鉄板メシ
山田沙夜
第1話 鉄板メシ
十八日と二八日は大須観音で骨董市がある。
その日が土日祝祭日なら、ぜひとも行きたいのだが、二の足を踏む。骨董に興味があるとも思えない父がかなりの確率でうろうろしているからだ。
骨董、古物、古着など多種多様な古物市なので、友だちと品定めをしながら店々を冷やかし、買いたい気持ちに心を開いて、つい買ってしまうのを楽しみたいのに。
うっかり父と鉢合わせしてしまったにしても、遠くにいるのにバッチリ眼があってしまったにしても、「やあ」とか「なんだ、おまえも来とったんか」ていどの会話でバイバイしたいのだが、わたしの激しい辞退などものともしないで、喫茶店に連れ込まれるのだ。父に連れがいても、わたしが友だちといっしょでもお構いなし。
「あ、どうも。麻紗子がお世話になっとります。典加さん? 麻紗子と仲ようしてもらって、ありがとう。これからもようしたってちょうだい。ほれ、あそこのフルーツスタンドの隣のぼっこい喫茶店でちょっと休もまいかぁ。経営者がおんなじだもんで、フルーツパフェなんかどえらい美味いでかんに。そこのオヤジ、俺のガキのころからの連れなんだがね。んだもんで、ちょこっとばかフルーツをよけいに盛ってくれるかもせんに。いっしょにどうかね」
「はい、ご馳走になります!」
典加さん、やめて。わたしは心で叫ぶ。
ブスっとしているわたしの横で、楽しそうに父と父の連れと会話している典加さんは、本心で笑っているのだろうか。それともわたしに気を遣ってる? 典加さんはそんな柄じゃない。フルーツ盛り盛りのフルーツパフェに眼が眩んだな。
定年退職後、父は人脈……といっても仕事仲間や同級生コネクションなのだが……を活用して、日雇いバイトに勤しんでいる。
猫の手代わりのときもあれば、エンジニヤの腕を依頼されることもある。取っ払い仕事だ。
仕事が不定期なら休みも不定期。なにも土曜日曜の骨董市に参上しなくてもいいのに。土日祝祭日は仕事に行くか、大須以外のところにいてほしい。
それが娘のためというものだよ。
一月十八日金曜日、父が震えながら帰ってきた。冷たい風が強く吹きまくっているのに、外出などするからだ。
わたしは父への労わりの心を隠して、「おかえり」とそっけなく言った。
「なんだぁ、麻紗子か。今日は早帰りか」
「まあね」
わたしのデスク周辺が妙にインフルエンザっぽいので、用心して半休を取ったのだ。残業も含めて半日分の仕事を抱えて帰ったので、まったく休養にはならないが、インフルエンザをもらうよりいい。土日でインフルエンザが終息するとは思えないけど、気は休まる。
インフルエンザかなと思ったら、遠慮なく休んでいただきたい。
「かあさんは?」
「ここ! なんか用?」
台所で母が返事をする。
父は半透明のレジ袋を下げていそいそと台所へ行く。袋の中身は新聞紙で包まれて正体不明だが、ちょっと重みがありそうだ。
「ちょっと、これ見てみやぁ」
「なんだの、これ。なにぃ、こんなもん買ってきてぇ。ばっかじゃないの」
「これ五〇〇円だに」
「こんなもんに五〇〇円も出して。たぁけらしいわ。ほんでなに、一個だけ? わたしのは?」
「一個しかなかっでかんて」
さては 大須で古物を買ってきたに違いない。で、いつもの仲間とあの喫茶店で陽が落ちるまでしゃべりまくっていたのだろう。
にしても、二人の隠しがたい名古屋人ぶりはどうだろう。市長の名古屋弁を「わざとらしい」と批判しているわりには、市長のようにしゃべっている。
ということは、気楽にわいわいしゃべってるときって、わたしもあんなふうに名古屋人丸出しなんだろうか。
自分で気がついていないだけなの?
「おーい、晩めしできたぞー」
台所で父が呼ぶ。食事を作ったのが父だろうが母だろうが、呼ぶのはいつも父。
居候的OLとしては、ご飯を作ってもらえるだけでありがたい。
テーブルにスパゲッティが三人分。父とわたしは丸くて大きめの皿、母の前にはパスタ用鉄板。
一個しかなかった、という父の買い物は母に進呈されたわけだ。
父とわたしの皿は、フライパンサイズの丸くて薄く焼いた卵焼きの上に、あんかけパスタ用ソースをからめたスパゲティが平たい山になっている。
スパゲッティにケチャップをからめた名古屋メシといわれる鉄板ナポリタンの面影は薄い。あんかけソースはピリリと胡椒がきいている。
母の熱いパスタ用鉄板の上のスパゲッティーはまだピチピチと焼き音がしている。スパゲティをぐるりと囲んだ卵は半熟状態で、とろりとした卵を味わおうと母はもう半分以上食べていた。早く食べないと卵がハードに焼けてしまう。
母はハフハフとおいしそうに食べている。
サラダの代わりというわけではないだろうが、テーブルの中央には沢庵と福神漬けが並んでいる。
父が人差し指で自分の顔を指している。わたしはうんうんと頷いた。
本日のスパゲッティの作者は父。後片付けはわたし。
台所を片づけてマグカップにお茶を淹れる。二階の自室へ行って、持ち帰った仕事をしなければと、階段を上がりかける。
父と母の声が聞こえてきた。いつにないひそひそ声に聞き入ってしまう。ぼそぼそ……、ディテールが聞こえない。
「多香子たちが……」
妹夫婦がどうしたのだろう。
多香子の出産予定日は四月二六日だ。ぎりぎりまで仕事をして産休に入るつもり、と言っていた。十連休前日だ。
たとえば産休中、多香子がずっと実家にいたいと言ってきた……とか。そうなると、亭主殿は毎日やってくる。
それとも産休中は夫婦ともども実家で生活したい……。わが家のネット環境を考えると可能性は低い。
出産したら夫婦でうちの両親と同居する……実家で。こっちは可能性ありだ。
デイトレーダーの亭主殿伊藤智久氏は多香子の二つ下、実家は高山、三男坊。年収は一〇〇万円に満たない年があったり、四〇〇万以上稼ぐ一年があったりで、安定感がない。
二人なら問題なしなんだろうけど……。
それもあってか妹は仕事を辞めるつもりがない。産休明けからの生活を考えると実家暮らしは安心だ。実家暮らしのわたしにはよくわかる。なにかとうるさく言わない両親のありがたさも、わたしはわかるようになってきた。
それでも両親のないしょ話に、冷たい血が身体の中をめぐっていく。鼓動が耳を打つ。
マグカップを持つ手が震えて、お茶が一滴階段に落ちた。わたしはお茶をこぼさないように階段を上がろうとしたが、家が古ければ階段も古い。ギシリと階段が軋み、父と母の声が途切れた。
ヤワなわたしはそれだけで傷つくのだ。わたしを呼んで会話に入れてくれればいいのに。わたしに聞かせまいとしている?、聞かれたくない?、そうなの? いっしょに暮らしているのに。
多香子は恋愛し結婚し妊娠した。軽々と……。
いやいや、多香子には多香子の紆余曲折があるだろうし、あっただろう。それをわたしが知らないだけ。
わたしは焦っているのだろうか。嫉妬しているだろうか。
わたしはわたしと開き直りたい。
わたしはひとりの時間がたくさん欲しい。ひとりでいるのが好きだ。昔々からそうだったのかはわからない。ひとりでいるのが好き、はっきり自覚したのはここ数年のことだ。
でも最近「ひとりでいるのが好き」と思うのは、がやがやした家族が近くにいるからなのかも、と思うようもになってきた。
多香子が結婚して、二階はわたしだけの空間になった。
多香子夫婦は地下鉄でひと駅離れた所に住んでいるので、実家でご飯は食べていくけど、泊まったりしない。
「一度実家を離れると、そこに自分の習慣ができちゃって、実家は別の習慣を持つ場所になっちゃう」
多香子がぼそっと言っていた。
わたしはといえば居心地がよすぎて、実家を出て独立しようという気持ちが薄れていた。
しかし今や、姉妹で二階を争奪戦という構図になってきた。不仲な姉妹にはなりたくない。
それに、わたしがひとり暮らしをはじめたら、仲川剛はどうでるだろう。隣の小学校出身の中学の同級生。付きあいはじめたのは五年前。
「三〇歳記念同窓会」で壁の花と壁際の男が会話した、というのがはじまりだった。
「きみんちで、きみの両親と暮らすのもいいと思ってるよ」と言ってたな。たしかに聞いたよ。わたし覚えてるよ。だって内心、困ったなと思っちゃったもん。
そうなると多香子と実家争奪戦……まさかね。
ちょっと待て、わたし。それは妄想だ。妄想の暴走を許してはならない、と自分を戒めた。冷静になると妄想にとり憑かれた自分が恥ずかしくなるのだから。
ソメイヨシノが散り果て、八重桜が満開になっている。風が強い日は寒く、穏やかな日は初夏のよう、四月って晩春なんだなぁと思う日々が続いていた。春は風が強く吹くのだ。
陣痛が来るまで仕事すると言っていた多香子は四月から産休に入った。
「職場のみんなが心配してくれるので、ここは素直に休むことにした」と不満げなメールを送ってきた。
そのほうがいいと思うよ。テレビでも産科医が「出産を軽く考えてはいけません。現在でも命がけだということは念頭においてください」と言っていた。
産休に入った多香子が実家に来るかと思っていたら、来ない。智久さんは在宅仕事なので、多香子はあえて実家に戻る必要を感じなかったのだろう。
意外にもわたしはがっかりしていた。
眠りが浅くちょっとした音でも眼を覚ますわたしは、丑三つ時の階下の音で眼が覚めた。
「麻紗子は起こさんでええて。明日も仕事だで、寝かしといたりゃあ」
「そうだわね。麻紗子がおっても用にならんでね」
悪かったね、とわたしは寝返りをうった。寝かしといたりゃあ、と言うわりには大きい声の会話だ。
朝、早めに起きると、台所のテーブルの上に、「多香子が破水したから病院へ行く」とメモが置いてある。
無事に産まれるかな。大丈夫かなぁ。わたしはドキドキしていた。
無事に産まれますように。
母からメール着信。午前十一時五八分、男児誕生、三一八〇グラム。
妹のメールは、「男の子が産まれたよ」。
弊社ビル前のキッチンカーでタコライスを買い、三分歩いた公園のベンチで典加さんと新入社員の咲さんとでランチを食べはじめたところだった。
わたしは平静を装って、「おめでとう。夕方、病院に寄るね」と賑やかな絵文字といっしょに返信した。
甥っ子無事誕生でほっとして安心したら、嬉しくて嬉しくて。何事もなかったかのように平静を装い、コホンと咳をしてスマホをしまった。
典加さんと咲さんは雑談の合間に仕事の内容や手順の確認をしていて、わたしも話に加わった。
この、ふわふわしたくすぐったい嬉しさを、今日はひとりで抱きしめておきたい。嬉しさの沸点を高めながら、飽和させるのだ。そして二階争奪戦などと妄想した自分をボコボコにして恥じ入ろう。
明日には典加さんや咲さんや気の置けない同僚に、いい加減にしろ、と言われるぐらい甥っ子についてしゃべりまくっているのかもしれない。
篠宮産婦人科は淡いクリーム色とパウダーピンクの柔らかさに満ちている。
母の「差し入れとか、何も持ってこないように」との注意を守って、三〇三号室を静かにノックした。
産まれたばかりの甥っ子は多香子のベッドの横の、新生児ベッドで眠っている。ときどき、握った小さい小さい両手をピクピクさせる。多香子はベッドの上で、枕をふたつ背もたれにして上半身を起こしていた。わたしに手を振る。
「お疲れ」
「ども」
「おめでと」
「ありがと」
ふたりして新生児に見入る。
「智くんとお義母さんとかあさんはそこのカフェでお茶してる。とうさんは深夜のバイトがあるとかで家へ寝に帰ったよ。お義母さんは明日、高山へ帰るって。五人目の孫だもん。息子と孫の顔を見て安心したら万事オーケーだよね」
とうさんは今夜、深夜のコンビニでバイトだ。同級生の息子の店で、人手が足りないときにお呼びがかかる。もうすぐ七〇になるオヤジとジイさんが、もうできん、もうあかんわと言いながら、出動回数が増えてきている。
「おねえちゃん、学区内にある公団住宅知ってるよね。わたしたちそこへ引越しすることにしたんだ。五月中に智くんが引越ししといてくれる。引越し準備はだいたいしといたから、智くんととうさんとで引越しは大丈夫だと思う。引越しが終わるまでお世話になります。これからはとうさん、かあさん、それにおねえちゃんも当てにしちゃうから、よろしくね」
その公団住宅は地の利がいいせいか定住者が多く、子育て世代も多いそうだ。
わたしはにっこりと右手でオーケーマークを作った。
甘いおねえちゃんのままでいたい。二階争奪戦などという妄想は、厳重に封印して、深い、とにかく深い、限りなく深い、石を投げ込んでも落下音が聞こえないほど深い穴を掘って、埋めておきたい。
夏至に向かう五月、定時に退社して帰宅すると西の空にはまだオレンジ色が残っていた。
玄関を開けると、康太の泣き声が聞こえる。
しかし足元はメンズスニーカーが二足、スニーカーとは呼びたくない父の運動靴、母のつっかけ、多香子のペタンコ靴などで雑然としている。しかたがないので靴たちをそろえて整列させた。結果的にわたしの靴だけが脱ぎっぱなしになったが、まいっかと捨て置く。
「ええて、俺がやっとるんだで口出すなて」
「鉄板なんか使わんでも、お皿に盛りゃいいがね」
「黙っとりゃぁ。俺が作っとんだで」
父の鉄板スパに母はいらつく。というより、父が台所に立つと後片付けが大変になるので気に入らないのだ。
「キヨスにさ……」 えっ? 仲川剛? なんでうちにいるの?
