09

夕飯を終えると、急激に眠たくなってきた。

いけない。なんとか鏡を姫さまに返さなくちゃ。

「パパ。」

「ん? どうしたカナコ。」

テーブルの上には不恰好に継ぎ接がれた鏡が置かれている。装飾部分と鴉さんが持っていった部分は欠けたまま。

「その欠けている部分は、まだ森にあるの。」

「ああ、今日は山に行ってたんだね。一緒に行けば良かったね。」

その通りだと思う。

「それで、やっぱりそれはすぐに返した方がいいと思うの。パパ、一緒にお社へ行きましょう!」

ちょっと困惑気味ではあるものの、「まあ一緒ならいいか」と肯いてくれた。

「あ、オキヨメ。オキヨメってどうしたらいいのかな。」

正直出来ればもう湖には浸かりたくないので、出来るようなら今やってしまいたい。

「お清め? よく知ってるね。…そうだなぁ。」

少し考えるようにして、パパは消毒用アルコールを持ってきた。

「それでいいの!?」

「ああいうのは除菌除湿の事をいうんだよ。身の回りは清潔にしておかないと、体と心を悪くするよって意味だね。あとは、お清めしたよっていう気持ちが大切なんだ。」

なるほど。



夜なのに、ガァガァとカラスの騒ぎ声。

道の端を、ネズミたちが駆け抜けていく。

ザワザワと草木の揺れる音は何処か不穏で。

街灯も無くなった森の入口。

真っ黒な人影がひとつ立っていた。

「入らない方がいい。」

「鴉さん。」

「これだけ近寄って逃げないのは珍しいね。カナコ、カラスとも友達なのかい。」

どうやらパパには鴉さんがただのカラスに見えているらしい。多分言葉も聞こえてないんだろう。

「ゴシンタイの残りの破片を見つけたのです。姫様に返しに行かないと。」

「…手遅れ…うん、でも、賭けてみようか。ついていく。」



湖は冷えきっていた。

冬の夜だからというだけじゃないんだろう。水面は微かに細波立って、穏やかじゃない空気が伝わってくる。

「ええっと…」

ゴシンタイの破片を探そうと辺りを照らす。

「カナコ、ここ。」

「あ」

お社の中に置かれていた。

「あー本当だ。」

パパは装飾を手に取って裏表を確認している。

「パパ…」

「取り敢えず、応急措置ね」

パパは鏡部分を組み合わせ、装飾部分で固定した。接着剤は使ってないので激しく動かせば取れてしまうが、一応ゴシンタイは形を取り戻した。

「それで、これを…」

これを。

「…どうしたらいいでしょう」

鴉さんに助けを求める。

『 湖へ! 水に浸して! 』

「…兎さん…?」

『 早く! でも落とさないで下さいよ! 』

頷いて、湖の畔にしゃがみ込む。

「カナコ?」

「姫さま、どうか気を鎮めてください。」

水はとてもとても冷たくて、浸けた手は痛いくらいだった。どのくらい浸けておけば良いのだろう。パパが「鏡が悪くなっちゃうよ!」とか「冷たいだろうに!」とか、止めさせようとしてくれているけど、きっと、姫さまが鎮まってくれるまでは…。

「!」

「…ぉ。」

細波立っていた水面が、すぅと引いていく。

凪いだ湖の真ん中に。

キレイなキレイな、月が映った。

「見ろカナコ、あれがここの神様だぞ。」

漸く湖から引き上げた私の手を両手で握り込みながら、パパは湖面の月影を示した。

月映えの湖の女神ツキハエノミツヒメ。ああ、久々に見たけど、やっぱりキレイだなぁ。」



後日。

祈祷をして貰って、ゴシンタイも正式に修復に出して貰った。

「本ッッ当に、ありがとうねカナコちゃん。危うく荒魂に呑まれちゃうところだったわ。」

「もう十分呑まれてましたので、重々反省してくださいね。」

此処は夜の森──ではない。ゴシンタイは修復中だけど、ちゃんとした手順を踏んだことで力の安定した姫さまは、昼の森でも姿を見せてくれるようになった。

顔を綻ばせる私に、兎さんは冷たい目を向けた。

「いいですかカナコ。我々は貴方に恩が出来ました。返せる機会があれば返します。何かあれば伝えるように。」

「そんな大層な──」

否定しようとすると、極寒の瞳で睨まれた。

「貴方にとってこの森ひとつは取るに足らない価値しかないと?」

「……イイエ…覚えておきます…」

宜しい、と頷いて兎さんは視線を逸らせた。

「ええと…兎が相変わらずでごめんなさいね? でもそういうことだから、何かあったら遠慮なく言ってね!」

「ありがとうございます。」

姫さまはうふふと笑って。

「あの子にも、宜しくね。」



「パパ、姫さまと会ったことあったんじゃないですか!」

「いや、そんなの、小さい時の記憶だし。妄想か夢かと思うだろ。」

昔、パパがうんとこどもの頃、パパのおじいちゃんとよくお社に行っていたそうで。姫さま曰く、何度か会っていたんだそうだ。

「そうか…あれは現実だったのか。」

湖面の月があまりにキレイで、幻を視たのだと思っていたそうだ。

「パパ。まだ、また会えるかも知れないよ。」

そう言うと、パパは笑った。

「そうだなぁ。もう世話してくれる人も居ないし、これからはちょっと気を付けて見に行こうか。」

「私もついていくね!」



あちらの皆も元気にしているだろうか。

次の夏は久し振りにあの森へ行きたいなぁと思った。

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FT2 炯斗 @mothkate

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