に必要ない」

 私は両手を真っ直ぐと、“鏡の私”の首元へと伸ばし、首を絞める。硬質な鏡に阻まれることなく、手の平には肌や気道を押しつぶす生々しい感触を覚える。明瞭にそれを感じても、更に両手に力を込めていく。

 もがいていた“鏡の私”が動かなくなると、私は手を外した。

 鏡にはもう叶の友人の姿はない。あるのは恋人の幸せを願い、微笑む私の姿だけだった。

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