第四章 「ユリアン」

             

(一)

 何か書きたいと考えていらっしゃるそうですね、と植村は畳に軽く指先をついて、上目遣いに私を二秒ほどみつめた。学術図書の出版では規模としては三流どころではあるが、この道一筋の手堅い風琴堂の跡取りである。 

 私立のマンモス大学をリタイアしてすでに三年、その後の私を拾ってくれる大学もなく、それを幸いに頭をすっかり緩ませて暮らしていた。私のフラウはまだ現役のフランス文学者なので生活に困るでもない。

 そうか、いつだったか、彼女にそう言ったことがあった、確かに。彼女の七光りで植村がわざわざ出向いてくれたらしい。一言目からぐさっと言われて、心の準備ができていなかった私はしばし絶句して、しかししっかり自分を保って、彼のメガネの向こうの澄んだ目にみとれていた。


 三十代後半くらいか、いかにも京都あたりに居そうな、色白、くっきりした眉、まつげの美しい、人形のような男である。その瞳をゆっくりとまばたかせて、植村は言った。ピンク色の唇から白い歯がこぼれた。

「何か、この世間を少し壊すことができるような、たがのはずれた企画をうちとしては探しているのですが。和子先生から先生のお噂をお聞きしましてですね、」

「え、フラウがそんなふうに吹聴したんですか、僕が変な人間だって」

 植村は、ハハハと低く笑った。花のような、しかも子供っぽい笑顔があらわれた。




(二)

 「どうも後先になりまして失礼いたしました。こういう者でございます。どうぞよろしくお願いいたします」

 植村は巧みに私の反応を捌いて、話をひきもどした。

 名刺をはさんでいる指を見ると、意外にも骨格の強そうな太さだった。ほどの良い長さの爪はもちろんきっちりと切りそろえてある。もともと私は外見に惑わされる人間であったが、ここまで一々植村の細部にこだわるのは、自分でも少々面倒臭い気がした。

 しばらく人間をあまり相手にしていないせいだろうと思い直して、名刺を受け取った。社名は飛ばして、すぐに彼の名前を読んで呟いた。

「うえむら、、、ごろう」

 吾朗、である。

「あ、僕は自由になって以来、名刺を作ってないのですよ、ご存知でしょうが、性根の入っていないドイツ文学者でして」

「花村周三先生ですね。ご専門のカフカに関するお仕事などはもちろんですが、現在のご興味なども和子先生経由で色々と伺っておりますので」

 え、そっちの方か、と私は衝撃を頭に受けて、しばし耳に音が聞こえなくなった。眼前には、ユリアン シュッティングの著書がずらりと立ち並んだ。


 彼は年に一冊、コンスタントに出版している。オーストリアの小規模な純文学界には政府の補助があり、それを得て三千部ほどを上梓する。コアなファンは彼の文章に耽溺する。彼という人間の書くものにこの世ならざる異世界を認める。そこに表現されている言葉と物事には、彼ゆえに興味深さを感じる、初めて見るこの世であるかのように。

 そんな、幻想を抱かされてしまうのは、もう隠すまい、何よりも彼の姿形である。といっても写真でみるしかないわけだが。

 細身の体型、シャツであれセーターであれ、あるいはスーツ姿であれ、男物の粋、上品なセンス、衣装への愛着といったものが匂いたっている。男性服の高尚な趣味に酔わされ、憧れてしまう。セクシーというのでもない、いややはりセクシーというべきなのか。

 彼の顔立ち、細面で普通に端正、ただ眉が薄いタイプである。そのせいか知性と繊細さが際立つ。瞳は優しい。髪型はごく普通の短髪が少し波打っている。きれいな頭の形がきわだつ。代表的な写真では、そのころ六十歳過ぎだろうが、ほんの少し笑っていて皺がすくない。口ひげをうっすらとたくわえている。

 ちょうどその頃、閉経したので、もうホルモン変化の及ぼす生理的心理的害も少ないはずだというので、ユッタは性転換手術に踏み切ったのであった。


 そうなのだ、親から名づけられた名はユリアンではなく、ユッタであった。

 ペニスや睾丸のあるなしにかかわらず、彼の感覚は男性であり、三十代で文壇にデビューしてすぐに、男装の詩人という姿を世に晒した。

 この件について私が理解するところでは、おそらく自分が女性の肉体をもつことへのはっきりした違和感、嫌悪のようなものが抑えがたく男装へと移行させるのであろう。男が女装すると、見るものに抑えがたい気味悪さ、性指向が男女どちらに向かうかに関わらず、哀れっぽい生臭さを感じさせる。これにくらべると生臭い異臭ではなく、清潔な潔さの香りを男装に感じるのにはどういう理由があるだろう。

 多分、ユリアンの場合、歴史学の博士号をもつインテリであったことも幸いしてか、一時はアイドルのような趣きで新聞種になった。社会的な出来事について、あなたはこれをどう思うか、と事あるごとに批評を求められた。





(三)

 そもそも二十年も前のことだが、私のフラウがオーストリアのホーエンツォルレン王朝とフランスとの関係を調べていた時に、オーストリアの新聞の紙面でユリアンの写真を目にしたのだそうだ。彼女は形容しがたい衝撃を心に感じた。まるで星の王子様のようだったとか。宇宙の中で、孤独な星に住んでいた迷い子、他の何の影響からも免れて、ただひとつの花を生きるよすがとして。

 風に吹き飛ばされそうな二人の存在と姿形がオーバーラップしたそうだ。


「ねえ、お願い。ちょっとあたしの気まぐれに付き合ってくれない? 彼の本を訳してみて」

 フラウはまだ若々しく、私には十分なアピールをもっていたので、喜ばせようと思って、いいとも、とばかりアマゾンから数冊取り寄せようとしたのだった。 

 ユリアン・シュッティングのデビュー作は「島での言葉」という詩集である。有意義な賞を受賞した。それはしかし残念ながらすでに絶版だった。とりあえず当時手に入ったのは「猫との日々」「読者迷惑」「旅立ちの朝」の三冊であった。


 実は私にとっても、その写真からは心惹かれるものが吹きつけてきたのだった。現代人間の普遍像からはずれ、社会に属さず、身体に合わないはずの服を着て、髪だけは豊かに、そして首には風になびくストールを巻いて、しかも絶望するでもなく、狭い道を歩く姿だ。

 カフカの姿も、似たようなものだと私はすぐに思った。彼自身が自分を断食芸人(そんな職業があろうはずはない、プロテストするためにするハンストでもない)に重ね、あるいは自分には、足元にある一尺の場所しか居場所がないと感じていた。しかし、彼は普通の社会に組み込まれていたから、絶望感に苛まれざるを得なかった。書くことだけが、ひとつの花だった。


 その頃は特に顕著に、村社会の不成文法を秘めた日本の「自分グループ」への帰属意識の様相が、世界でも注目され議論されるようになった頃だ。どこの国でも、独自のルールはあるのだろうが、長く他文化との接触を持たないうちに、日本のルールが独特に先鋭化していた。そのことが日に日に国際化していくにつれ、他国にはもちろん、自分たちでも目立ってきたのだ。

 私たち夫婦はいわゆる団塊世代であり、その中でもいわば村社会の密なしばりから逃げかかっているグループではあった。だが、やはりまだ背中に追い縋れられているのも確かだった。二人の間では、海外生活の影響もあり、夫唱婦随などとは縁遠く、仕事の関係で別居したこともあるし、共働きで家事も見事に分担してきた。会計も別である。これには運も良かったから、子供ができなかったからこそという面もある。

 

 夫婦ともにファンめいたお気に入り作家となったので、その年の夏にはウィーンまで飛んだ。文学資料館で新聞記事をコピーし、著書も出来る限り(制限があるにもかかわらず)コピーし、書店で見つかれば買い足した。そのうちの一冊には著者の署名まであったのだ。それらを日本にホクホクとして持ち帰ったのである。





(四)

