02.人間じゃねぇな?

 目の前の状況とリリスの説明から察するに、メアリーがうっかりあの大男にぶつかってしまったというところだろうか。


——だとしても、それだけであんない激高するものか!?


「おまえ、人間じゃねぇな? 何で亜人のガキがこんなとこにいやがる!?」

「ななな、何を言ってるんですか……どこからどうみても人間——」

「うるせぇクソガキ! 俺ぐらいになるとマナで生きてるやつってのは臭いで分かんだよ!」

「め、メアリーくらいになると、乱暴者は臭いで分かります。あなたはらんぼ……ぎゃふんっ!」


 男の右足がメアリーに向って思いっきり振り抜かれた。

 目の前で小さな体がゴム毬のように弾け飛び、二、三度バウンドしながら数メートル先のホールの壁に激しく激突する。


——あ、あいつ、メアリーを蹴りやがった! 子供相手にそこまでやるか!?


 苦しそうな呻き声を漏らして壁際でうずくまるメアリーに対して、なおも男が怒声を浴びせる。


「ったくしつけのなってねぇガキだ! わりぃことをしたらまず謝んのが先だって親から習わなかったのか? それとも亜人には親もいねぇのか⁉」

「ちょ、ちょっと待て!」


 再びメアリーに近づこうとした男の前へ、俺が割って入る。


——まさかあんな簡単に子供に手を上げるなんて……判断が遅れたぜ、くそっ!


「おいあんた! あんな小さい子に対して正気か!?」

「ああん? なんだおまえ?」


 大男が歩みを止めてジロリと俺を見下ろす。

 浅黒い肌に、身長は二メートル近くはあるだろうか? 半袖のシャツから覗く、筋骨隆々の太い腕。背中に担いだ両手剣を見るに、恐らく職業は可憐かれんと同じソードマンだろう。


 後ろで一本に纏めた長髪には白髪も混じっているようだが、顔つきから見て、歳の頃は三十代半ばといったところか。

 明暗のくっきりとした顔の中で、白くギラついた双眸そうぼうだけが異様に浮き上がっている。


 ただ、粗暴な見た目以上に俺が眉をひそめたのは大男の臭いだ。

 口臭だろうか? まるで腐った肉のような酷い臭いに鼻をつまみたい衝動に駆られたが、そこは必死に我慢する。


「俺があの子の保護者だ! あいつの問題に関しては俺が話を聞く!」

「おまえの連れぇ? あの亜人がか? 協定のことは知ってんだろうな?」

「もちろんだ。あいつは俺の使い魔だ」

「はあああ?」


 男は一瞬驚いた顔を見せてから、プッと失笑する。


「使い魔だぁ? 亜人を使役だと? おまえみてぇなガキがか?」

「本当だ! 今そこで申請を済ませてきたところだ!」


 ちょうど手に持っていた申請済の証明書を男の前にかざすが、話の真偽には特に興味がないのかよく確認もせずに男が話を続ける。


「まあいいや。あのガキの監督責任がおまえにあるってんなら、おまえが代わりに謝ってくれるんだろうな?」

「あいつがあんたに何をしたんだ?」

「何をしたんですか、だろ? 最近のガキは敬語も使えねぇのか!」


——くっそ、下手に出てれば調子に乗りやがって!


 元の世界なら理由がどうあれ、先に手を出した方が傷害罪に問われる。相手があんな子供ならなおさらだ。

 ただ、この世界の法律についてはまだよく知らないうえにメアリーも人間ではないという特殊要因もあるので、あまり事は荒立てたくない。


「あの子がっ……あなたに何を、したんですかっ?」


 歯を食いしばりながら男に尋ね直す。


「ふん! そのガキ、前も見ねぇでここで走り回りやがって……俺の右足に思いっきり激突してきやがったのよ。おかげで、先日負傷した所がまた痛んできやがった」


 そのぶっとい足に小さなメアリーがぶつかったからってどうなるってんだよ?

