儚くも懐かしき世界

『禁煙率100%を目指して!嫌煙党!』


 くだらない。法で守られた嗜好品をいやらしくも世俗の空気で縛ろうとするやり

口が気に食わない。


 …とは言ってられない世界だ。健康被害が明るみに出て、そこに健康志向が加わっ


て、更に多様性の尊重をトッピングしたら現代社会の完成だ。嫌煙者を尊重するの


はもっともだが、なら嗜好品として楽しんでいる愛煙家も保護してくれてもよさそう


なものだが、自分に実害の出るものは認めない。当たり前の話だ。俺だって、いくら


多様性を認めようとは言っても、炭疽菌をばらまくのが慣習なんです!という民族は


許せるはずもない。それは結局自分に害が来るからだ。若い頃ならいざ知らず、年老


いた私には反対活動をする元気はないし、そもそもするのもおかしい気がしなくも


ないので、若くてもやらないかもしれない。


 私はVeedenという煙草を愛飲する。これは数十年前に終売となってから一度も復


刻されていない。理由は単純、まずい。ラムの匂いはきつすぎるくらいだし、そもそ


もクズ葉を使っているからやけに青臭い。無駄にバニラの着香もしてあってもう何が


何だかわからない味だ。でも私は最後に大量にカートン買いしてから、ちまちまと


吸っている。火をつけ、先が赤く灯り、青い煙を吸って、白い煙を吐く。このわずか


な間に、時間旅行を楽しむのだ。若い頃はよかった。18で初めてもらった煙草がこ


のVeedenだった。あの頃はひたすら好きなことをしていた。行く先々でバイトをし


つつ、貧乏旅行。時には明らかにやばいバイトもしたな。いまでもその時の感覚が


思い出せる。ヤのつく自由業は何を考えているのかわからない。アメリカ旅行した時


に出会ったジェーンは元気だろうか。勢い任せにモーテルで一夜を楽しんだが、


ジェーンが寝た後は不安しかなかった。起きたらルージュの伝言でもあるんじゃな


いかと。まあそんなことはなかった。しいて言うならジェーンの彼氏が飛んできた


くらいか。時計で殴られただけで許されてよかった。…いや、明らかに許されていな


いな。そういえば鹿児島のみっちゃんはどうしているだろう。酒屋のみっちゃんはよ


く俺に金をせびってきたな。あいつは女によく騙されていた。いい加減学べと言って


も、アイツの馬鹿正直は治らないだろう。最後は農家の娘さんとお付き合いしていた


が、結婚したんだろうか。砂漠で死にそうになった時もあったな。バンダリとか言う


男に助けられた…軍人だったな。水をたくさん分けてくれたが、後で小便だと聞い


たときは胃ごと吐きそうになった。あいつは爆笑していたが。



 おっと、たばこが消えた。まだ10カートンは残っているが、まだまだ残しておこう。死んだら棺桶にでも詰めてもらう。俺は人生のいつでも、このVeedenとともにいた。だからこいつを吸うと色んな思い出がよみがえる。吸ってる間だけ、煙が肺と脳を侵食する間だけ、昔を振り返る。今日はこのくらいにしよう。まだまだもう少しは生きてるだろうから。


煙草を吸っている間だけ懐かしい記憶に戻れる。そうやって生きてきたから。儚くも懐かしき世界。

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儚くも しき世界 郡青 @koriblue

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