 オーストリアの新聞のコピーを開くときには、妙にわくわくした。ページ一杯の記事のときもあった。ユリアンはたいてい、やや皮肉な薄笑いをうかべていた。服の趣味は抜群だった。彼の本当の性については、ことさらには触れてなかった。簡単に「ユッタとして生まれた」とのみ。爛熟の文化の伝統あるウィーンならではの取り扱いなのだろう。


 で、本を開いてみると案の定というべきか、独特の世界がひろがっていた。

 章立てのまったくない、のっぺらな字の並び、段落の始まりの一字下げすらない。ときどき二行ほどの空きがある。

 とりあえず「読者迷惑」という本を開けた。小さな本で薄いものだ。読んでよ、とフラウが言うので、よしよしと、まずは原語で読み上げた。

 ととと、と私は慌てだした。複雑すぎる。文脈がやたら入り組んでいる。コンマがあちこちに打たれている。

 ドイツ語の文脈は、普通、複雑な思考過程によく対応できる。文法の仕組みがそれを受け入れるのだ。

 名詞に性と格があり、主語と目的格を明確に表示できる。また、動詞は英語とは比較にならないくらい主語の人称(主語が私か、君か、彼か)を明確に指示するので間違いようがない。また、文の構造においても必要な品詞のあるべき場所が決まっているので、それを当てにすれば、哲学などの内容的にやたら複雑な文章にも明確な筋道が敷かれているのである。


 古代語と英語のいいとこ取りをしているようなものだ。であるので、カフカの未完の大作「城」に見られるような、内容的に理解を超えていてただ理屈のみが通っているという、不可解な文章を書くことも可能であったのだ。


「うわあ、大変だよ。ホフマンスタールやクライスト並みの難文だ」

「どれどれ」と、少しはドイツ語もわかるフラウが顔を出すが、

「あらあ、文章が終わらないね。関係代名詞がどんどんつながっているじゃない。あっ、丸かっこが使われているわ。珍しい。ちゃんとした文芸本でかっこつきの文章とは!」

「こりゃ、もっとも日本語に訳しにくい文だね。。。。ちょっと待って。ええと、ここがこうだから、これが先行詞で、関係代名詞は主語で、動詞はここに後置されてて、、、うん、主語と人称変化語尾も一致するからただしい、、、と」

「まるでパズル?」

「たまんないな。おまけに内容もかなり高度なことが述べられているよ。しかもかなり時事的な内容だ。これを翻訳しても無駄だね。あまりに時事的だもの。翻訳なんかしたくないけど、僕は」





(五)

 蓼食う虫、と言うけれど、ハナから気に入った作者の作品が手のつけられないものだからといって、そこで引くような私ではない。十分に変人なのだ。せっかく気に入った作家を文章が難しいという理由でお払い箱にはしない。

 そもそもカフカがそうだが、彼以外でも私の好みの作家は晦渋な文を書くと決まっていた。普通のこの世の問題を端正に、様々に書き分けてもらっても、何かありきたりで退屈だった。恋愛物語など最初からお断りだった。SF作品でも根本から異次元を創造することは難しい。

 であるので、せめて文章なりとも普通でない方がいいのだ。難解なら、わざと難解にしているのなら挑戦欲もわく。


 かくのごとく邪な思いを抱いて、私はユリアンの作品をこつこつと読み解いていくことに決めた。彼が何を言うのか知りたかった。

「どうしてこんなにわかりにくく書くのですか?」

と、ユリアンは質問されている。新聞のインタヴュー記事で彼は答えている。「私の文章の中にできるだけ長く読者にとどまってほしくてね、言葉のパズルの石をああだこうだって考えて楽しんでほしくてね。もちろん私の世界はだいぶ世間とは異なるフィーリングからできているけど、きっとそれなりに楽しんでもらえると思うよ」





(六)

 本の執筆、そうだなあ、どんな具合にもってくか。

 私は自分が独り言を言っているつもりだったが、目の前には来客が座っていた。

「いかがですか。もう何か着想がおありのように拝見しますが」

 頭の中から目を開くと、美しいものがあったのでその美に本当に驚かされた。その後も彼に目をやるごとに、そこにある美に打たれた。世界が変化してしまったように感じる。若い女子学生が柔らかい頬の線や澄んだ瞳、すぐに笑う口元などで私の目を釘付けにすることはあった。当然だな、そんな類だろう、と私は思うことにした。

「要するに、世間のタガからはずれているのなら、それを説明しようとしてもあまり効果はないでしょうしぃ」

と、私は顎に手を当て、少し無精髭が残っているのをザラザラと撫でた。

「もっぱら彼に喋らせることにしましょう。とりあえず翻訳ですかなぁ、自分へのチャレンジともなるわけですが。彼についての論文は、実は知る限りでは一冊しかないのです。考察は微々たるものです」

 実は、ここ三年あまりユリアンとの実ある交遊が、つまり読書がなかった。定年や入院、引越し、親の病気など老年問題に手一杯だったこともある。

「なにしろ膨大な著書なので、それを揃えて目を通すだけでも、、、ねえ」

「花村先生、必要なこと、煩瑣なことは私がお手伝いしますし、どうぞご一緒させてください。三、四年くらいを目処にやらしていただきますが」

 そう言って植村は、目を輝かせ唇のあたりに微笑の影を作って、私の目を覗き込み、私がうなずくまで待っていた。楽しみにしておりますので、心よりご連絡お待ちしております、当方からもお伺いいたします。帰る時にそう言った。


 私の中に喜びが湧いた。

 これはまたもやファン心理であろうか。(知的で趣味の良い男前、壁にその絵を貼っておきたい。私の部屋の壁は、けっこうポスターで埋もれている。美女や美男、猫鳥虎花山海富士山空宇宙原子、この世の美しいものの写真で。そこには妻の写真や絵もある。私自身の顔さえも。絵画、書、庭寺院仏像パソコンすらも)

 飽かず眺めていたい好きなものを前にして、私の中にまたかすかな声がする、いわゆるビーセクシャル?(いや、それのみじゃない、すべての麗しいものが好きなのだ。色のすべて、センスのすべて、その洗練された姿形が。この宇宙の稀なる稀なる物質、そのすべての元素の色も)

 そこには人間社会の規範などなかった。

 そんな壁の一角の棚に、私は首をつっこんで、ユリアンの本を取り出した。机の周りに積み上げた。

 まだユッタという女名だったころの最初の出版からその出だしの詩を書き出した。もっとも、本は持っていない。当時、どこだったか、学習院大学だったかで所蔵されていた本のコピーを持っていた。



***「木のこと」


この木を私が植えたのは

初めて木を見たときだった

そして木を見て言った言葉が

それの名前になったその時も、

そして初めてその語が書かれているのをみたときも

さらに何度も

木という言葉が頭のなかで木の姿を呼び起こしたので、

言葉はそれが意味するものと一致すると、わかった時も

さらに潅木をみても木だとわかり、あるいは木のイメージが針葉樹の外観となった時も

そして、決まった木々だけがあるのを変に思った時も

どうも木一般がやはりあるらしいのだと思った時も

私にとって木はなかんづくラテン語アルボルのドイツ語だった時も


そこで私はこの木を引き抜いた

木という音(の並び)は木という内容を呼び起こすが

木によって決められてはいない、そう発見したときに



 人間言語を記号とみなす、この態度だけでも社会から文学から議論からまずは遠ざかる結果をもたらす。おまけに男女の区別という枠組みから外れた時、あとはなし崩しという崖に立つしかない。

 とりあえず、そうだろう。それでもいわゆる「人間らしさ」の「らしさ」にとどまろうとする、それも人間だ。そこまでタガがはずれたら身を滅ぼすしかない。ユリアンは、女性と暮らし、余暇に庭仕事をしたり劇場に行ったり、ワルツを習った(男のパートを)りするのである。たとえそれらの行為が「いわゆる」付きであるとしても。





(七)