「キヨス? キヨス?」智久さんの声だ。
「えっ、キヨスって名古屋弁?」
「キヨスだて」父だ。
これでキヨスが名古屋弁で確定だな。剛と智久さんは沈黙中。
キヨスは清洲のことだ。清須市になった清洲だ。
キヨスとキヨス。言ってるうちにどっちが名古屋弁なのかわからなくなる。
もう一〇年以上前になってしまう大学生だったころ、FM放送のナビゲーターが「梟」の話をしていて、突然、「えっ? フクロウって名古屋弁? フクロウ? フクロウじゃないの? フクロウ……フクロウ……」と楽しそうに繰り返した。
「あー、わからんようになってまった」とわざわざ名古屋弁で締めくくっていたのを、そこだけくっきり覚えている。
名古屋弁ってイントネーションなんだと自覚した一瞬だった。市長は名古屋弁ではなく「名古屋言葉」という言い方を定着させたいようだけれど。
台所を開けてびっくりだった。
やっぱり仲川剛がいる。しかも遠慮のようすもなくテーブルについている。
剛と智久さんの前には、鉄板スパではなく、鉄板チャーハンがあった。二人とももう半分以上食べて終わっている。チャーハンのぐるりの卵は名残りがあるだけだ。
二つのガスコンロにはパスタ用鉄板が乗り、チャーハンが盛られていて、今まさに父が溶き卵を流し込んでいるところだ。流しには中華鍋と二人前冷凍チャーハンの袋がふたつ重なっていた。
「おう、麻紗子おかえり。チャーハン食ってから、おまえと多香子のエビピラフを作ったるで、待っとれ」
わたしは数秒考えて、「わたしが作るからいいよ」と言った。
なぜチャーハンじゃなくてピラフ?
冷凍ピラフはちゃんと冷凍庫に入っているだろうか。どこかに出してあって、とっくに解凍されていそうな気がする。炒めるからいいけど。
よく見るとまな板の上に、これから使うつもりらしいパスタ用鉄板が二枚と木製受け皿が乗っていた。
「おう、それな。こないだの骨董市で五組三千円で売っとったで、買っといたんだわ」
この間の骨董市っていつのこの間なんだろう。五組三千円って、最初に買ったときより高いことに気がついているんだろうか。
「康ちゃんの部屋にいるから」
わたしは二階へ上がって着替え、多香子と康ちゃんがいる居間へ行った。
なんで剛がいるんだろう。面倒な予感しかない。
町内にウエストハイツという三階建てのアパートがある。オーナーが西さんだからESNのハイツはない。築二五年らしい。一階に一軒、三DKが三軒だけの集合住宅だ。
玄関ドアと階段は西側にあり、東と南と北に窓がある。エレベーターはない。
ウエストハイツの西には五階建ての市営住宅があり、南側はどんぐりひろば、東側は一方通行にしたほうがよさそうな幅の道路。市営住宅との間に椿、金木犀、花海棠、夏椿、泰山木などが植えてある。
ウエストハイツの前を通るたびに、部屋が空いてないかなと確認してしまう。なんとなく雰囲気が気にいっている。借りるとしたらここがいいと感じていた。
そして今、三階が空き部屋になっているのを見つけた。
わたしはその場で「空室あり」の張り紙にある番号へ電話していた。
即断で申し込んだ。望み通り三階の部屋が空いたことが奇跡的に思えたのだ。わたしのために空いた、という妄想を打ち消したりしない。
多香子の引越しよりわたしのほうが早かった。
仲川剛が当然のように、ウエストハイツ三号室に出入りしたがるのが悩みのタネになった。
追記:「どんぐりひろば」は名古屋市特有の広場のようです。
noteより転載(2019/4/24 投稿)
鉄板メシ 山田沙夜 @yamadasayo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます