わたしと、かれと
奔埜しおり
会いたい人は、いますか?
《会いたい人はいますか。また、その理由はなんですか。英文で答えなさい》
うげ、なんて、心の声がポロリと出かけて慌てて飲み込む。
先生がチラリとこちらを見た気がして、私は真剣に問題を解く。……フリをする。
個別指導塾だから、担当してくれる先生はたいていすぐ近くにいる。
普段は複数の生徒を一人の先生で見ていたりするけれど、入試が間近に迫ったこの時期になると、一人の先生が一人の受験生についてくれることが、ちょこちょこ増えてくる。
今のコマは、そのちょこちょこ増えた一対一のうちの一つなので、集中していなければ一発でバレるわけで。
まあ、フリでもしないよりはマシ、だ。うん。
会いたい人、会いたい人……。
誰だろう。
一瞬浮かんだのは、えくぼが特徴的な、あいつ。
慌てて脳内から追い出したのは、すぐに顔に熱が集中したのがわかったから。
「はい、終了」
横から声がして、鉛筆を置く。
「どうしたの、ゲンナリした顔して……」
「せんせー、この問題嫌いです、私」
トントン、と人差し指で突くように例の問題を叩けば、ああ、と先生はなんとも言えない表情を浮かべる。
「もしかして、さっきから唸ってたのはこの問題で悩んでたから?」
「ですです。なんなんですか、友達いない人にはいじめじゃないですか」
「羽瑠ちゃんは友達、いないの?」
「……せんせーってえぐいことサラッと言いますよねー」
「そんなことないわよ。羽瑠ちゃんには友達がいるってわかってるからこそ、そんなことを言ったわけで」
会話をしている間にも、キュッキュッと先生の白い手に握られた赤ペンが丸つけをしていく。
その薬指にキラリと光るものを見つけて、うっわ、と声が漏れる。
「せんせー、色気づいてる!」
「え? あ、やだ! 外すの忘れてた!」
やだやだ、なんて言いながら、先生は慌てて右手の薬指から指輪を引っこ抜く。
そのまま胸ポケットにしまってしまった。
チラリとこちらを向いた前の席の生徒は、別の先生から、集中しなさい、と注意を受けていた。
可哀想に、ごめんね、騒いで。
「えー、彼氏ぃ?」
「そんなことよりも、ほら! 丸つけ終わったよ」
小声でからかえば、先生は話を誤魔化そうとする。
はーい、といい子の返事をして、私はテストに目を向けた。
「毎回言ってるけど、わからないと思った問題は、問題用紙に印をつけておいて、飛ばして次の問題にうつりなさいよ? あんまり悩んでると、見直しできる時間が減るんだから。ほら、ケアレスミスがたくさんある」
見直しができてれば、ちゃんと丸になってた問題ばかりだよ、なんていつもの注意に、ふんふん、とうなずく。
いつものことなので、先生もその反応にはいちいち突っ込むことはせず、順番に問題を解説してくれる。
それをノートにメモしながら、私はさっきの最後の問題……会いたい人はいるのか、という問題について考えていた。
と、先生の解説も、そこに追いついてくる。
「会いたい人、いなかったらいないです、でいいのよ。ちゃんとその理由も英文で書けばいいんだから」
「会いたい人はいません。特に誰かと会いたいと思うことがないからですって?」
「そうね。まあ、あんまり試験管からの受けは良くないでしょうけど」
「でっすよねー」
予想出来たことだけど、あまりにも面倒すぎて机に伸びをするように突っ伏する。
「会いたい人、いないの?」
「……だって、会いたいってわざわざ思わなくても学校で会えるし。学校で会えなくても、今はSNSとかあるじゃないですか。直接会わなくてもなぁって」
「あー、そうね。確かに、そうかも。じゃあさ」
こう言い換えてみようか。
*
寒い日は空が澄んでいて、星がよく見える。
なんて、どこかで聞いた話を思い出して、ゆったりと空を見上げた。
真っ暗な空には、オリオン座が見えた。
吐く息で白く染めてみようとしたけど、上手くできなくて諦める。
まあそもそも、距離がえぐいくらい開いているのだから、そんなことできるはずがないけども。
「来ないかなぁ」
イルミネーションで着飾った街路樹と、広場。
そこから少し外れた、小さな公園。
塾からの帰りに買った缶コーヒーは、すっかり冷えている。
ブランコなんて、どれくらいぶりに乗っただろう。
まあ、漕いでないから、乗った、とはちょっと違うかもしれないけど。
乗ったじゃないなら、なんだろう。腰掛けた、かな。
ああそっか。
最後に乗ったのは、二年前だった。
あのときは、彼氏がいた。
まあ、そいつとイルミネーションをちゃんと見ることは無かったけど。
というのも、まあ、二年前に別れたからで。
理由は、すごくド定番というか。
彼氏が二股を掛けていたことが発覚したのだ。
しかも、彼氏が選んだのは私じゃないほう。
捨てられて、その場では気丈に振舞ったけど。笑顔で嫌味をぶん投げたけど。ついでにもらったアクセサリーも顔面めがけて投げ返したけど。
まあ、悔しくて。悲しくて。苦しくて。
この公園でブランコに乗ってゆらゆら揺れながらポロポロ泣いてた。
そしたら、向こうから同じようにボロ泣きしてる男子がやってきて。
驚いて、大丈夫ですか? って聞いたら、向こうは目をまん丸く見開いて、そちらこそって返してきたんだっけ。
そいつも、同じ理由で彼女と別れてしまったあとだったらしく。
色々と話してたら、かなり話が合う人で。
「よかったら、お互いに相手がいなかったら、また来年も話しましょう?」
そんな提案が、なんとなくおかしくって。
いいですよ、って返して、解散して。
家に帰ってから、連絡先も、名前も知らないことに気づいて、驚いた。
でも、まあいっかってちょっと思った。
たぶん、そのくらいのほうがちょうどいい気がしたから。
その次の年。
つまり去年のクリスマスも、この公園で会って、話した。
学校の友達と話すような世間話も、学校の友達とは話さないような、ディープな趣味の話も。
ただただ楽しくて。
時間はあっという間に過ぎて、門限に間に合う時間には解散した。
笑うとできるえくぼ。
からかえば大袈裟な反応が返ってくる。
いつも笑顔が沢山な人で。
解散してから、また会いたいなぁ、と思ってしまう。
そのくらい、一緒にいて楽しい人だ。
「こんばんは」
ひょっこりと公園に現れたのは、ひょろりとした痩せ型の男子。
「去年ぶり」
笑って手を振れば、振り返してくれる。
近づいてきた彼は、そのまま隣のブランコに腰掛けた。
キコキコ、という少し頼りなさげな音が、二つ。
重なるような、すれ違うような、そんな音が、心地いい。
「今年もクリぼっちですか」
「お互いさま」
「ですねー」
ぽつり、ぽつり。
呟くような、そんなペースで続いていく会話。
パッと見、賑やかじゃない。
静かなのにどこか騒々しい塾と比べて、ここは世の中から切り離されたようにしん、としている。
その中にゆっくりと水滴を落としていくような。
そんな会話が心地いい。
「ねえ」
「はい?」
「あんたには、会いたい人っている?」
「会いたい人、ですか」
「そ。なんか今日塾でそんな問題があって、悩んじゃったんだよね」
「ああ、なるほど」
うなずいてから、彼は少し考えてから、ふんわりと笑った。
「その問題にそうのかわからないですけど、俺は、あなたに会いたいなと思ってここに来ましたし、今日も会えてよかったな、と思ってますよ」
「わー、すごいこと言う。でも、まあ、そうかも」
そのまま、また、ぽつり、ぽつり。
話は続いて、いつも通りの解散の時間。明るい道まで送って貰って、手を振る。
「さっきのあの問題ね」
「問題?」
「会いたい人のやつ」
「ああ。その問題が?」
「私、書けなくて。そしたら先生が、そのとき一緒にいたい人って、つまり会いたい人じゃない?って」
「なるほど、確かに」
ぱん、と手を打ち合わせて彼が納得する。
それが、先生から言われたときの私の反応とそっくりで、ちょっとおかしかった。
「でさ、今日はあんたと一緒がいいなって思ったから、たぶん、今会いたい人はあんただったのかなぁ、とか思った」
言ってからなんだか照れくさくなって笑えば、そっか、と彼から返ってくる。
素っ気ない返事だけど、たぶん耳が赤いのは寒さのせいだけじゃないと思う。
「じゃあさ、友達になりません?」
「つまり?」
「自己紹介から始めて、クリスマスイブ以外にもこうやって色々話したり、どっか遊びに行ったり、みたいな」
「……ナンパ?」
「違いますー」
からかえば、頬をふくらまして反論してくる。
それにケラケラと笑って、私は右手を差し出す。
「私、羽瑠。よろしく」
すると、驚いたように彼は目をまん丸く見開いて、そして微笑んだ。えくぼが浮かぶ。
「俺は、晴琉です。よろしくお願いします」
わたしと、かれと 奔埜しおり @bookmarkhonno
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます