第107話 鶏の唐揚げ(4)

 大声で「美味いっ!」と叫んだオセフの顔を見ると、サムエルとコルドも慌ててビールを口にする。

 飲み方などを参考にしようとオセフを見つめていた二人は同じように一気にビールを流し込んだ。


 ヒリヒリとする喉を我慢して更に奥へと流し込む。

 やがて我慢ができなくなった頃、薄玻璃のグラスをそっとテーブルに下ろす。


「――プハァッ!!」


 まだ喉の痛みが残るがそれを我慢しつつ、吹き出した声とは別のやり取りの声がでてしまう。


「くーーーーっ! うまいっ!」

「ああ、うまいっ! なんて美味い酒なんだ!」


 グラスをカウンターに置き、サムエルとイサークが生ビールの感想を述べあう。

 静かにグラスを置いて、感想を述べるのはゴルドだ。


「お、美味しいですっ」

「おお、うめぇよな!」

「喉の渇きがどんどん満たされていくようだ」

「うん、俺もそう思ったんだ」


 四人はそれぞれに初めてのビールの味について語り始める。喉を通るときの感覚がたまらないだの、炒ったような香ばしさとホップの香りがいいだのと、各々の言葉を連ねていく。


 そこに、厨房からビールを注いだ薄玻璃うすはりのグラスを持ってプテレアがやってくる。


「もう始まっておるか?」

「まだ話さないといけないことはあるけど、食事は始まってるわ」

「妾は……」

「お父さまの隣に」


 クリスに確認し、プテレアはエドガルドの隣に着席する。

 オセフやイサーク達はグラスに残ったビールを飲み干し、盛り上がっていたが、ようやくゴルドがプテレアに気づく。


「こ、これはプテレア様ではありませんか」


 少し慌てたようなその言葉に、盛り上がっていた残りの三人もゴルドの影からヒョイヒョイと頭を出す。


「おおっ、プテレア様だ」

「おおっ」


 イサークとサムエルは声をあげて驚く。オセフは驚いたような顔をしているが、声を上げるほどではない。この街で生まれたイサークやサムエルはプテレアのことをよく知っているが、オセフはあまり馴染みがないのだ。


「気にせずやるといいのじゃ」


 プテレアは少し疲れたような表情をみせると、エドガルドの前に置かれた小鉢から枝豆をつまみ、房を齧る。


「あら、もう飲んじゃったのね。おかわり、いるかしら?」

「「「「もちろん」」」」


 オセフやイサーク、サムエル、ゴルドの四人はクリスの問いかけに対して全く遠慮しない。

 最初に口をつけると、飲み干してしまうかのような勢いで飲むことが多いのがビールだ。ものの数分もすれば、中身がなくなるのは仕方がない。

 クリスは四人からグラスを受け取り、丸盆の上に席順に並べると、カウンター内と厨房の間にある台に置いて厨房へと移動する。途中、既に空になっているエドガルドのグラスも回収していった。

 それと同時にカウンター席の周辺は少し静まる。

 横一列に並んでいるせいでオセフやイサークからはエドガルドが視界に入らないし、サムエルとゴルドは背を向ける形になって話をしていたのだが、視線でクリスを追っていくと四人の視界にプテレアとエドガルドが入ってくるからだ。


「と、ところでプテレア様はどうしてここに?」


 少し慌てた様子でサムエルが問いかける。

 この街の住民にすれば、プテレアはグランパラガスの周辺にしか現れることがないと思われているからだ。


「妾は縁があってこの店に世話になっておるだけじゃ」


 コクコクと小さな音を立ててビールを喉に流し込むと、プテレアは説明を続ける。


「その縁がこの街の下水工事とやらに広がったのじゃ」

「へぇー」


 サムエルが納得した体で感嘆してみせると、他の三人も首を縦に振ってそれに続く。


「下水工事ってのは、どんなことをするんで?」


 続けてサムエルが尋ねると、他の三人も興味深そうに顔を覗かせる。


「それはじゃな……」


 プテレアは困惑したような表情を見せると、眉尻を下げてエドガルドの方へと顔を向ける。

 細かいことはまったく解っていないので、そのままエドガルドに任せようという魂胆だ。


「コホン……まだ詳しいことは決まっておらぬが、行政区から住宅区、交流区へと地下水路を作る。水は高いところから低いところに向かって流れるからな。サン・リベルムから水を汲み上げ、その地下水路に水を流して糞尿や生活排水を街の外へと捨てられるようにする。

