第105話 鶏の唐揚げ(2)

 西の空にエステラ異世界の太陽が西の地平線に沈むと、すぐに夜の帳が下りてきて、茜い地平線から皓皓たる大空へ、そして東の空へと美しいグラデーションを描く。

 オセフとイサーク、サムエル、コルド――住宅建築や内装工事という意味で繋がりを持つ四人が、薄暗くなってきたマルゲリットの街を歩く。口が悪いが、話すことが好きなサムエルがオセフに話しかけている。


「だからよぉ、言ってやったんだ――高ぇ所が苦手とか言ってたら仕事になんねぇ。どうしてもできねぇってんなら、とっとと故郷にでもどこでも帰りやがれ! ってな」

「まぁ、それはそうだよな……」


 半年ほど前に見習いとして入ってきた若い男の子が、高所恐怖症で他界ところでの作業を嫌がるという話だろう。

 石工、大工、左官……これらの仕事は高所での作業を伴うことが多い仕事である。その仕事に就くというのに高所を恐れていてはどうにもならないというのがサムエルの意見。

 オセフやイサークにとっても同様である。

 だが、こればかりは「慣れ」というのが非常に大きい。

 実際、オセフやサムエルも見習いとして働いていたときは少しくらいは「怖い」と思ったことがあるのだが、毎日のように高所へ上がる仕事をしていて感じなくなったのである。


「で、足場のある高い場所での壁塗りができないっていうのか?」

「おうよ。足場が崩れない限り落ちるなんてこたぁないんだから、怖くないって言ってんのによぉ……」


 高所で生命の危機を感じるのは

 高所での作業を生業としている人たちも最初は怖いと感じていたものの、すぐに慣れてしまって覚えていないという者が殆どである。

 事実、船大工の見習いを始めたばかりのオセフも、陸で組み立てられていく海洋用の船――竜骨があって高さがある――で初めて作業をするときは少し足が竦んだのを覚えている。だから余計に、「慣れる」ということの大切さをよく理解している。


「慣れるまでやらせるしかないんじゃないか?」

「それがよ、しばらくは屋内の壁塗りしか仕事がねぇんだよ。

 それじゃ、慣れるもクソもありゃしねぇだろ?」

「そ、そうだな……うちで鍛えるか?」


 高所での仕事という意味では、オセフの方が作業が多い。

 組んだ足場や梁の上を歩いて、床をつくる作業もあれば、屋根を葺く作業もある。

 早く慣れさせるためには数をこなす方が良く、今の環境なら自分の職場で働かせるほうが高所に登る機会が多いとオセフは提案したのである。


「人手を考えるとそうもいかねぇんだよなぁ……」

「そうだよな」


 サムエルは見習いの頭数も入れて、作業の日程を組んでいる。

 見習いとは言え、一人抜けるとその後の作業工程に影響が出てしまうのだ。

 一方のオセフとしては、見習い左官工に足場を使って高所に登る訓練をさせるという目的は達成するだろう。だが、仕事という意味では何の経験もない見習い左官を預かっても特にメリットはない。寧ろ足手纏あしでまといになる可能性の方が高いだろう。


「まぁ、お互い苦労するってこったな」


 オセフも見習いを預かるたびに同じように高所での作業を嫌う者が出てくるので、同じような経験を何度もしているのだ。

 見習いを抱える身になれば、どの職業であっても似たようなことに頭を悩ませるものなのだとオセフは納得する。


「そういうこった」


 一方のサムエルも、ひととおり愚痴ったところで満足したのか、話を終えたようだ。


 こんな話をしながら、四人は既に東通りに出ていた。あとは居住区手前の丁字路ていじろを曲がるだけだ。


    ◇◆◇


 イサークの家にサムエルが到着した頃のこと。

 朝めし屋の店内では、食事会に向けた準備に大忙しである。料理の選択はすべてシュウに任されているので、献立を決めてしまえばあとは仕込みをするだけなのだが、今日は人数が多いのだ。


〝内装工事をする左官屋とかにも声をかけてもらえるかしら?〟


 クリスはオセフとイサークにそう声を掛けた。

 そのとき、オセフは「左官工や瓦職人には声をかけておく――

 」と返事をしたのだが、最終的に店に来る職人の数が何名かを指定していなかったのだ。

 つまり、いつもならエドガルドとクリス、プテレア、シャルと自分の五人分。今日は最低でもオセフとイサーク、左官工、瓦職人の九人分は作らないといけない。それに、酒も振る舞うとクリスが宣言してしまったので、つまみになるようなものまで用意しないといけないのだ。


