第106話 鶏の唐揚げ(3)
土台になる石組を地面に作るのは石工師の仕事。その土台に木の柱や床、天井、屋根を作るのは大工の仕事だ。その後、石工師と大工が作った内外の壁に漆喰を塗り、タイルを貼るのが左官の仕事である。
クリスへの説明は、この順番で行われた。最後は、出来上がった建物に設置する家具を作る職人――家具職人の説明で終了である。
「――宿屋一軒に必要な家具をご注文いただくと、いま申し上げた材料と費用が必要ということになります」
「説明ありがとうございます。ということは――」
クリスはカウンターの内側で電卓を叩いて合計額を計算する。といっても、石工師、大工、左官、家具職人のそれぞれで中計はとっているのですぐに算出される。
「うーん……そういえば、この金額って〝今の相場〟でのお話よね?」
「ああ、そうだな」
「うん、そのとおりだ」
オセフとイサークが返事をし、サムエルとコルドは首肯する。
需要が増えて供給量が同じであれば資材の単価が上がる。また、人の流れが増えていけばそれだけお金の流通量が増えるので貨幣価値が下がってインフレ傾向になる。つまり、資材の単価や工賃は増えていくことになるのだ。
「わかったわ。例えばだけど――次の一年で宿屋を五軒、集合住宅を五〇軒建てるとしたら、この街にいる職人だけでは対応できるかしら?」
クリスは四人から提示された材料、費用に加えて必要な人数を計算して心配になる。
現代日本のように重機や大型トラック、電動工具があるわけではないので、石工師や大工が必要とする要員は非常に多い。もちろん牛などを使うことも想定されているが、持ち上げて積み上げるという作業については牛馬の力をあてにできず人力で対応することが前提となる。自然と必要になる人員が増えてしまうのだ。
「石工師は全然足りないな。この街の石工師全員とその見習いを加えて、必要な人員の四割くらいだろう」
「大工も同じだ。全く足りないぞ」
「俺たちも足りねぇ――左官も足りないです。見習いを増やしたところで使えるようになるまで三年はかか、かかりやす」
「同じく足りませんね……」
クリスの問いに対し、答える四人の口調は重い。
マルゲリットは既に出来上がった街なので、石工師や大工、左官という職業で食べている者たちが少ない。イサークやオセフ、サムエルのような棟梁クラスの者が各職業で四~五人。そこで働く職人がそれぞれ数人と見習いが数人。現場では日雇労働をしている者たちが手伝いに入る。その体制で一棟の五階建ての集合住宅を建てるのに三か月程度かかる。
五組の石工師と大工、左官の職人たちで集合住宅なら二〇軒という計算になる。
「現実的なのは、一年で宿屋二軒と集合住宅が一六軒ってところかしら?」
「いや、もう少し減らしてもらわないと厳しい」
「――修繕や建替えなどもあるからな」
「おう、そうだよな」
クリスが提示した建物の数が多いというのもあるが、それに掛かりきってしまえば、いまの街の中で建て替えられたり、修繕したりする建物に対応できなってしまう。
他の街から出張してくる職人達や職を求めてやってくる労働者たちもいるかも知れないが、現時点ではどれだけの人たちが集まってくるかわからない。
労働者ばかり流れ込んできて、職人がいないという状況では宿屋や集合住宅を建てることも難しい。まずは職人を確保することが大切だ。そのためには、職人をこの街で育てるか、どこかの街から派遣してもらう等の方法が考えられる。
「一から職人を育てるとなるとどれくらいかかるものなの?」
クリスが尋ねる。
これは職人によって答えが違ってくる質問だ。
最初に返事をしたのはイサーク。
「まず、計算ができるということが前提になるが、それで三年で半人前。五年でやっと一人前になるやつが出てくる感じだな。
石を切る、運ぶ、組み上げる――単純に見えるかも知れないが、扉の上に組む石などは特に難しいからな」
石の組み合わせ方ひとつで家の強度は変わってくるし、石そのものの良し悪しでも強度は変わってくる。例えば、内部に空洞ができてしまっているか等、適切に鑑定できるだけの技量を見につけなければ、石工師としては一人前とはいえない。
「そうだな、最低でも足し算と引き算ができなきゃ大工として仕事するには厳しいな。その前提だと……まぁ、イサークと同じ意見だな。半人前まで三年、運が良ければ五年で一人前ってところだ」
緻密に木材を組み合わせて組み上げるにはどうしても計算が必要になるものだ。
そのうえで、木材の選び方や、道具の扱いなどは見習い期間を通して覚えていく必要がある。
「左官の見習いは三年もありゃ……いや、最低限で三年。
薄く均一に塗り
「サムエルさん、普段どおりに話していいんですよ?」
「へ……は、はい」
緊張しているのか、無理に丁寧に話そうとしすぎているだけなのかは不明だが、サムエルは何度も言い直すので余計に伝わり
クリスは砕けた話し方でいいと何度も言っているので、
「最後に、コルドさんの方はどうかしら?」
「ただ家具を作るだけであれば一年もあれば大丈夫ですが、彫刻や彫金したものを組み合わせたものとなれば四年はかかります」
貴族や裕福な商人が求めるような家具類となれば木工だけでなく、彫金技術も必要になってくる。
また、すべて同じ彫刻を施す技量というのは一年くらいの修行で身につくものでもない。
「そうなのね――じゃあ、他の街の領主にお願いして、職人を派遣してもらう形にすればいいかしら?」
「そうだな、仕事を持っていかれるのは辛いが……俺たちの手にあまるほどの仕事があるなら仕方がないな」
「――うん、そうだな」
クリスがまた尋ねると、今度はイサークが返事をし、オセフが同意を示す。サムエルとコルドはまた首肯で二人に追従する意思を示した。
最初に宿屋を建てれば、他領から派遣された職人たちが過ごす場所が提供できる。その宿屋はこの街の職人たちが建てればいいだけのことだ。
オセフ達は何か話し合ったわけではないが、自然と意思の疎通ができている。
「ところで、街を拡張するのはいいんだが……既存の九つの宿屋はどうするんで?
宿屋というのは立地条件が大事だから必ず移築したいという話になると思うぞ」
「そうね、他にも移築が必要な建物はありそうだけど……」
オセフの問いかけにクリスは途中まで返事をすると、おとがいに指をあて、
「移築という意味では別の話も関係するから、お父様にも入ってもらうわ」
「「「「ええーっ!?」」」」
店内に四人の驚いた声が響き渡った。
◇◆◇
クリスが奥の部屋から戻ってくると、軽装をしたエドガルドが現れる。
オセフ、イサーク、サムエル、コルドの四人は慌てて椅子から立ち上がり、その場に膝をつこうとするが、狭すぎてできない。
カウンター席の背後側には多少のスペースがあるが、そこに膝をついてしまうと今度はエドガルドが通るスペースが無くなってしまうのだ。
あまりの狭さにどうすることもできず、更にこのまま突っ立っているわけにもいかないという状況になって、四人は半ばパニック状態になるが、最初にコルドが立ったまま右手を胸元に添えて頭を下げた。
「ここでは
「「「「……」」」」
そもそも旧王城で謁見するような場合、「面をあげよ」との言葉がかけられても、平民はすぐに顔を上げてはならない。
二度目に上げるのがルールとされている。
「これは悪しき習慣だな……顔を上げてくれんか?」
「「「「はっ!」」」」
四人が声を揃えて返事をし、ようやく頭を上げる。
オセフとイサークの顔に緊張の色が見えるが、残りの二人ほどではない。明らかに最高レベルで緊張しているコルドは何かの像のように硬くなっているし、エドガルドを強く尊敬しているサムエルはその目に涙さえ湛えている。
「皆さんも座ってくださいね」
カウンター席の一番端――オセフとは逆側にエドガルドを座らせると、クリスが四人に向かって声をかける。
これから夕食会が始まるというところなので、座ってもらえないと始められないのだ。
四人もそのことに気がついたのか、誰からともなくおどおどと席に座った。
そのことを確認したクリスが厨房に入ると、代わりにシャルが出てきて熱々のおしぼりを取り出し広げ、エドガルドに手渡す。
「ありがとう」
「どういたしましてなの」
緊張感を解すためか、エドガルドが少し大きめの声でシャルに礼を言うと、シャルも普段どおりに返した。
そのまま、シャルは最奥に座るオセフ、イサーク、サムエル、コルドの順におしぼりを手渡していくと、手を拭き終えたエドガルドがおしぼりを顔に乗せる。
「ああーっ……何度やっても、これは気持ちいい。お前たちもするといいぞ!」
凡そ貴族なら
もちろん形式張った席ではこんなことはしないし、旧王城内で食事を摂るときにはしない。執事やメイド達が見ているところで奔放に振る舞うと、執事長やメイド長から小言を食らうからだ。
そんな理由もあって、この店はエドガルドにとって自由な場所であり、自室よりもリラックスできる環境なのだ。
オセフたちは顔を見合わせると、まだ白い湯気をゆらゆらと立ち上らせるおしぼりを目元に乗せて、そこから顔を拭き始める。
「き、きもちいいです」
「そうだろう?」
コルドが恐る恐るといった感じでおしぼりの感想を述べると、エドガルドも満足そうに頷いた。
次にシャルが丸盆にのせた小鉢を配って歩く。中身はシャルが両端をキッチンハサミで切り落としていた枝豆だ。
白い雪のような塩の粒を纏った鞘は鮮やかな緑色を保っているが、その鞘から透ける中の実は黒砂糖のような濃い茶色。
「シャルちゃん、これは何だい?」
枝豆を指で摘んで眺めながら、エドガルドがシャルに尋ねた。
サムエルの前に小鉢を差し出したシャルは、首を傾げて暫時動きを止めて思い出す。
「えっと……『枝豆』なのっ! 鞘ごと齧ると、中から豆が出てくるの。鞘は何も入っていない方の小鉢に入れるの」
「そうかそうか、ありがとう。美味そうだな」
「鞘の端はシャルが切ったの」
「おお、上手にできてるじゃないか。シャルはすごいな」
エドガルドがシャルの方に向けて笑顔を見せると、シャルもニパッと笑顔を見せる。
それを不思議そうな顔をして見ているのはサムエルだ。
(おい、あの子は誰だ?)
エドガルドとシャルに聞こえないよう、小声でオセフに尋ねる。
イサークもシャルの名前くらいは知っているが、素性など詳しいことは承知していないので、興味深そうにオセフの方に顔を向ける。
(シャルと呼ばれてるが、俺もよくわからん)
(エドガルド様の娘は三人だよな?)
(長女のエレン様、次女のクリスティーヌ様、三女のエレナ様だけのはずですね)
サムエルの後ろからコルドが小声で参加する。
だが、それはエドガルドに聞こえていたようだ。
「ああ、シャルはな――まあ、私の娘のようなものだ。血は繋がっておらんがな」
「では養女になさるおつもりで?」
つい勢いでサムエルはエドガルドに普段の口調で尋ねてしまう。
慌てて自分の口を塞いでいるが、後の祭りだ。
「いまのところ、そのような予定はない。それよりも、この中に石工師がいると思うのだが――」
三人が一斉にイサークに目を向けると、イサークはエドガルドから見えないよう、亀のように慌てて首を引いて小さくなる。
「奥に座っているのが大工のオセフさん、その手前が石工師のイサークさんで、次が左官のサムエルさん。最後は家具職人のコルドさんよ」
丸盆の上にビールが注がれた
「そうか。イサークとやら、この街を囲う城壁とは別に、新しい城壁を作りたい――と言ったら、どれくらいの石が必要かね?」
「――え?」
そもそも、新しい城壁の高さや厚み、総延長距離等の条件が提示されていないのだから、答えようがない。
それに、このマルゲリットの街を囲う城壁でさえ、どれだけの石が使われているかなどイサークには想像もつかないのだ。
そこに、いまよりも確実に大きくなる街を囲う城壁をつくるとなれば、いまは「途轍もない量」としかイサークには答えようがない。
「お父さま、そんな質問だとイサークさんも答えに困るだけよ」
「そ、そうか……」
「もっと前提になる条件を出さないと、ねぇ?」
ことりと小さな音をたて、クリスがイサークの前にビールが入った薄玻璃のグラスを差し出す。
「たとえば、いまの城壁で使われている石の量はどれくらいなのかだとか、新しい城壁の大きさや全長、塔はどうするとかあるでしょう?」
続いてサムエル、コルドにグラスを差し出しながらクリスがエドガルドを諭す。
「そうか、すまんな……こういうことは役人に任せることが多いからわからなかった。そうだな、どの辺りにあたらしい城壁を作るかも考えた上で相談することにしよう」
「それで、下水道についても相談するんでしょう?」
「うむ。イサークとやら、下水道を整備するにあたり、人が立って歩けるほどの石造りの地下水路を作りたい。全体の長さはこれから算出するが、
イサークは先ほど答えられなかったせいもあり、更に緊張した様子で話を聞いているが、頭はきちんと働いているようだ。
「はい、それはかまいませんが……天井はどうしましょう?」
「天井とは?」
「大門のように上を丸くするか、平らにするか……平らにするなら、強度が高い大きな石で蓋をすることになります。丸くする場合はその必要がありません」
地下水路の上には土を被せることになるのだから、その土の重さに耐えられる構造でなければいけない。
イサークは緊張の中、そこまで瞬時に考慮していたのだ。
「丸くする形でいい。見積はできそうか?」
「はい、五日もかからずにご用意できます。ただ、宿や家を建てるにも石が必要ですし、城壁の拡張や地下水道に石を使うとなると――」
「そうだな、今の城壁の石を転用することも含め検討するし、他領とも相談するつもりだが、北部の採石所の拡張なども考えねばならんな……」
エドガルドはイサークが言い切る前にその先を読んで課題として認識したことを示すと、目線を手元に置いたグラスへと落とした。
既に泡が消えてしまっている。
「おお、すまん。今日はご苦労だった。さあ、皆で楽しく飲もうではないか」
エドガルドが手にグラスを持ち、高く掲げる。
慌ててオセフたちもグラスを手に取ると、同じように高く掲げた。
「この街の発展を祈って、乾杯!」
「「「「乾杯!」」」」
四人が唱和するよりも先に、エドガルドはグラスに口を付けてその中身を喉へと流し込む。
一方のオセフたちは初めて見る薄玻璃のグラスとその中身に興味津々だ。まだ口もつけずに中身を
「なあクリス、これは何だ?」
「それはビール。すこし作り方が違うけど、エールだと思えばいいわ」
オセフの問いに、クリスが答える。
日本のビールは長期低温発酵で作るラガービールがほとんどだ。
一方、アプレゴ連邦王国で飲まれるエールとは上面発酵で短期間で発酵させて作る。マルゲリットの場合、主に消費されるのはワインと林檎酒だが、街の西側の店ではエールも飲まれている。
「こ、この食器は……」
「奥で料理をしているシュウさんの国の食器よ。とても薄いから、縁を噛んだりしないでね。すぐに割れて大怪我するから」
「は、はい」
オセフに続いてコルドがクリスに質問をする。
マルゲリットのガラス食器はとても分厚く、重いものが多い。そして高価なので庶民には手が届かない。
だが、この店では当たり前のようにガラス製の食器が使われているし、そのガラスは麻紙よりも薄いと思えるほど薄い。それに驚くほど均一だ。
「ああもう……冷たいうちに飲まないとだめよ。ほら、飲んで飲んで!」
あまりに四人が口をつけないのでクリスが急かすように言葉を掛ける。
初めて口にする飲み物というのもあって、普段は豪快に酒を飲むイサークやサムエルでも恐る恐るといった感じでグラスに口をつける。
「もうね、半分ぐらい一気に飲んじゃっていいから。その方が美味しいわ」
イサークはクリスの言葉に応じ、喉から音を立てて中身を喉の奥へと流し込んでいく。とても豪快な飲みっぷりだ。
一方、オセフはまず香りを嗅いだ。
甘いカラメルのような香りと、ホップの爽やかな香り、酒精の香りがふわりと漂ってくる。
白い泡の蓋の下には少し赤みを帯びた液体。グラスの
控えめなカラメルの香りとホップの爽やかな花の香りが鼻に抜け、舌の上に甘みと苦味、そして旨味が広がる。
喉に流れ込んだビールは、喉の奥を冷たく冷やし、苦味を感じさせることがない。
ゴクリゴクリと喉の奥へとビールを送り込むと、乾いた喉にこのビールが染み込んでいくような感覚を覚え、やがてその冷たさが痛みとなって喉の中に広がってくる。
――これ以上は無理だ。
そう思って煽ったビールの入ったグラスを口元から離す。
「美味いっ!」
オセフは思わず声にだして、その感動を皆に知らせる。
ビールはもうグラスの底から二センチほどしか残っていなかった。
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