26th Attack: 尋問

「山城さん」

 放課後、山城やましろ野々香ののかが自分の荷物をリュックサックに放り込んでいると、佐渡さど瑠衣るいの方から声をかけてきた。

 瑠衣の表情ははっきり言って怖い。普段の彼女からは威圧感を一切感じなかったのに、今はまるでオーラをまとっているようだ。

 彼女の方から話しかけてくることも初めてだし、一体何事だろう。そんなことに戸惑いながら、野々香は答えた。

「な、なに? 今日も練習するよね」

「その前に、お話があります」

「どうしたの、そんな怖い顔して」

「とにかくまずは用務員室へ行きましょう」

 口調も、いつもよりなんだか強い気がする。


 一体、何の話だろう。未だに乗れず苦労してるし、練習方法を変えたいとか、そういう相談だろうか。まさか、自転車はもう諦めるなんて言わないよね……。

 それともフラーレンの話? あいつに自転車のことを秘密にしておくよう、口止めしとけとか頼むつもりかなー。一応、すでに言い含めてあるんだけど。


 野々香がそんな想像をしていると、いつの間にか用務員室の中にいた。

 用務員の岡島は不在だった。仕事でどこかに出払っているらしい。部屋の奥には、自分のロードバイクが鎮座している。

 野々香は、一段上がった畳部屋に座るように瑠衣に誘導された。以前ここに来たとき、畳部屋には雑誌が乱雑に放置されていたが、今日はすっきりと片付けられていた。

 すぐに瑠衣が話し始めるのかと思ったら、しばらく伏し目がちにして黙り込んでいるので、しびれを切らせた野々香は口を開いた。

「それで、話っていうのは何? 早く終わらせて自転車の練習始めようよー」

「……はい。うちは自転車に乗るって決めました。こけちゃってくじけそうになったけど、もう諦めません。岡島さんに勇気をもらいました」

「そっかー。良かった! もう自転車やめるって言うんじゃないかと冷や冷や――」

「だけどその前に、一つ解決しておかなければならない問題があります」


 問題? やっぱり佐渡さんが自転車に乗れないことを周囲に隠しておくことだろうか?


 しかし、野々香を待っていたのは全く予期せぬ言葉だった。

「それはあなたです」

 野々香は思わずたじろいだ。

「……山城さん、うちに何か隠し事をしてますね?」

 野々香の心臓が激しく脈打った。汗腺が緩み、じんわりと手が汗ばむのを感じる。

「うち、嘘は嫌いです」

 そのとき、瑠衣は顔を上げた。真っ直ぐな目で野々香を覗きこむ。

「ママチャリのこと、用務員の岡島さんに謝ってくれたそうですね」


 あ、なんだ。そんなことか。


 野々香はそれまで感じていた緊張が一気に解けた気がした。

「それはね、私が壊したことにすれば、佐渡さんが自転車の練習していることはタエちゃん岡島さんにバレることは無いと思って。佐渡さんが直接謝ったらなんか変だし。だから黙ってたんだー。ごめん!」

「もう岡島さんにはバレてます。とっくの昔に」

「あ、そうなの。アハハハ……」

 流石タエちゃん。そういうことに関しては勘がいいと、野々香は思った。

「さ、話は終わりでしょ? 練習行こうよー」

 野々香が立ち上がろうとすると、瑠衣が制止した。

「まだです。まだ終わってません」

「え?」

「もっと何か、重大な秘密をうち――いや、うちたち全員に隠してますね?」

「ど、どうしてそんなこと聞くのよ」

「お昼休みは何をしてるんですか?」

「お昼? ロードバイクでそこら辺を走り回ってるけど」

「うちは言いました。嘘は嫌いです」


 しまった、これは誘導尋問か。

 何故かは分からないけど、佐渡さんは私がお昼に別のことをやっているって知っているんだ。保健室に入るところを見られた? いや、だとしたらもっと直接的に聞いてくるんじゃないかな。


「……みんな、なんで平気で嘘をつくんですか? うちには全く理解できません。その先に待ってるのは破滅だと分かっているはずなのに。うちの……お父さんみたいに」


 お父さん……?

 突然出てきたフレーズに、野々香はただただ戸惑った。


「うちのお父さんはギャンブルが好きで、競馬、競艇、、なんでもやった。ギャンブルで負けて、借金して、また負けて……。うちたち家族にはギャンブルはもう辞めるとか言っておきながら、それでもギャンブルをやって……挙げ句の果てには、うちたちをおいて夜逃げして……」

 興奮しているからだろうか、瑠衣の丁寧口調が崩れていた。

 野々香は、スポーツをほとんど知らない瑠衣がなんで競輪を知っていたのか、合点がいった。

 日本における競輪は、スポーツであると同時にギャンブルの側面を持つことを野々香は知っている。一方、日本を除くほとんどの国では『KEIRIN』という純粋なスポーツだ。ルールもかなり異なる。

 しかし、瑠衣にとっての競輪はギャンブルでしかないのだろう。

 野々香は沈んだ気分になった。

「しばらくしてから、お金を作って必ず戻るって連絡があった。でも、それすら嘘だった。お父さんは、女を作ってた。酷い裏切りだった。だから、嘘をつく人は信用できない。嘘なんか金輪際聞きたくない」

 野々香は何も答えられなかった。


 確かに私は嘘をついている。みんなに自分の病気のことを隠している。

 どこまで佐渡さんが私の病気のことを知っているのか、全く分からない。と言うか、多分彼女は何も知らない。

 だとしても、彼女は警告しているのだ。

 嘘の内容がなんであれ、嘘をつくことはいつか瑠衣のお父さんのように身の破滅を招くかも知れないと。


「それで山城さん。話してくれませんか」

 少し間が出来たことで瑠衣は落ち着きを取り戻したのか、口調が元の丁寧語に戻っていた。

「私は……確かに嘘をついたよ。それについては謝る。ごめんなさい」

 そこで一旦言葉を切り、野々香は瑠衣の顔色を伺う。瑠衣は、相変わらずこっちをじっと見つめている。

「だから、また一緒に自転車の練習しようよ。ね?」

「ダメです」

「え……」

 瑠衣は呆れたように声を荒げた。

「信用できません。あなた……うちの秘密は散々探っておいて、自分のことは何も話さないんですね。お昼休みに何をしてるんですか? あなたのロードバイクがここに放置されていることをうちは知ってるんです」


 そういうことか……。

 誰も用務員室に近づけたことは無かったし、そもそも誰も用務員室に用事が無かったから、今まではそのことを気付かれることが無かった。

 失敗だったなー、佐渡さんを用務員室に招いたのは。


「どこに行ってるんですか? 隠してないで言いなさいよ。さぁ!」


 野々香は選択を迫られた。


 自分が昼休みにどこへ行って何をしているのか。


 それはつまり、自分が一型糖尿病であることを白状すると言うことに他ならない。あんな話を聞かされた後で、嘘なんかつけるはずがない。


 だけど、佐渡さんはどう思うだろうか?


『山城さん、あなた死んじゃうの?』と悲しむだろうか?

 誤解だ。一型糖尿病はすぐに死ぬような病気じゃない。


『そんな大きな病気隠して、あなた死にたいの?』と怒るだろうか?

 誤解だ。隠してたって生きていくことはできる。ちょっと生きづらくなるだけだ。


『糖尿病だなんてメタボおじさんがかかるような病気とかまじウケる』と笑うだろうか?

 誤解だ。一型糖尿病はメタボなおじさんじゃなくても発症する。そうやって笑うお前にだって可能性はあるんだ。


 でも、一番嫌なのはこれだ。


『一生病気と付き合わないといけないなんて大変ね』と哀れむだろうか?


 私は別に特別なんかじゃない。

 私はただ、あるがままの自分を受け入れて欲しいだけだ。

 同情なんかいらない。ましてや、絶対に哀れんでなんかして欲しくない。


 哀れむのは別に構わない。だけど、そこから何か行動を起こさないのは、自分が無関心であると表明していることに他ならない。

「世界にはご飯を食べられない子供達がたくさんいるんだって。かわいそうね」

「いじめられた子供達が自殺するなんて、かわいそうね」

 そう言うのは簡単だ。

 しかし、それは自分とは無関係だからそんなことが言い方ができるのだ。

 哀れむくらいなら行動を起こせ。


 どうする。なんて答えればいい?


「私は……」


 野々香は、決断した。

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やんばるの風になる! 草薙 健(タケル) @takerukusanagi

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