 「それではこのような方向で、徐々に原稿を書いていただく、ということにいたしましょうか。一年に一冊で、これまでのシュッティングの本を五十冊として、五年計画とすると一年で十冊あたりを紹介していただくことになります。本の内容の説明と一部訳出部分をとりまぜて、また作者の活動や近況、新聞記事などで読者の興味を引く、という作戦です。そこに花村先生のポイント解釈でもっと作者の存在意義を掘り下げ、読者に訴える、しかも情的にアプローチしていただくときっと効果的だと思います」


 植村は気持ちの良い声音で、すらすらと喋り、少し首をかしげて僕をみた。

 私は彼の瞳を覗き込み、しっかりとその視線を受け止めた。しっかりと人間を縛っている社会の前提を少しゆるめるための他の可能性を示すのだ、と私たちの意思は合致していた。秘密の約束であるかのように、秘密結社であるかのように。


 私の中で、素早く策略としてのページの様子がめくられていった。ふむふむ、と自然に喉から声がでた。

 これまで宛てもなく、ただ興味と好奇心に引かれて、手に入る限りのユリアン本を読んできた私の時間が日の目をみるのだ。意識せずに、何か目的を持っていたかのようだった。




 ユリアンの父は獣医であった。母はかなりのスポーツウーマンであったらしい。一九三七年生まれ。弟と妹がいる。十五歳でウイーンに出て写真家の訓練生の道に進んだ。しかし間も無く大学進学試験をへて、大学で西洋史を専攻することとし、博士号を取るに至る。十年余り法制史の教師をしていた。

 まあ、そんなことを注をつけて紹介部分としよう。

 初めての詩集「島の言葉に」で、三十代後半のときにオーストリア文学奨励賞をうけて有名になった。それから珍しい小粋な存在としてウイーン子に可愛がられた、のだろう、気の利いた新種のペットとしてその言動と姿が妙に魅力的だったのだろう。

 しかし彼はまもなくユリアンと名を変え、言わばカミングアウトした。もっと謎めき、刺激的になった。さて、このころの新聞記事が手に入るだろうか。ウィーンにあるオーストリア文学資料館にも無かったと思う。



 数年後の本「旅立ちの朝」は、登場人物があり、やや教養小説的な、いわゆる小説の体をなした内容で、自伝的な要素もみてとれるものである。爽やかな不思議な文体を少し訳してみよう。


***「なんと弁解しようか、苦心する」


宿題を残念にも書くことができなかったのは、ちょうど書き始めた途端虻がわたしの手にとまり夜までそのままだったから(だって鉛筆を尖がらすとき指を何本も切り落としてしまったんだもの)。


授業に出なかったのは、わたしがまずは車から溶接外しされなきゃいけなくて、そしてあ、そうか、前の座席には両親がいたんだってやっと確認できたせいです、長いことあれこれしたあとになって で初めて。


詩の暗誦ができなかったのは、隣の部屋から母の痛いという叫びが聞こえて集中できなかったからです。


答えは本当にわかっています、でも家でアンギーナとベッドにいるので提出できません。などなど



***「どちらが怖い」


新しいコートで湿った石塀によりかからないでね、大きな公園の塀が背中のところで突然倒れて急に無くなってお前はうしろ向きに池に落ちたりしたら、どんなに怖いと思う!

そしたらこんなことになるかもよ、公園の池の鏡の面をのぞいたら下から覗き返すのが誰の顔だと思う!

別に驚かないよ、わたし慣れてるから、ママが髪をとかしているとき、鏡の中でも髪をとかしているでしょ、ママと同じに左の手で。




 しかし、いわゆる小説を書いて何になろう? これはユリアン自身の問いかけの言葉でもある。

 そんなものは無数に存在するし、書きたい作家も同じく無数に手を上げる。読者を興奮させ涙させ、知らない世界を見せ、あるいは秘している房事や感覚を仔細に描き出してくれる何にも代えがたい媒体として。

 大方は、現にある社会の仕組みの中で起こる人間関係をテーマとする。あるいはペンは自由であるから、全く異なる社会を想像し、創造して見せることも可能だ。いずれにしろ、そこに影絵のように生きさせられる人物像の背後にはある決まった哲学、人間の理解の仕方がある。それはおおよそ読者のものと一致するか、あるいは少なくとも一部の読者の共感を得る。


 私のユリアンへの興味を構成するのは断じて性的なものではない。ワイフもそうだと思う。誰をどう愛しようがそれは人間という複雑な存在の自由であり、喜びの権利であるが、私の中に彼という性的な存在を熱望する部分がない、ということにすぎない。

 そんなことではなく、彼のような存在感覚をもった人物がどんな生活をし、意見を持ちどう対処していくのか、を知りたい。それは私から言わせれば飽くことなく人間への好奇心である。人間って何だという思春期の問いがまだ解けていない、大勢と異なるあり方も含めるとすれば。

 ユリアンには幸いにも、それを見せてくれるにたる知性も筆力も覚悟も手法もある。違う扉を開け、我々に示してくれる素質がこれほどに揃っている、それは確かにまれなことだ。





(八)

 暑い夏だったこともあり、私がゆるゆると書き進めている間、植村は初期の新聞をそろえてみたいと言って、ヨーロッパに出張していた。

 すぐにメールがあり、それも手に入ったのでお楽しみに、と書かれてあった。送るそうだ。

「それから、どうしてもという感じがしまして彼に会えるかどうか試してみようと思います。今年また賞をもらったということですので、取材慣れしているかもしれません。余り人前に出ず、マリアさんという女性と暮らしているようですが」などとある。


「花村先生、思ったより簡単にアポをとることができました。あさってケルンテンへ参ります。私どもから特別な出版を企画している旨伝えました」


「花村先生、私は当地でホテルをとりました。すっかりユリアンと気が合いましたので(英語で話して)、しばらく滞在して情報をお伝えします」 

 え、シュッティグとは息子のような年齢差だが、まあ美形の植村のことだからさっそく好意を抱かせたのだろう、と私はフラウに言った。


 ユリアンの本のなかで、私のお気に入りは「猫日和」である。イタリアの友人に頼まれ猫シッターをすることになった時の記録だ。好き嫌いの感情はさておいて、出会った生き物の生態を的確に記そうとする。しかしただの文章ではない。関係文章が後ろから後ろから重なってきて、日本語にするのは無理なのだ。カッコ内に意見が述べられているのは奇異ではあるが、訳するのはむしろ問題が少ない。なかなか丸がこないジグザグの長文の和訳において、私は長詩を思い描いた、うしろからかかってくる説明文をそのままの順番で訳出した。できるだけつながりをつけながら。ブルーとビオラ、二匹の猫。



***「猫日和」


でも夜は何と快適か、外は真冬の寒さしきりなのに

暖房はもう宵のうちに切られている時 

たくさんの駈け布団の下に争って入る

私の右と左に湯たんぽとは誠に有り難い

彼らのゴロゴロも暖めてくれる!

十一月のあさまだき

彼らも寝坊したりする、私と同じにいつまでも

身動きもしない

夜のうちに重さは増している

ひたと寄り添って眠りの抱擁、どこが頭かどこが尻尾か

薄暗がりじゃ、尖った耳で見当つけるしかない。

何しろ眠りこけながらなので、私も賢くならなくて何度も体験した、夜の重さのみが残されるってこと、体の上とか横、一緒に彼らが朝まで寝てるのを感じる、好きな寝相で私にくっついているのを。しかし彼らは全然存在いない、忍び出て行く彼らの体の圧力感を、その暖かさごと私の腰に、そしてしなる感じを私の背骨に、残している、なのに仲良くまだ少し、共にまどろんだままだって思わされるなんて--幻覚だ、周囲の眠り込んでいる布団のせいで強くなった幻覚だ。

私にとって、感動だったかもしれないこと、あるいは事実感動だったのかナ

外はもう明けているのにこちらが全然動こうとしなかったせいで

彼らがその冷たく長い前脚で私の手を取ったこと

その手で撫でて貰おうとして

(人間の間であるような友情からだ

たとえそれがなお程遠いものであるとしても

だからこそ時にはまさにそんな友情が生じる

そこら辺りに偶然いた動物との

この場合に限れば--誰だって喜んで手伝いや動物研究のためにそこに呼ばれていくだろうからね!--元々はイタリア産の猫との

その子孫達との友情が生じるのさ、短い期間でもネ

犬好きの私にはそれまで猫は本当に異質な物だったし

また結局今でもそのままなんだが)


 日本語としては我ながら流れるように訳されているが、原文は流れてなどいない。

 もう一箇所、猫好きの私にはたまらない描写を紹介しよう。


台所で。ちょっと見てごらん!

人間のテーブルの人間の皿からこっそりと

もしそれを自分の食器の中に見つけたら

むっとしてその場を去る前に鼻にしわを寄せるであろうものを

彼女がつまみ食いするのを。

かなりしばしばビオラは台所のざるからほうれん草やサラダ菜の葉を取る

救ったのかさらってきたのか

その子と共にサッと暗いすみに隠れる

ブルーも、心配そうに二人を見ながら、さっぱり分かりはしないのだ

彼女が未だ生まれぬ

まだまだ彼女の腹に存在しない子供達のために

肥ったネズミを一匹捕まえたのか

或いは人形で子供の世話をする練習をしているのか

ーー彼女の片や子供の腹の、片やその狭い脳の

なんと言う本能と想像の果たす技か!

遊びに彼を誘っているのではない

彼女が幾たび葉っぱの上に身を伏せるとしても

おもちゃをかばうのとは違う

それは卵を抱く雌鶏のようだ

ーー不安そうな目つきだ、震えとおののきが守ろうと構えた体の上を走る

だめよ、これは私だけの物よ! 

それをしっかりと体にかき寄せた、暖めようとして、その上に身を寄せる。

カレはそれでも跳びかかる、本当はこわごわなのだが

彼女はカレに襲いかかる、やった! カレの方が退く

誰がそんなことを彼女がすると思ったろう

いつも弱い方としてカレに従うのが常なのだから!

予想外だったのは、争いの種が雑巾のベッドの中に寝かされることとなっても

両者に異論のなかったことだ

それは雑巾の中にくるみ込まれ

雑巾はすっかり落ち着くまで押さえつけられる。

水飲み時にも口から離そうとしないせいで

それが水の容器に落ちでもすると、彼女は溺れるそれを救い上げようとする

嘆きの声と水を怖れる前脚

ホラお前の緑の子供だよ!

緑の垂れ髭を作って彼女は得意そうに

ツッツッと歩き去っていく

ーーカレは彼女を見送り、それからオマエの方に困ったような顔を向ける

その通りあの娘は変だね!




 次は、難しすぎて難渋すること請け合いの「読者を困らす」から引用してみよう。

 と思いつつ、私が難儀していると植村からメールが入った。


「しばらくご無沙汰しておりました」

 まだ帰国してなかったのか、と意外に思った。

「いずれ明らかになることではありますし、また今後どうしたらいいものかもわからないままではありますが、ともかくお知らせすることを決心いたしました。私はユリアンと多くの時間を過ごすようになり、どうしたことか離れがたくなってしまいました」


 何だって、おそらく私の目がかっと見開かれたことだろう。そんなことが許されるのか、いや、誰が許すわけでもないが、どう解釈すれば? 二人の性器が思い浮かんだ。想像に過ぎないが。どうするんだ。その想像を逞しくしていかにあれこれ組み合わせてみても、事実に辿りつけるわけではない。私はワイフにも話し、なお協議してみたが想像を超えることに挑戦することを二人とも諦めた。長年のパートナーだというマリアはどうなったのか。


「マリアは変わらず一緒です。それから先生もご存知なかったようですが、二人にはすでに養女がいるのです。もう成人して家を出、大学に通っていますのであまり問題ではないのです。私は二人の息子といっていいような年齢ですので、まあ一家の老後の助っ人といった立場でいるのかな、と予想してます。

 先生ご夫妻にはおそらく不愉快なことかもしれませんでしたが、私も仕事はありほとんどは離れて暮らしますし、愛情関係の形は自由に考えていくつもりです。ただ、この心がぴったりと綴じ合わさったような感覚には自分でも驚くほどなので、離れられるとは決して思われないのです」


 植村の人間離れした美貌を思うと、どんな地上の愛にも惜しいような気がしていたが、こんなことになろうとは。と思う反面この桁違いの結びつきがふさわしいとも感じる。





(九)

 難渋な文章を準備していたのだが、この事件のせいで気が変わった。ユリアンの日常生活を綴った分厚い本「数えられる(残りの)日々」の和訳をもう一度見直すことにした。


***

一九九九年九月二十日

友人のGによるとイエスの十字架の死は、歴史的必然性のある聖人的行為ではなかった、自由意志による愛の行為ーー つまり全人類の名において神様に許しを請うこと、それで十分だったはずだったのに。そこで私は、不真面目な憶測を楽しみたくて答える、十字架的自死を証明するものは、イエスが父を誤解していたことだ、人類を許してくれるには、罰や復讐好きで少なくとも生贄として彼を必要としているような父だと。しかも罪を犯すように創造しておいて? しかしそれゆえに最初のキリストは到底最初の反ユダヤとはならないはずだ!



一九九九年九月二一日

「もしご不満がございましたら」と病院で一般的に何枚も貼り出してある患者覚書の最初の行はこうだ、「患者係にお尋ねください!」


一九九九年九月二七日

幅のある黒い線で描かれた髑髏があって、その下には、腕組みした二本の骨でキリスト教のモチーフを黒人差別。

そしてその上には黒人と大きく書かれてある。「ほとんど百%と言っていいほど黒人のいない」ウィーンで。


一九九九年九月三十日 ケルンテンで

幹の大きなカラマツを透かし見る、自由な呼吸のために

B夫人の葬儀によって我々二人のおしつぶされた胸から。

悲しみの底にいる遺族のそばではしけなくも感じた、B夫人が自分の家でどんなにか窒息するような気持ちだったに違いないと


一九九九年十月九日 ウィーンへ

「我が子でもおむつを洗うのはぞっとしたものよ。なのに姑ったらおしめパンツをはくのを拒否するんだから!」 ーー 

この話で全く気が滅入るのは、この夫人にはオムツが彼女の女としての人生の主題だということだ。

またもや園芸店のドアに厚紙がうちつけてあって、手書きで園芸見習い女性はお申し出を、緊急必要、一、四九メートルまでの背丈で。

私はまたもや不安になりそうだった ーー アルミのオケ? 道具箱? 塀に囲まれた穴? それとも極端に低い温室で働かねばならない?

数本花を買って、すでに数年幸運にもここで働いている小柄な太った女性にその理由を尋ねる。笑う。「わたしたちね、ここのボスより小さくなきゃならないんですよ」



 どう贔屓目に見ても、読者サービスとしてのエンタイテインメントの要素がない。皮肉や諧謔はあっても難しすぎる。乾いた知的な叙述を読み続けて、特別な喜びをそこに見出せる読者のための筆致であり世界、作者の感性や意見に耳を傾けることに独自の意味を見出す読者のものだ。

 植村はこの中でどんな状態でいるのだろうか。見当もつかない。良き読者的な関係なのだろうか。マリアはどうしているのか。見に行きたかった。





(十)

 オーストリア文学同好会に私は参加しているのだが、これまで誰か詩人が来日すると聞くと、意気込んでその朗読会に出席、ユリアンのファンで唯一の翻訳者であることを吹聴した。詩人たちは、みなユリアンと多かれ少なかれ知り合いであり、翻訳してあげてください、きっと喜びますよ、と無責任に言うのだった。

 彼らが無責任なのは当然のことだったし、私自身にもそれなりの目論見があるわけだから、憤慨したりはしない。ただ、願ったのはひょっとして、彼らがユリアンと出会った際に私のような者のことに触れてくれたら、ということだった。たとえ触れたとしても、何かが起こるわけではこれまた当然なかったのだ。


 しかし、今はおおいに事情が違う。

 植村が思ってもみなかった道筋を作ってくれたのだ。私自身がひょっとしてユリアンに惚れてしまったらどうしよう、と思わないではなかった。フラウもそうなってしまったら、と思ってあまりのことに可笑しくさえなった。


 フラウは事情を聞き、私の渡欧の意図を知ると顔をしかめた。手を顔の前でふって、結構結構、という気持ちを表した。これ幸いと私はメールを書き送った。

「暇ではあるし(仕事も手につかないので)、興味もあるので、目的なしでぶらりと周遊します。ひょっとしたら出会いがあるといいのですが。もし、ね。ちなみに一人で行きます」



 ウィーン市街の観光の中心である聖シュテファン教会に遠からぬ静かな通りに、幹の大きく古い葡萄の樹から枝や蔓を屋根のように広げさせた居酒屋(この言い方ではあまりに日本の店の様子を想像して似つかわしくないのだが、要するに飲み食いする店で、外にも卓がたくさん並べてあり、そこはビヤガーデンという趣きをプラスしている、というか、実はビヤガーデンという趣きがまず第一印象なのだが、そう表現すると今度も日本のビルの屋上で夏だけ開かれるものが思い浮かぶので)居酒屋、改めもてなし屋、とでも新語をつくっておこう。


 きなりの麻のシャツに麻の上着、という出で立ちで(私としては夏の最高のお洒落のつもり)、私はビールの泡の匂いをかいだり、味わったりしていた。

 見上げると茂った葉を透かして空の色が何かの宝玉のように輝いていた。

 ビールを運んできた白いブラウスに黒のスカートの給仕といい、ホテルの受付の波打つ髪の女性といい、オーストリアにはいかにも女性らしい愛らしい顔が多い。



 すっかりリラックスしているところへ、植村がつかつかと歩み寄ってきたので、私はあ、と驚いた。待ち合わせよりたっぷり一時間は早く来て、子牛のカツとポテトサラダと泡のブクブクたつミネラルウォーターと、黒パンに本物のバターをつけて、最後は濃いコーヒーをいただこうとしていたのだ。


 彼を見ると、これまでより艶のある顔をして、背広とは縁遠い格好だ。

 色気のある薄黄のシャツと薄緑のパンツ、それに空色のストールをまいた姿はそれこそ星の王子さまといったところだった。


「あ、早かったね。僕もお腹を満たしておこうと思ってね。というか好物を食べたかったのだけどね」

「お会いできて、なんと申しますか、いいようのない気持ちなのですが、仕事からこんなことに発展していまいまして。あ、私もなにかいただきましょうか」

 植村はすでにこちらの住人、のような態度で、給仕を呼びドイツ語で、生ハムのサラダと黒ビールを注文した。それから私の方を見て、彼はにこりと白い歯をみせた。ふたりとも当惑していたのだが。


 「どういえばいいのでしょうか。自分が男だとか相手がややこしい心身だとか、そんなことは全く忘れてしまったんですよ。むき出しの存在にされて向き合って立たされることの自由の喜び、のようなもの、それを分かち合っていい、感じるままに受け入れていいという全く未知の世界に飛び込んだ、そんな感じなのです。だから愛し方も」

 思い切ったように言い始めた植村は、さすがにそこで踏みとどまり、少し頬を染めたようにみえた。


 しばらく、ふたりとも食べることに集中した。薄くてわらじほどの大きさのカツは脂ぽくなく、サクサクとして滋味があった。ジャガイモのサラダにはヨーグルトのようなものが和えてあり、緑の香菜が香った。パンはバターをのせられると甘くないショートケーキのようだった。

 植村のサラダはというと、それだけでご飯のおかずに十分なるほどの量である。生ハムのみならず卵もたっぷり使ってある。昔夫婦で来た時、私のフラウはたいていこんなサラダと少しのパンだけで昼食にしたものだ。



 昼間から飲んだビールのせいか、もうどうにでもなれ、くるならこい、という気持ちになった私は、植村が察しよくこれからの計画を、市街地図をひろげて説明するに任せたのである。が、その途中で、私はひとつだけ質問を入れた。植村の仕事のことである。彼は跡取り息子であったはずだ。


「はあ、ご心配をおかけいたします。実はうちには母親の違う弟がおりましてね、まああまり交流はなかったのですが、大学を出てこの業界に入ってきましたので、それから話をするようになったところ、やたらと気が合ってしまって、いい奴でまた優秀なのです。

 まあそれで、親父もふたりが協力して隙間を埋めるというなら願ったり叶ったり、ということになって、結局私の責任分がやがて半分になる、という見通しですね」




 ケルンテンを訪問するのである。ついにユリアンに会うことが叶うのだ。どこから聞いたのか忘れたが、かなり気難しい男だとも言われている。つまりいわゆる文壇付き合いを好きでないのだろう、そのはずだ。

 まあ、彼の作品を喜んで読み、和訳までしているという私のことを嫌がるわけもあるまい、と思った。私もひとつ、一枚皮を脱いでみようかと覚悟を決めた。





(十一)

 確かに、この愛というものが、脳内に湧きいずる喜ばしい興奮があればこそ、よく知らない者たちが懸念も抱かずひたすら喜びを信じて垣根を越えるのである。性格も信条も意に介さない。愛の喜びの中にすべての説明が含まれてしまうのである。


 私もユリアンへの心の雪崩れを感じた。事実としての彼は違う人間であるかもしれない。それが私の思いを砕かない限り、雪崩れのままに彼の本を読み続けるのである。


 植村が抱いたユリアンへの愛はこれとは異なるはずだ。性愛だろうか、普通それが根本であるように。しかし普通の性愛関係が可能なのか。ユリアンは私よりもいくつか年上であるわけだし。

 そんなことに興味を抱く自分に辟易したが、解明したい不可思議なのである。まじめに知りたかった。



 その家に着いた時にはもう暗くなっていた。夏時間の夜とはいえほとんど光は消えていた。明るい窓に向かって、植村は急ぎ足で突き進んだ。


ドアが開き、光が外にこぼれ出た。その中に女性の姿が現れた。ふたりは軽く抱き合って挨拶を交わした。私も付いていき、植村がさっさと部屋の奥に入っていくので自分からこの女性マリアに初めての挨拶をしたのである。いかにもオーストリア人らしい愛くるしさがまだ十分残っていて、灰色の髪が無造作にその輪郭をつつんでいた。


「さあ、どうぞ中へ」

「ハイ、アリガトウゴザイマス」

 居間とおぼしきよくかたづいてものが少ない部屋に入った途端、私の足がとまった。植村が同じくらいの背丈で細い男性とぴったり身体をつけて、嬉しげに笑いながらこちらを見ていた。

 確かにそれは写真で見た、老年のユリアン シュッティングであった。なめらかな顔の皮膚にはたくさんの皺があったが、それすら美しくて見つめざるを得なかった。植村の完璧な皮膚とその色艶と並べて、その独自性を受け入れて不都合がなかった。


 私は、頭の中に並べていたドイツ語を呟きのように繰り出してなんとか自己紹介とお礼とを述べ、カバンの中をガサゴソさせて(その間にふたりは手を握り合ったまま、からだは相変わらずぴったりくっつけたまま、笑っては顔を見合わせじっと見つめあったりしていた)手土産の刺繍された鞠をいくつか出した。マリアが感嘆の声を発したのを聞いた。


 彼女はとてもあっさりしていて、まるで少年のような振る舞いをした。女性的ではなかった。ユリアンとの関係は、長年暮らしているうちに性愛から人間の情へと変化したものらしい。別れる理由がないまま親しく家族として暮らしているのだろう。



「コウイウ訳デ、和訳ノ限界ガアリマシテ、訳本トシテハゴ著書ノウチ三、四冊シカ出セナイトオモイマス。トイウカ私ノ能力ノ限界トノゴ批判モ納得イタシマスガ」

「おっしゃる意味はよくわかります。ゴリ押しで和訳してもきっと無理なのでしょう。その他の私の文章については、今お書きの本の中で触れていただければ満足ですよ」

 すでに植村を通して出版計画の詳細は承知されているので、私とユリアンとの会話は念押しというような形だけの重みしかなかった。

 仕事への情熱が湧いてきた。植村のような扁桃体への影響は感じなかった。意欲は湧いたがそれは別の感情だった。それでいいのだ、この二人のようにはなれない、こんなエネルギーはとても無い、私の感じたのを言葉にすればこうであった。



 マリアが私のために一部屋準備している間、目の前の二人は触れあったり、見つめあったり微笑みあったり、髪を撫でたり、まるでペットを可愛がるような仕草を見せていた。確かに性的な感覚は感じられたがその点での熱情というより、お互いへの懐かしさ、親しさ、同一性のような形容しがたい関係性だった。


 私には、ショック状態ではあったが、それが嫌なものではなく、たとえどんな接触が二人の間にあろうとも、その基盤として性愛以外のものがあるのだ。たとえたまたま性愛を交わそうとも、それはただの偶然の成り行きの一つである。私は完全にこの関係を受け入れていた。マリアもそうである様子だった。


「娘サンハ今何をシテイラッシャルノデスカ? 帰ッテコラレルノデスカ?」

 私は最後の難問を浴びせた。マリアは少しうっとおしそうな眉になった。両腕をしきりに組み合わせながら、

「そうですねえ、ちょっと今は距離をおいていますわ。もう仕事をもっていますし、それに実の親とも会えるようになりましたし、もう自立した女性です」

「寂シイデスネエ」

「ええそれはねえ。でも親としての責任はもう果たしたんですもの。私は彼女を信じていますよ」


 私は余程ここでマリア自身のことを尋ねようかと思ったのだが、お互いに気にしていることはわかっていただろうが一歩ふみこむことはやはり止めた。彼女の様子をみているとわかる、これまでの二人の関係の歴史の影響なのだろう、そこには家族の幸せを喜ぶ、という利他的な心が核心にあったと思う。


「あ、あさってね、私は娘のリーシーのところに一泊して私の姉のところに遊びにいくことにしてますの」

「ソウデスカ。ドチラヘ。アア、ザルツブルクノ近ク」

「特に意味はありませんよ。これまで彼をひとりにしておくことがなかったので、親戚にはご無沙汰してきましたから、やっと解放されたみたいな」

 そう言って、マリアは小さく肩をすくめて見せた。少しは複雑な気分があるようだった。



 翌朝はまたよく晴れていた。

 明るくなったので部屋の様子がわかったのだが、私が寝かされた二階の部屋の窓からは菜園が見下ろせた。林檎とサクランボの樹が見えた。廊下の端が主寝室で、すでにドアが開け放たれ、その先の窓のカーテンが見えた。その手前に、ユリアンが書庫と呼んでいる書斎があるらしかった。階下の一室にマリアの居場所があるようだった。


 身支度を済ませ、私が下へ降りていくと、コーヒーの香りがした。食器のあたる音も聞こえる。幸せな、そして穏やかな人々が私にそれぞれの言い方で朝の挨拶をしてくれた。この世とは思えないような気がした。


 黒パンとひまわりパンが卓の真ん中に、ナイフがそえられている。

 各自の前には農家風の皿がおかれてある。明るい黄色を基調にした、焼きの厚いものである。

 別の大きな皿にはチーズが数種類とハムの類が並べてあり、大きなパプリカ、きゅうり、トマトが瑞々しい色彩を添えていた。


 私の好きなスタイルの朝食である。小さなナイフで各自が好きなものを好きなだけ取りわけて、バターパンと一緒に食べる。もちろんゆで卵もある。基本的にホテルの朝食ビュッフェの素朴なバージョンだ。


 恐る恐る、というか実は興味津々で二人の愛人たちをみると、昨夜ほどくっついてはいない。時々手やせなかや髪を触ったり、見つめ合い微笑みあったりするのみだ。熱い気持ちがどこまで高揚して、あるいはお互いを喜ばせたいという思いがつのって、どこまでの行為になったのか? それは第三者には立ちいることのできない部分であるが。



 ともかく問題は無さそうだったので、仕事の話の先鞭をつけておかなくては、と私はユリアンに話しかけた。

「シュッティング博士、誠ニ申シ訳ナイノデスガ、イクツカワカラナイトコロガアリマシテ、ヨケレバアトデオ時間ヲイタダキタイノデスガ」

「わかりました」

 ユリアンは青年のような、老年のような不思議な声音で青灰色の瞳を私に向けた。

「でも堅苦しく呼ばないでいいんですよ、君、僕の関係でいきましょう」

「ハイ、ドウモスミマセン」

と、私は言ったが困ったことになったと慌てた。


 日本人にはこの親しい言い方がどうもぴったりこない。学生同士、あるいは同僚同士ならば可能かもしれないが、なかなか越えられない壁として今でも私が苦手とする文法的変化があった。特に「ですます」で話すという関係が想定されているとほとんど不可能であって、そのせいで寡黙になってしまうほどである。


 心の中ではいつもユリアンと呼び捨てにしているので、私はまさに清水の舞台から飛び降りるような覚悟で、どもりながら「ユリアン」と口にしたのであった。

「デハ、ユリアン、今日午前中ハドウスルツモリダイ? イイ天気ダシ、散歩デモシテカラノ方ガイイノカナ?」

「そうだね、少しここら辺を一緒に見て回ろうか。静かでなかなか飽きないところだから」

 それから植村を振り返って、「いいね、ごろう」と呼びかけた。「マリアもくるかい」「私はけっこうよ、あれこれすることがあるから」



 「残りの日々」の中で詳しく描写されている家と庭なんだなあ、と私は懸命に見回した。できたら写真に収めたいものだ。

 植村は自分ではあまり会話に入り込んではこない。彼は英語を使うことになるので、少しややこしくなる。私に対して日本語を使うとユリアンにはわからない会話になってしまうので、気を使うのだろう。しかし、植村の表情は、驚くほどに生き生きと豊かで、もちろん美しくて、私は目的であるユリアンを見たり、植村の顔を見たりして実はとても嬉しく気分が良かった。


 少し野原に向かうと、家畜小屋の臭気! もちろん牛の声が聞こえた。羊の放し飼いという野原もある。首につけた鈴が揺れている。丘の斜面には葡萄棚がいく列もうねりつつ続いている。高さは二メートルもない。小さな房が下がっている。


 いつものことながらその素朴で無駄のない懐かしさと美しさに驚くのだが、煉瓦をつかった古い建築方法が今も普通に踏襲されていて、家の内外の飾りつけもいわば伝統に則っている。日本でたとえば京都の軒並みが現代にまで使用されているようなものだ。


 一軒の住宅で金蓮花が二階のベランダか地面まで咲きこぼれていたのは見事な眺めだった。夏の間、まさに絵本のなかのような世界が広がる。さらに女性たちの装い方が実に自由だった。ファッションやメイクなし、それにブラジャーすらもせずに素肌をさらしている。いわゆるムダ毛の処理なども、都会の住人ならいざ知らず、日光に金色に光らせている。そして、エプロンと呼ばれているものを紐で結わえつけて、朝のパンを買いに出たりする。割烹着の役割なのだが、前開きで着物風に打ち合わせるものだ。


 私はおおよそ好みの間口が広くて緩いので、計算し尽くされた大都会の佇まいも嫌いではない。しかし奥の深さや味わいとなると、洋の東西を問わず、年月をかけ生活を通じて形成されてきた伝統的なものの雰囲気に心惹かれる。日本とヨーロッパと行き来して暮らせたらとつい夢を抱く。

 




(十二)

 ユリアンとともに時間を過ごすことにすっかり味をしめた私は、その後もホテルに飽きるとケルンテンを訪れた。


 ユリアンが執筆している間、植村はとりあえずドイツ語の勉強に打ち込み、それから二人で庭の手入れをした。庭に果物が実り、鳥と競争して収穫するものが多かった。ついでにユリアンが家庭料理をつくると、植村は手伝いながらそれを学ぶのだった。特に、キッチンのテーブルに木綿の布をかぶせ、その上でつくるパスタ、あるいはケーキの類をこねる仕事を植村も好んでいるらしい。自家製の主食、というのは当たり前という社会だ。


 女性は自然にその技を身につけるが(恐らくユリアンもかって)、そのことはフェミニズムとは関係しないらしい。男女問わず生きて行くための技なのである。



 私がとうとう明日帰国するという時に、マリアがリーシーとともに戻ってきた。マリアより頭一つ背の高いリーシーは、あまり愉快そうにはみえなかった。自分なりに家族の変化を納得しようと来たのであろう、植村の美貌にはっとしたり、じっと観察したりするらしかった。植村より少し若く、とても知的な、むしろ鋭い眼光をしている。先端の遺伝子研究に携わっている精鋭なのだそうだ。


 私の仕事がもっぱら父親の本の和訳であると聞くと、彼女は相好を崩して両手をとりにきた。

「翻訳は難しいでしょう、不可能じゃない?」

 すでにくだけた口調である。私がなかなかに困難である由をいうと、

「でも内容的にわかりやすいのは猫の話、あ、あれ、いいでしょ。それに犬の話、もう情感たっぷりで父とは思えなかったの、最初読んだ時。でも人間はくびきにつながれていて厄介だけど動物はそのままだから、ここまで愛せたのかなって」

 植村の視線を感じた。彼もリーシーを観察しているのだ。私は彼女の笑顔で一気に親しい気分になった。



 別れの夜、全員が集まったときの話題がリーシーとの出会いの話になった。

 両親の離婚の後、彼女は父子家庭で暮らしたのだが、環境的に適応できず、十歳までにできあがっているはずの社会化に問題が起こっていた。もともとの資質も影響したかもしれない。里親を何度か替えた後、ユリアンとマリアを両親とする家にやってきたのであった。これまでの里親と異なる環境で、社会化するべき規範がとっぱらわれていた。


「心地よかったわ。ここでは社会の根本ががんじ絡めじゃなかった。人並みの挨拶と配慮だけは要求されたけど、それ以上のことはまるっきり自由だった。するとあたしの本来の生命力と想像力と喜びが湧き上がってくる。そして初めて恋したのが男の子だった時ね、みんなでラッキーとお祝いをした。なにかとスムーズだし、惑いなく研究に打ち込める」

「デ、失礼ナ質問デスガ、恋人トカイル? 結婚ハ予定アル?」

 私は単に興味から質問したのだが、反応は意外なほど強かった。


「ああ! それがね! 自由な開けた人物がいても、運悪く双方の好みがどうも一致しないのよ! 子供を育てたいと願っているのにねえ! うまくいかない」

 リーシーの愛らしいところが次第に見えてきた。知的でしかも自然だった。



 帰国すると、私は早速「犬の話」を見直してみた。


***

 忠誠はお前の徳性ではないので、私とフランチスカの価値が異なるともほとんど同じに好いてくれるのはお前には造作もないことだ、

それはつまりたまたまお前が共にいる人物を少し多めに好きだということだが(そしてお前がフランチスカと居て実際はしばしば悲しそうにしているのは、

私と居てウィーンの森レストランへといっかな連れて行ってもらえない場合とほとんど違わない)。

短い散歩のためにお前を迎えに行くと、お前はあまり喜びをあらわさない、これは賢い魂の節約法だ、そしてそのかわりにマリアンネのところのおやつまでの散歩に変えようとする。


一日中預かりに行くと、まずお前は私の家へどうしても行きたがり、意気揚々と先に急いで小高い野原をこえ、住まいを我がものとして、すべて変わりがないかあるいはすぐに元のようにもどるかを確かめたあと少し休んでからもちろんたっぷりの散歩と食べ物屋へ、たいていは私とふたりきりだ、何故なら私がお前をこの一日中誰とも分かち合いたくないから(しかしときには誰かがお前がいることに驚いたりする、マリアンネだけはすぐに電話でお前を聞きわける)、

夜に帰るのはどちらも嫌いなのだが、さまざまな寄り道をお前は教えてくれる。

しかし望むよりより多くお泊まりできたり、してもいいことが増え、あの以前の楽しかった時のようにお前がまた夜空の下、小さな池で水を飲むのを見たり聞いたりする、そして遅くとも床に就くときには、ふたたび我々の時だ、まるで全然分離がなかったかのような。昼間かなり歩いてから最後にはもどり、ふたりとも、一日という日を我々のたくさんの日々にすることができたことに疲れて。


そしてより当然のこととしてフランチスカが一週間あるいはもっと長く旅行する場合、お前は完全にまた私のものだーー部屋全部がお前のベッド、すべてのそこらのものがお前を受け入れるために広げられている、シバの女王だ、友人たちに会い食べ物屋へいく愉快な生活がふたたびゆったりと進む、お前がここにいる時間を使わなきゃと思う必要もなく、仕事の時間を過ごす手伝いもしてくれ、これが永遠には続かないことをふたりとも忘れている。


いつもこう簡単にいくわけではないーー

時にお前は興奮して私の周りを跳びまわる、まるで用を足してお前を楽にするのにちょうどいい時に来たかのように

時に帰路の半分以上がすぎるまでお前は息を切らして歩く、そして長い間私と一緒に居なかったかのように魂の迷子になっている、やっとそうだ、我々の時なのだとはっと気づくまで。(確実にお前がわかるのは我々がフランチスカを駅まで送っていったときだ。彼女がスーツケースを詰めるのを見ると興奮し、私の開いたままのスーツケースは悲しくお前を眠らせる)

しかし本当の憂鬱が訪れるのは、フランチスカが居るのにわれを忘れるほどふたりの時間に没頭していて、彼女がお前を自分の犬だと文句を言うときーー

もちろんこれは君の犬さ、と私は言う、私の犬だったんだけど。ときどき忘れちゃうんだ、いつもそのことを思い出すのはとても辛いんだ、どうぞ私を君の出張のときの犬シッターとみなしていいよ!

そう言ってから私はお前をもう見たりしない、すぐに私の心から本当にお前は消えたかのように、ただもっとひどいのは、お前の愛着のようなものに出会うときだ(もっとも私が去るとき、我々はやっぱり真実を語る一瞥をかわすのだが)




 できるだけユリアンの一言一言を忠実に再現したいと思うので、時にうるさい感じがする和訳だ、たしかに。文章はすらすら運ばなくて、ひっかかり逡巡し説明を尽くす、物事も心理もそう簡単ではない。もしそのすべてを書き表そうとすると、文章も重層となり、交錯する、錯綜する。

 ここでは、犬も人も意識的に同じに取り扱ってある。犬にも心があり愛情があるという強調の仕方ではない、人と犬の垣根がないこと、それが表現されている。





(十三)

 人間の世界は実にさまざまな局面を含んでいるものだ。たとえば今や全盛期(今後の発展次第では初期であるのかもしれないが)にある個人の日記(日々の出来事の報告とそれについての感慨の付加)、いわゆるブログをのぞいてみると、まずはカテゴリー、あるいはジャンルを指定することになる。

 

 その可能性はたとえば大手のヤフーでみると、(カテゴリーが偏っているようにも見えるが)とりあえず千個以上には細分化されているだろう。それもかなりまだ大まかな分類だ。


 ユリアンが毎年大量の文章を書いている、その内容は多岐にわたる。視線を少し変えて、ウィーンのワルツから山登りへ移行する、あるいはカテゴライズの切り口を人の内面へ移動させればまた無数のジャンルが見えてくる。たとえば芸術、それも絵画、あるいは美学へと関心が移るだろう、その一切れだけで一冊の本になる。


 しかし、読者は普通、この現にあるシステム内における詳しい情報や、有利な考え方を求めるものなので、ユリアンの書いている本では具体的な掴まえどころがわからず、漠然とした印象しか得られない。苦労して読む甲斐がないということになる。

 はみ出しものの共感と親しさによってのみ、読み継がれていくのだろう。



「花村先生、またケルンテンからです。お元気でいらっしゃることと。執筆は「遅々として進まない」ということですが、この際研究は、ゆっくりあと何年もユリアンが生きている限り続けていただくことになるでしょうから、分冊で出すという手もありますし、貴重な稀な本として心置きなく時間をかけてくださいますよう。その方が内容も充実することと思います。

 さて、ここでの稀れなる家族関係がまた、もう一段と稀れになるかもしれません。リーシーが子育てを希望しているのです。また養子をとることもありえますが、一人は実子がほしいと、しかもです、しかも他ならぬ僕の子が欲しいのですって!!!」


私はあまり驚かなかった。今になって思えばリーシーは最初から植村が気に入っていた。彼女の性的指向はヘテロではあるらしいが、遺伝子的にまた性格的に彼以上の男を探すのは(しかも可能性のある身近で)難しいとすぐに結論を下したのだ。


 ワイフがすぐに「凄いわね」と反応したので、こいつは一体どういう社会に属しているんだ?と可笑しくなった。

「でどうなんでしょうね、人工授精? それとも」

「え。それともって。自然授精。それって性交するってこと?」

「そうよ、誰でも彼とならやってみたいわよ」

「え。お前もそうなの?」

「バカね、当たり前でしょ。恋は盲目というほどの恋愛モードに脳がなっていない限り、異性の価値に反応するのよ」


 これには参った。

 いや、彼女を責めるわけでは毛頭ない。ケルンテンで起こるであろうことが予想外の行為を生みそうで衝撃だったのだ。どうする植村君。

 最もわずらわしくない手続きである、もし合意がえられれば。


 ユリアンだとて最後の年数を生きているので、この最後の天恵のような輝かしい思い出が未来へ残されていることに価値を見るのではなかろうか。それとも嫉妬をいだき、心が傷つくのであろうか。とりあえず人工授精なら僕がやきもきするほどの影響はでないように思われる。




 秋風が吹き、人肌の恋しいような涼しさが思いがけず早く訪れた。

 沈黙があったのち、植村は長いメールをくれた。

「花村先生、ご無沙汰しておりました。

 例の件では進展がありました。

 ユリアンはこう言いました。自分たち二人の関係は、哲学的な次元、あるいは前世的な因縁に基づくもので、現世の価値や判断とはまったく異なるものである。見出しあった喜びは真実であり、尽きることも裏切られこともない、ただ喜びに満たされるのみだ。その自由さと親密さが天から許されているふたりである。


 従って、僕が女性との肉体的な喜びを得ることに少し嫉妬があるとしても、克服することのできるほどのものだ、そうです。しかもリーシーとの子供なら自分には孫にあたる、そこが嬉しいところだ、とも。

 それで、こんなことをメールに書くのは少々憚られますが、しかるべき時期に彼女と旅行に出ることになったのです。

 彼女は女性として僕には最高の人ですし、もし先に出会っていたならどうなっていたかわからないとも思います。


 それで、まあ始めたわけです。十分に魅力も感情も双方感じました。しかし、やはり、倫理的な、といいましょうかその垣根が意外に強くそびえていました。欲動としてはそのまま進みたくても、別のところが阻んできます。一度犯すともうとりかえしがつかない、という感じでした。まるでアダムとエバみたいに。

 それで、泣く泣く、というのに似たような状態で、各自が溢れる情と反応をバスルームで流したのです。(失礼、こんなことまで)


 その結果、やはり人工授精を選ぶことになり、ただ精液の採取には彼女に手伝ってもらったのです。十分なやり方で。

 その後の医学的な処置などに付き合ううちに十分に夫婦、というか両親としての責任感が溢れてきました。


 そして今日、おそらく妊娠した、という結果が入ってきました。それで、すぐにこうしてお知らせした次第です。

 花村先生は僕にとって仲人のような存在となりました。今後もずっと見守っていただきたいと思います」



 そうか、と私は腕を組んだり、顎に手をやったりした。どこを探しても心のうちに異様な、飲み下せないようなものがなかった。


「あらあ、そうなの。なんて不思議なファミリーでしょうね。そうねえ、そうだわ、何も近親の血縁にこだわる必要ないんだわ。こだわるからこそ宗教や慣習や地域や言葉や、いろいろ波及して、違いを取り上げ受け入れられないっていう人間の未発達の部分が刺激されるのよね。そしておきまりの戦争。

 考えてみてよ。親、祖父母、その親と遡っていくと、たちまち遺伝子は大きなプールになってしまうのよ。同じプールから異なる組み合わせが出現したに過ぎないんだもの」


 私のフラウには科学記事のおっかけという趣味もあり、この手のことも喋り出すと止まらない。独自の戦争反対論、戦争無意味論をぶつのだ。

 うんうん、と頷きながら、自分たちに子供のできなかったことを考えていた。

「里子、という制度を一度考え直してみようよ」

と、私は彼女に言った。

「小さい子には需要があるだろうけど、十代の子は受け入れが難しいはずだよね。ひょっとして僕らならひとよりうまく対処できるのじゃないかな」





(十四)

 それから俗に言う「とつきとうか」程がすぎた。シュッティング家に孫娘が生まれた。当方花村家も里親としての活動を開始しし始めた。


 私の執筆は、どの本を解説するか次第ですらすらと運んんだり、あるいはその反対、という具合であったが、ユリアンに少し衰えが見え始めたらしく、植村との関係は徐々に介護と看護、庇護の面が強くなったという。予想していたことではある。


 ユリアン自身の執筆は、ほとんどイコール生きることであるので、体調によるとしてもそのペースには変わりない。植村との非常に純粋な傾倒は、従来個人的なことを書くのを避けていたユリアンではあったが、哲学的、スピリチュアルな人間愛として新しい「愛の詩」をうむのではないかという気が私にはしてきた。それがどんなものなのか、我々には見当もつかないし、そもそも人間にはいまだ開示されてもいない、そんな種類なのではないだろうか。



「花村先生、最近のご報告ですが、僕とユリアンとの関係、それに僕とリーシーとの関係が意外な、と言いますかどこかで予想していた通りと言いますか、するすると無理なく変化してきています。

 つまり僕はいい父親として彼女に認知されてきたのです。ユリアンはいい祖父として、喜んでカーチャの父親役を僕に果たすよう願っています。願うようになっています。


 僕と彼女は、、、なかなか難しい立場です。しかしこれまた何と言いましょうか、危惧も不安もなくお互いを信頼しているところがあるのです。これはいい兆候ですよね。熱に浮かされたわけではなく、性的には十分にオープンな関係を保っていますし」

 おやまあ、と私はそこで読むのをやめた。


 やはり寝たのか、いいのかそれで? 本人たちでなければわからない、あの世界に住む住人だけにわかるというものの見方があるのだろう。それは私にも、シュッティングの専門家にもとても測り知ること不可能な世界だ。少なくとも今はまだ。



 しかしすぐ続けて植村が書いている、出版を急ぎましょうには驚いた。ユリアンに早く見せたいということである。

 私は、書斎で机に向かったまましばらく前から頭に浮かんでいたイメージが少しはっきりしてきたのを感じていた。


 人間がチンパンジーにもっとも近いとすれば、かれらの野生でのかなりの攻撃性とヒエラルキーはそのまま受け継がれている。一方ボノボという別種が発見された時、おどろいたことに性交を挨拶がわりに用いて非常に友好的な社会を築いているというのである。性交について、私としてはあまりいい感じをもっていない(嫌いだというのではないが、騒動や苦悩の原因になりすぎる)ので、ボノボのようになりたいのではない。いずれにしろ驚きの世界ではある。


 しかし、未知のことをさらに考えている暇もなく、私はまたパソコン画面に向かう。ユリアンのたゆまざる筆跡に倦むことなく挑戦し、日本語に変えていくのである。

       

           この項 了


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希少率0、8%木原東子の思惑全集 巻2 恋愛ものプラス 「存在の涯を物語る」「受容ホルモン」「妻を娶らば」「ユリアン」  @touten

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