 しかもさっきの蹴り、とても負傷してるようには見えなかったぞ!?


 男が続ける。


「ここは人間様の人間様による人間様のための神聖なギルドホールなんだ。亜人のガキの遊び場じゃねぇんだよ!」


 さっきからこいつ、亜人亜人と繰り返してるけど、人間と亜人の間には俺が思っていたよりも根深い確執の歴史でもあるんだろうか?

 それとも、こいつの個人的な恨みか?


 しかし、こんな事が原因で万が一にでもメアリーの使い魔申請の受理に影響が出ても困る。

 騒ぎを聞きつけて徐々に人も集まってきているし、やはりこれ以上目立つことは避けなければ……。


「悪かった……俺の監督不行き届きだったのは、謝る」


 そう言って頭を下げた俺の上で、しかし男は気短きみじかそうに舌を二、三度鳴らす。

 男の忌々いまいましそうな視線が目に浮かぶようだ。


「謝り方が成ってねぇなおい! 誠意を見せるには、それ相応の形ってもんがあんだろうが!」


 はあ……マジで面倒臭いやつに当たっちまったな。

 とりあえず土下座でもしておくか?

 それで済むなら安いもんだ。


「申し訳ありませんでしたっ!」


 俺は両手と両膝を床に付き、頭を下げてもう一度謝罪を繰り返す。


「あいつには俺から十分に言って聞かせますので、この場はこれで収めてもらませんか?」


 再び頭上から男の舌打ちが聞こえたが、周りの目もあるしこちらが下手に出てるうちは手も出してこないだろう。

 と、その時、後ろからメアリーの声が響く。


「メアリーは……ケホッケホッ……メアリーは……ちゃんとその人が見えてたのでっ、立ち止まったのに、ケホッケホッ……その人の方からメアリーに、ケホッケホッ、ぶつかってっ、来たのです……ケホッケホッ……」


 とりあえず、メアリーが話せる程度の怪我で済んでいたのは不幸中の幸いだ。

 おおかたこの大男の難癖だろうとは思っていたけど、やっぱりか。

 ただ、今それを主張するのはタイミングが悪い。


「分かってる、メアリー。……でも、今は黙って」


 小声で伝えたつもりだったが、しかし男の耳にも俺の言葉が届いたようで、


「なんだぁ? おまえは人間様よりあの亜人のガキを信じるってのか!? マナなんかで生きてる連中は魔物と一緒なんだよっ!」


 男の言葉が終わるや否や、大きな打撃音が脳内に響く。

 同時に、左側頭部に激痛が走り眼前にチカチカと星が飛んだ。

 床を転がる俺の体と共に、二重三重にブレながらぐるんと周りの景色が回転する。


「つ、紬くんっ!」


 体が止まると、ブルーにまたがったリリスが近づいてくるのがぼんやりと見えた。さらにその向こうには、振り上げられた男の右足も。


——俺、あいつの頭を蹴られたのか? なんて短気な奴なんだ!


 何かされるかもと身構えていたからまだ良かったけど、そうでなかったら首の骨でも折れてしまいそうな威力だ。


——やっぱり右足の負傷なんて大嘘じゃねぇか!


 さらに、歩き出した男の足音が床を伝って聞こえてきた。

 ……が、向った先は俺じゃない。


——メアリーか!?


「や、やめろ……その子には手を出すな! 責任は俺が——」


 急いで立ち上がろうとするも、脳震盪のうしんとうでも起こしたのか直ぐにヨロけて片膝を突き、再び床に倒れこんでしまった。


——くっそ! いっそ、リリスを使うか!?


 しかし人間相手に使い魔なんて使ったらそれこそ大事おおごとになっちまう。


「逃げろメアリーっ!」


 俺が声を上げたのとほぼ同時だった。

 人垣の中から、女性の美しい声が響いてきた。

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さきゅばす☆の~と!【改稿版】 緋雁✿ひかり @TAMUYYN

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