 ただ、そのまま捨てるのではない。汚水の浄化もする予定だ」

「浄化、ですかい?」

「左様。街に散らばった汚物を洗い流した水を、再度飲めるくらいまで綺麗にするということだ」


 エドガルドは何度かシュウからその方法を教わっているものの、概念的な程度でしか理解できていないので、これ以上の質問には答えられない。

 そして、オセフ、イサーク、ゴルドを含む四人の中では最も頭の良さそうなサムエルも深く突っ込むことはなかった。

 サムエルもあまり深く聞いても理解できそうにないことに気がついているのだ。それなら、他の三人も興味を持ちそうなことを尋ねるほうがいい。


「はーい、おまたせしましたぁ」


 クリスが厨房から戻ると、そっとエドガルドにビールが入ったグラスを差し出す。そのまま、また厨房とカウンターの間にある台に載せたビールを一番奥に座るオセフから順に配り始める。


「ほい、あがったよ」


 厨房からシュウの声がでる。

 ことりことりと小さな音を立て、厨房とカウンターの間にある台に並べられると、エドガルド、プテレアの順に運ばれ、オセフの前にもそっと差し出された。


「おまたせしました。『鶏の唐揚げ』よ!」


 クリスが料理の名前を口にする。


 三〇センチほどの大きさがある皿に千切ったレタス、刻んだ緑と紫のキャベツ、千切りにしたにんじんやスライスしたキュウリが入ったグリーンサラダがこんもりと盛り上げるように積まれていて、その隣には小ぶりなトマトが櫛切りになって並んでいる。

 そして、そのサラダを背に茶色い衣を纏った一口大ひとくちだいの肉がゴロゴロと無造作に盛り付けられていた。

 メインになるのは茶色く揚がった鶏の唐揚げなのだろうが、その彩りの良さからつい、オセフはサラダの方に目がいってしまう。サラダの隣には潰したジャガイモを和えたポテトサラダやカットしたレモンも添えられている。


「おおっ!」


 キャベツやレタス、キュウリの緑にトマトの赤、レモンの黄色、ポテトサラダの白が焼締めの茶色い皿の上ではとても映える。

 マルゲリットの農業は有機栽培。住民の衛生観念も低いので、野菜は煮てスープにするのが基本だ。

 もちろん、野菜を生で食べることもあるのだが、彩りを考慮して複数の野菜を混ぜ合わせて作るようなことはない。だが、目の前のサラダは彩りも考慮されたものだ。

 オセフの目にはとても新しい料理に見えた。


 そして漂ってくるのは揚げた油の香り、ニンニクの香り。


 オセフはサラダの彩りに驚いたあとは、漂ってきた鶏の唐揚げの香りに鼻をひくひくとさせ、恍惚とした表情をつくる。

 隣のイサークも、皿から漂ってくる油とニンニクの香りにうっとりとした顔をしている。もちろん、サムエル、ゴルドも同様だ。


「これは?」


 サラダの彩りに目を奪われていたオセフにはクリスの説明が届いていなかった。

 こっそりと、隣のイサークに確認する。


「これは『鶏の唐揚げ』って名前らしい。『鶏肉』ってことだよな……」

「なるほど、あの硬い『鶏肉』か……でも、この香りは……」


 オセフは鼻を皿に近づけて香りを嗅ぐと、うっとりとした表情を見せる。

 イサークもそれに釣られるように皿へと顔を近づける。


「うまそうだ……」


 口の中に溜まった涎をゴクリと音を立てて飲み込み、オセフは鶏の唐揚げに手を伸ばそうとする。

 そのとき、オセフの視界を塞ぐように金属の棒が差し出された。

 何事かと少し驚いた顔をしたオセフだが、冷静に金属の棒を見つめると、それが朝食時に出てくる平たい四本爪のフォークであることに気が付いた。フォークを差し出す手に沿って視線を上げると、そこにはニコリと微笑むクリスの顔があった。


「はい、フォーク。使ってくださいね」

「あ、ああ……」


 とても小さく、整った美しい顔が目の前にあれば妻子あるオセフでも心臓も跳ね上がる。だが、いくらこの店の中では一般庶民のように扱うように言われていても、守るべき一線くらいはオセフやイサーク、サムエルたちも心得ている。


 オセフは慌ててフォークを受け取ると、何事もなかったかのように視線を鶏の唐揚げへと移す。そして、おもむろに四本の爪を鶏の唐揚げへと向けた。


 真上から突き刺すようにしてフォークの先で触れると、サクリと軽快な音を立てて衣に穴が開く。そして、弾力がある身の形をぐにゃりと変えながら爪が肉へと刺さっていく。


「おおっ、柔らかい……」


 マルゲリットでは若鶏を食用にするという習慣がない。その中身が親鶏の肉だと思っていたオセフは、鶏肉の柔らかさに驚いて声を漏らす。

 イサークやゴルドも同じようにフォークで鶏の唐揚げにフォークの爪を立てている。


「おい、思ったよりもやらけぇな……」


 少し遅れてフォークを突き立てたサムエルも同じように驚きの声をあげる。隣ではイサークがフォークに突き刺した鶏の唐揚げをめつすがめつ眺めている。


 オセフはぐいと力を込めて、フォークを突き刺すと口元へとそれを運び、また香りを楽しむ。


 ――食欲をそそるいい香りだ。


 フォークに刺した唐揚げを鼻の近くまで持ち上げると、オセフはそこから漂うのが揚げ油とニンニクの香りだけではなく、爽やかで木のようなショウガの香り、仄かに残る胡椒の爽やかな香りを含むことに気づく。

 そして、まずはひと口――と歯を立てる。

 揚げることで水分が飛んだ衣に前歯があたり、ぐいと食い込んでいくとカリッと高い音が聞こえ、衣に閉じ込められた肉汁と漬け込んだ調味液が口の中に溢れ出す。そして、ニンニク、ショウガの香りに加え、揚げる前の身を漬け込んだ調味液に含まれる鶏ガラや酒の香りが口の中に弾けるように広がり、鼻腔へと抜ける。

 そのまま二回、三回と噛む頃には、唐揚げはフォークから抜き取られ、オセフの口の中に収まる。

 その頃には、濃い目に味付けられた鶏肉や鶏ガラの旨味、ニンニクの旨味が舌いっぱいに広がる。


 オセフはもぐもぐと唐揚げを咀嚼し、喉の奥へと飲み込むと、ゆっくりとビールの入ったグラスを掴んで中身をあおる。


「プハァッ!」


 止めていた息を一気に吐き出すと、音を出さないように小さくゲップした。


「美味いっ! 『鶏肉』だというのにどうしてこんなに柔らかいんだ!?」


 再度ゲフッという音と共に息を吐くと、フォークを唐揚げに突き刺し、口の中へと運ぶ。

 同じように唐揚げを飲み込んでビールで流し込んだサムエルもそれに続く。


「ああ、やらけぇな。噛むと溢れ出す汁がたまんねぇな」

「少し脂っこいですが、このビールという酒を飲むとさっぱりします。これは相性抜群ですね」


 ゴルドも幸せそうな表情で手に持ったグラスを眺め、感想を述べる。


「この『レモン』を絞ると酸味が加わって食べやすくなる。やってみるとよいぞ」


 週に一度だけ、この店での夕食を楽しんでいるエドガルドはミンチカツ、ハモのフライ、カキフライなどの揚げ物を経験し、レモンの使い方を理解していた。

 オセフやイサークたち四人組が見つめる中、エドガルドは添えられたレモンを絞りかけてみせる。


「あ、その『レモン』なんだけどね。皮を下にして絞ると香りが良くなるの。実を下にすると香りはあまり出ないのよ」


 クリスがレモンの絞り方で香りが変わることを説明する。

 レモン果皮ピールには油脂成分が含まれていて、そこにレモンらしい爽やかな香りが多く含まれている。皮を下にして絞ることで、果皮からその油脂を含む液体――果皮油が飛び散って食物に良い香りをつけるのだ。


「ほう、そのような使い方があるとは……」


 クリスの話を聞き、エドガルドは既に絞りカスとなっているレモンを手に取り、唐揚げにふりかけようとする。だが、既に実を下に向けて絞ったレモンの果皮油はエドガルドのてのひらに飛び散っていて残っていなかった。


「お父さま、もう絞ってしまったんでしょう? 手の香りを嗅ぐとわかるわよ。その香りが料理につくの。新しいのを用意しましょうか?」

「ああ、頼むよ」


 エドガルドが右手の匂いを嗅ぎながらクリスに返事をすると、クリスがカウンター内にある冷蔵庫からレモンを取り出し、ペティナイフで櫛切りにする。そして、その一片をお手塩皿にのせてエドガルドへと手渡した。

 エドガルドはクリスに礼を言うと、早速レモンの皮を下にして果皮油を唐揚げに飛ばそうと試みる。


「お父さま、その角度は」

「――ぬおっ!」


 レモンを親指と人さし指、中指の三本で摘む際、身がエドガルドの方を向いていたらしい……。絞ったレモンの果汁が飛び出し、エドガルドの目に入ったようだ。


「し、染みるっ! 染みて痛い!」

「すぐにこちらへ、厨房で目を洗わないと」


 オセフたちは何事が起こったのかとざわめくのだが、すぐに左目を手で抑えたエドガルドはクリスに導かれて厨房へと連れて行かれる。

 エドガルドの隣に座っていたプテレアはいつものことかと呆れた顔をし、鶏の唐揚げに齧り付いた。


「そ、そうだ。俺も試してみよう」


 オセフはポテトサラダの隣に添えられた櫛切りのレモンを手に取り、フォークを突き刺した鶏の唐揚げの上で絞る。

 すると、黄色いレモンの果皮からプツプツと果皮油が飛び散ってレモンの香りが漂うと、身が潰れて果汁がぽたりぽたりとしたたる。

 そうしてレモン果汁を絞り掛けた唐揚げにオセフが齧り付く。


 揚げ油の重たい匂いに、ニンニクの美味そうな香りにレモンの酸味を含む爽やかな香りが混ざり、食欲を刺激する。

 がぶりと齧りついた衣の食感は変わらずサクリと軽い。

 だが、舌や口の中に広がる油のしつこさは、明らかにレモンの酸味によって中和されている。だが、噛み締めたときに身からじゅわりと溢れ出る肉汁にはレモンの影響は殆ど感じられず、肉の旨味と鶏皮のから出る脂、調味液の旨味が舌の上に広がる。


 ムシャムシャと噛みしめると、オセフは先ほどと同じようにビールが入ったグラスをあおる。

 ごくりごくりという音とともに喉仏が上下し、飲み込む音が聞こえる。


「プハァッ! 『レモン』を絞ってもうまい。これなら油で胃がもたれることもなさそうだ」


 オセフがビールを飲み終えて止めていた息を吐き出すと、続けてレモン果汁を絞った唐揚げの感想を述べる。

 それを見ていたイサークが詳しい感想を尋ねる。


「サッパリするのか?」

「そうだなぁ――サッパリと言うと後味って感じだから少し違う。掛けてないものと比べてあっさりとした味になる感じだな」

「ほう……俺も試してみるか」


 オセフの感想を確認し、イサークもいそいそとレモンを搾り掛けてて唐揚げを頬張る。


「んんっ、ふぁひふぁにはっふぁひふうはったしかにあっさりするな!」


 決して褒められる食べ方ではないが、イサークらしい豪快さを感じながらオセフは「そうだろう?」といった顔を作った。


「すみません、お騒がせしました」


 クリスの声に四人が顔をあげて見つめ返すと、厨房で目を洗ったエドガルドが席に戻る。

 だが、なぜか四人の方に椅子を向けて座っている。


「つい忘れていたようなのだが……街を拡張するとなると、衛兵詰所や宿屋の移築が必要になりそうだったな」


 さきほどの慌てた様子が消え、完全に落ち着きを取り戻したエドガルドが威厳のある口調で話している。


「七日後までにまた概算の費用を見積もってきてくれるか?」

「お言葉ですが、衛兵詰所の移築は衛兵や領兵の訓練にもなります。どうしてもとのことでしたら、やぶさかではありませんが……」


 イサークが恐る恐るといった感じで意見を述べた。

 四人の中では最年長なので頼りになる。


「そうだな、では衛兵詰所の移築はこちらで考えるとしよう。宿の方は任せることができるか?」

「移築となると宿の仕事を休まねぇといけなくなるから……なりますから、建て直す方がよ、よろしいかと」

「ふむ、なるほど……」


 数ヶ月間、宿の業務を停止して移築すると、その間の収入が絶たれることになる。実際には移築にも金はかかるし、街の拡張に伴う人手需要が増えれば宿泊場所が不足するし、新しい建物を建てるほうが効率的であるといえるだろう。

 サムエルが指摘したことで、エドガルドもそのことに気がついたようだ。


「では、宿屋は規模を拡張して新築する方向で考えるとしよう。

 すまないな、食べる手を止めさせてしまった。ゆっくりと楽しんでくれ」

「そうね、ビールばかりだとお腹が膨れるから、違うお酒を用意しましょう」


 クリスは足元の冷蔵庫から一升瓶に入った日本酒を取り出し、エドガルドとプテレアを含む六人分のグラスを用意して注ぎ始めたたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

朝めし屋-異世界支店- FUKUSUKE @Kazuna_Novelist

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