「シャル、悪いけど手伝ってくれるか?」

「はいなの」


 カウンター席に座り、シュウとクリスが料理をしているのをただ見つめていたシャルにも仕事が振り分けられる。


「この枝豆の両端を鋏で切って欲しいんだ。こうして、こんな感じ――いいかい?」

「うん、だいじょうぶなの」


 枝豆の鞘の両端を鋏で切るという単純単調な作業をシャルに任せる。こうすることで、火の通りが良くなるという利点、塩ゆでなので大豆そのものにも塩味がつくという利点がある。それに、鞘を齧った時にするりと豆が飛び出すので、食べやすい。

 シャルは黙々と調理台で作業を始める。


「そういえば、最近はレヒーナちゃんのところに行ってないけど……」

「レヒーナちゃん、お祭りで忙しかったの」

「うん、そうね。宿屋だからね……」


 シュウとクリス、プテレアの三人で日本側で営業する間だけだが、シャルは銀兎亭の娘であるレヒーナと何度か遊んでいる。

 もちろん、朝めし屋で遊ぶというのは無理なので、シャルが銀兎亭まで通うかたちだ。

 二週間ほど前は収穫祭があり、その前後一週間程度は宿屋は繁忙期となる。その間、シャルがレヒーナに会うことはなかったのだが、そろそろ落ち着く頃と言えるだろう。その証拠に、同じ宿屋――天馬亭を営むウーゴが妻のヘマ、娘のイレネ、ロラを連れて今日は食事に来たのだ。


「でも、ウーゴさんのところのイレネちゃんと、ロラちゃんのことはちゃんと言わないと駄目よ?」

「う、うん……」


 今日、シャルはイレネ、ロラの二人に「今度一緒に遊んでくれる?」と言われてしまった。

 その場の雰囲気や、店側の人間と客という立場もあって「うん」と返事をしたのはいいものの、商売敵とも言える銀兎亭と天馬亭――そこの娘たちに、四人集まって遊ぼうとは言いづらい。


 シャルはガクリと項垂れ、ため息を吐いた。


 二人の会話をプテレアが不思議そうに見ているが、そこにキッチンタイマーの大きく高い電子音が鳴り響く。


「クリス――」

「ええ、これが終わったら迎えに行ってくるわ」


 シュウが何かを言おうとするが、その内容を察したようにクリスが話した。

 一センチ足らずの大きさの賽の目切りにしたクリームチーズを小鉢に均等に盛り付けたところに、瓶詰になった酒盗を木匙に一杯ずつ盛り付けている。

 カウンターの座席分に加え、カウンター内で応対するシュウとクリスの分を含めて十人分の小鉢だ。


「ふぅ……これでおしまい。じゃ、行ってくるね」

「おう、よろしくな」

「いってらっしゃいなの」

「いってらっしゃいなのじゃ」


 クリスは前掛けを外して、エドガルドが待つ旧王城へと転移した。


    ◇◆◇


 東通りを歩くオセフとイサーク、サムエル、コルドの四人は丁字路ていじろを曲がり、店の前に到着する。

 朝二つの鐘が鳴るころに来れば店の前に行列ができているが、今はもう夜。

 東通りに並ぶ他の店も営業を終え、灯した明かりで後片付けなどをしている姿が外から見えたりする時間帯だ。

 だが、この店の中からは一切の気配を感じられない。

 オセフとイサークが顔を見合わせる。


「今日……で合ってるよな?」

「ああ、間違いない」


 クリスは「十一日後でいいかしら? 時間は夕一つの鐘から二時間ね」と言っており、今日が正確に十一日後である。


「時間は……夕一ゆうひとつつの鐘の時間だから、そろそろだよな?」

「そうだな、もうすぐ鐘が鳴ると思うんだが……」

「なんでぇ、そんなに時間に厳しいってのか?」

「うーん、言われてみれば……」


 時間も間違いなく、「夕一ゆうひとつつの鐘から」とクリスが言っている。ただ、住民たちは携帯できる時計のようなものは持っていない。感覚的に、夏は日が長く、冬は短い。秋の収穫祭の時期であれば、日中と夜の時間が同じくらいになって、夕一ゆうひとつつの鐘がほぼ日没の時間になる……という程度で覚えている。

 だが、クリスは日本の時計で時間を確認し、ほぼ正確に朝二つ(午前八時)の鐘が鳴る時間に引き戸を開いている。

 何度かこの店に朝食を摂りに来ているオセフも、サムエルに言われてクリスの正確さに気が付いた。


「毎朝、朝二つの鐘と同時に店を開いてるぞ」

「それは、鐘が鳴ってから開くという意味ではなく?」


 珍しくコルドがオセフの言葉に反応する。華美で繊細な装飾を施す家具職人だからなのか、少々細かく、神経質なところがある人物のようだ。


「そうなんだよ。ほぼ鐘が鳴ると同時にそこの引き戸が開くんだよ……」

「そういやそうだったな……」


 オセフの言葉に対し、イサークもこの店に来た時のことを思い出して補足した。

 それにまた反応したのがコルドである。


「まぁ、この町の領主家が営む店ですし、ここに時計があるとしても不思議ではない……ですね」

「時計? 家に置ける時計ってか?」

「ええ、何やら他国では錘を左右に動かすことで時を刻む機械があるとか……。とても興味があるのですが、あるなら見せてもらいたいものです」


 マルゲリットの街にある時計は、日時計と水時計。時を知らせる鐘は、この二つの時計をもとに鳴らされる。

 基本は日時計。

 曇りの日や夜に鳴る鐘は水時計。

 だが、他国で発条ぜんまい式時計や振り子式時計は開発されており、エドガルドも振り子式時計を一つ所有している。なお、発条ぜんまい式時計の小型化も成功しており、既に懐中時計として一部の国では貴族が所有しているが、残念ながらエドガルドは保有していない。

 標準時というのは存在せず、時間はあくまでも、その土地の南中の時間を基準にしている。そのため、異なる街に移動しても時差が発生するので、懐中時計を持っていく意味があまりない。

 エドガルドが懐中時計を持っていないのは、執務室に振り子式時計が一つあれば足りるからだ。


「真似して作ろうってのかい?」

「そうですね、私に作れそうなら……」


 懐中時計のような精密な機械を作るというわけではない。

 耐久性を考えると金属で作りたいところだが、木と金属を組み合わせた家具類を作ることを生業としているコルドなら、鍛冶屋と協力すれば作れる可能性もあるだろう。


「まぁ、難しいだろうが頑張れとしか言えねぇな」


 まず置き時計などというものは庶民の目に触れることはない。

 エドガルドをリスペクトするサムエルにしてみれば、領主の館である旧王城の中にあるものなど、死ぬまで目にかかることがないものだ。それを目にしたいというのだから、言葉にできるのはまず「何とかして目にすることができる機会を作れ」という意味での「頑張れ」である。

 だが、コルドには「頑張って作ってくれ」という単なる声援にしか聞こえなかった。

 ガラの悪い雰囲気を持つサムエルからそんな言葉を聞いたのが意外だったのか、コルドの瞳に一瞬だけ驚きの色が浮かぶ。


「あ、ありがとう」


 コルドは慌てて礼を述べるのだが、サムエルは既に興味を失っているようで、石段を登って店の入口から中を覗いている。


 そこで鐘の音が鳴り響き、同時に引き戸が開かれる。


「――ッ!」

「おおぅっ!」


 扉を開くと、目の前で隙間から覗き込むような姿勢で立っていたのだ。クリスも驚いて言葉が出ない。

 悲鳴のレベルまでいかないのは、このように覗き込んでいる朝食待ちの客がいるから慣れているだけだ。


 一方のサムエルは目の前に現れた女性の顔を見て、慌てて石段を飛び降りる。

 咄嗟の判断で飛び退いたが、その石段の上に立つ女性の顔を見た。

 サムエルはこの地の領主を尊敬しているが、息がかかるほど近くに立ってその姿を見たことがない。もし、見る機会があっても、頭を下げて全く目を向けるなどできないだろう。それはクリスに対しても同じである。

 一瞬、それが誰なのかわからなかったサムエルだが、この店がクリスの営む店であるという事実を思い出し、目の前の人物が誰なのか理解した。


「しっ……失礼しましたっ!」


 サムエルが慌てて片膝をついて頭を下げると、コルドもそれに倣って膝をついた。

 既に慣れてしまっているイサークとオセフは立ったままだ。


 目の前で男二人が膝をついて頭を下げている状況をみて、クリスは眉を八の字にして溜息を吐き、声を掛ける。


「えっと、頭を上げてください。困ります」

「そうだぞ、この店にいるときは俺たちが客だ。それに、見ろよ――クリスの顔を。本当に困ってるぞ」


 オセフが膝をついて頭を下げた二人に頭を上げるよう促す。


「なあ、お前ら……クリスを困らせるほうが失礼だと思わないか?」


 イサークも二人を戒めるように言葉を掛ける。

 そのイサークの言葉にクリスはその表情を故意に困った方へと作り変えてサムエルに向け直すと、サムエルもようやく視線をクリスに向ける。


「も、申し訳ございません」

「――申し訳ございません」


 サムエルの言葉に釣られるように、コルドも謝罪の言葉を述べる。


「お前ら、本当にわかってないな。とりあえず、中に入れてもらおうか」

「そうだな、目立って仕方がない……」

「ええ、どうぞお入りください」


 日が沈んでいるので他に誰かが出歩いているわけでもないのだが、バカでかい声で謝罪をされたり、地面に膝をついて頭を下げていたりすれば、近くにいる者も興味半分で見に来るだろう。

 それをすぐに察したクリスも、オセフ、イサークの順で店の中へと案内する。

 もちろん、サムエルとコルドも後に続いて中へと入っていった。


    ◇◆◇


 店に入った順にカウンターの奥へと案内され、四人が席につく。

 今回は食事会への招待という形をとっているので、店の営業とは関係ないが、ヒーターで温められた熱いおおしぼりをクリスが配って歩く。


「ああ、ありがとう」

「ありがとう」

「あっ……ありがとうございます」

「あぢっ……ありがとうございます」


 先程まで決して褒められるような口調ではなかったサムエルが借りてきた猫のようにおとなしく、言葉遣いに気を配って礼を言う。

 コルドも慌てて受け取ったおしぼりを握ってしまい、つい慌てた声をあげようとするが、なんとかその場を取り繕った。


「オセフさん、お願いすることに関係する職業の人達を連れてくると思っていたんだけど、四人でいいの?」

「そうだ。最初は瓦職人も呼ぼうと思ったんだが……あいつらの商売は単純に枚数で決まるからな。

 屋根の大きさが決まれば、枚数は決まる。そして、瓦を葺く作業は大工の仕事だ。この場には必要ないってことになったんだ」

「じゃあ、こちらのお二人は?」


 クリスは恐縮したのか、なにやら小さく見えるサムエルとコルドに視線を向けたあと、オセフに戻して二人の紹介を促した。


「手前……クリスから見て右側がサムエル。左官工だ」

「よろしくおねがいします」

「よ、よろしくお願い申し上げたたた、たてま――」

「そして、その向こうが――」

「家具職人をしています。コルドと申します。よろしくお願いします」

「よろしくね」


 先ほどまでサムエルの真似ばかりしているように見えたコルドだが、この場ではサムエルよりもよほどしっかりとした応対をしてみせる。

 サムエルは緊張の極地に達しているのか、噛みまくりだ。


「それで……お酒が入る前に、お金に関するお話は済ませておきたいって思うんだけど、いいかしら?」

「あ、そうだな。ただ、クリスからもらった条件だと曖昧でなぁ……」

「俺たちの間で話をして、条件をもう少しはっきりさせることにしたんだよ。まず――」


 イサークがオセフに代わって条件の説明を始める。宿屋については部屋タイプとそれぞれの数。宿泊者の最大の収容人数と食堂の収容可能人数などの前提条件を。五階建ての集合住宅は全体の世帯数や部屋数などの前提条件だ。


「――という感じだな。家具は宿屋の最大客数――約六〇人と宿主、従業員たちの分を合わせて七〇人分、あと各部屋と食堂の卓と椅子などを作る前提にしている。集合住宅についてはそこに住む住民が自前で作るか、職人から買い取るような前提で考えてるが、それでいいか?」

「うん、そうね。確かに前提条件が決まってないと見積もれないわよね。

 最初からそれくらいの条件を出しておくべきだったのね……気を遣ってくれてありがとう。それでいいわ」


 真剣な顔をしてオセフとイサークが話す前提条件を聞いていたクリスは、少し申し訳なさそうに話した。

 オセフとイサークも、自分たちが出した条件でクリスが納得したことに安堵の顔を見せる。


「それで、実際にどれくらい必要なの?」


 クリスが紙とボールペンを持って尋ねる。


「ああ、それなんだが……まずは必要な材料からだな。順番に話をするなら、土台になる基礎部分からがいいだろう。石工師として必要な材料から話をしてもらおうか――イサーク」

「そうだな、先ずは宿屋からだ。宿屋の面積は――」


 イサークは建物の部屋の並びなどを書いた亜麻紙を出して敷地面積を説明し、そこに必要となる石の量、それを組むための工数、期間の順で説明を始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る