何でも解決するマンの奮闘
南雲 皋
空園美鶴はサンタに会いたい
「しんちゃん、私サンタのおじさまに会いたいのです」
「は?」
空園女史からそんな発言が飛び出したのは、二学期の期末考査が終わった十二月の頭だった。
学年トップをひた走る空園女史も僕も、“テスト勉強“というものをすることはなくて、したとしても範囲内の復習を軽くする程度だったが、テストはテストだ。
終わるまでは何となく、浮かれた話をするのは避けていた。
期末考査の全日程を終え、校舎の裏手の道を少し歩いたところにある喫茶店へと来ていた僕らの話題は、自然とクリスマスの話になる。
僕としては、軽くプレゼントの下調べでも……と思ってした話だったのだが、空園女史の口から放たれた言葉に、思わず大きな反応を返してしまった。
サンタに、会いたい?
丸テーブルが四つにカウンターテーブルといったこじんまりとした喫茶店には、僕ら以外にも二グループほどが会話に花を咲かせている。
僕の驚きの声に、一瞬彼らの視線が僕に移り、そしてまた珈琲の香りに溶けていった。
マスターが僕にブレンドを、空園女史にカフェオレを運んで来てくれる。
僕は、一度深く呼吸をして珈琲を口に含んだ。
胸いっぱいに広がる珈琲の香り。少し酸味のある熱い液体が僕の舌を楽しませる。ミルクも砂糖も混ざっていない漆黒の揺らめきが、僕の心を落ち着けてくれた。
僕はカップをソーサーに置き、気合いを入れてから話を続けた。
「え、サンタさんに?」
「ええ。毎年クリスマスイブの夜に枕元にプレゼントを置いていってくれるのです」
「えーと……うん」
「お礼を言いたいと常々思っているのですが、いつも気が付くと眠ってしまっていて。結局今まで一度もお会いできたことがないのです」
「そ……っか」
「しんちゃんなら、この悩みも解決してくれますよね? サンタのおじさまに会わせてください!」
いつの間にか店内のお客さん、そしてマスターの僕を見つめる目が生温かいものに変わっている。
僕らはどこからどう見ても帝国学園の生徒だ。
というより、日本有数の財閥令嬢である空園女史は、世間一般にもそれなりに顔の知られた有名人である。
高校生二年生にもなってサンタを信じているのかと、恐らく全員がそう思ったに違いない。
しかし、サンタを信じる空園女史は何というか、……うん、可愛い。
彼女の夢を壊すなよ、少年! といった具合の視線が僕に突き刺さるのも、まあ仕方のないことだろう。
「空園くん、その……善処するよ」
「本当ですか! 何でも協力します! いい子にしていますし!」
「うん、とりあえず空園くんのお父さんと二人きりで話がしたいんだけど、いいかな」
「えっ、お嬢さんを僕にください……!?」
「それはまだ!」
咄嗟に口にした言葉に、一拍遅れて恥ずかしさが込み上げてくる。
……まだって……。
空園女史を見ればほんのりと頬を染めて嬉しそうににこにこしているし、別テーブルのお客さんは祝福の眼差しで僕を見てくるし、マスターは本日のケーキをサービスしようとしてくるし、ああ!!
僕は再び、目の前の珈琲に全神経を集中させた。
◆
喫茶店を出た僕らは、空園女史の家へと向かった。
空園女史に電話してもらったところ、父親は家におり、少しなら話が出来るというのだ。
僕は空園女史のお父さんに、言ってやらねばならない。
いくら娘が可愛いからといって、ガチでサンタを演出せずとも!
ってゆーかどっかしらで気付くでしょうよ!
まさかその辺りもお父さんの情報操作の手が伸びてるんじゃなかろうな!
「しんちゃん、大丈夫ですか? 表情が険しいですが……」
「だ、大丈夫」
空園女史の家はかなり広い。
門から玄関までの間に、運動会が出来そうなほどの庭が広がっている。
平日の午前中に庭師が手入れするとかで、いつ来ても見事に整えられた植栽たちが迎え入れてくれるのだった。
父も母も植物を愛でるような心の持ち主ではないようで、僕の部屋に小さなサボテンの植木鉢があるだけの我が家とは大違いの、素晴らしい庭。
その中央をしばらく歩いて、空園家の玄関に到着するのである。
空園女史は「あとでね」と言うと自室に向かった。僕はその背中を見送ったあと、執事の中田さんに案内されてお父さんの待つ書斎へと向かう。
玄関ホールに足を踏み入れた時点でもうかなり圧倒されるのだが、書斎もまた見事だった。
壁一面の本に囲まれた部屋の中、座り心地の良さそうな一人掛けのソファに腰掛けたお父さんが、向かい合うように置かれた同じソファに僕を促す。
中田さんに紅茶か珈琲かの希望を聞かれたので、紅茶をお願いした。
中田さんが書斎を出て、二人きりになる。
少しの奇妙な沈黙のあと、お父さんが口を開いた。
「さて、何の話かね、”何でも解決するマン”くん」
「僕は鴨宮……まあいいですそこは。今日は、サンタについて伺いたいことがあって来ました」
“サンタ”の単語を聞いた瞬間、お父さんは挙動不審になる。
きょろきょろと不安げに書斎の中を見回し、声のトーンを落として密やかに返事をした。
「美鶴から、何か言われたのかい」
「サンタのおじさまに会いたいと依頼をされました」
「ああ……っ! ついに来てしまったかこの時が……!」
お父さんはさぁっと顔色を悪くして、分かりやすく頭を抱えた。
僕は空園家のサンタの在り方について、説明を求める。
お父さんが話し始めようとしたところで中田さんが書斎の扉をノックし、会話が一時中断された。
ティーカップを二つ置いて出て行こうとする中田さんに向かって、扉の前で空園女史が来ないように見張っていろと命じたお父さんに、空園家のサンタ事情の一端を見たような心持ちになる。
「美鶴は……サンタを信じている」
「存じております」
僕は真剣に頷いた。
お父さんも真剣に頷いているが、しっかりしてほしい。
ある程度の年齢に達したら、それとなく事実を伝えるべきなのではなかろうか。
「美鶴は、素直な子でな。キラキラとした瞳でサンタのおじさまの話をされては、私がサンタだなどとは言えなくて……くっ」
「あー、よく今まで見付かりませんでしたね」
「一応、美鶴が目覚めてしまった時のために、サンタ協会からの委任状も用意してはいるんだが、あの子は一度寝たらなかなか起きない体質のようでな」
準備がいいな。なんだそのサンタ協会からの委任状って。
っていうかそれがあるなら見せたらいいじゃないか委任状を!
そんな心の叫びはおくびにも出さず、僕は会話を続ける。
「……一応、世間一般の想像するサンタクロースを再現して空園くんに会わせようかと思ったのですが……お知り合いに、いい感じの体型の方、いらっしゃいます?」
「いるにはいるが、美鶴が数回私への電話を取り次いだことがある」
「えーと?」
「あの子は耳がいいから、声で取引先の人間だと気付くかもしれん」
「あー、それは……ちょっと、アテがあるので、また相談させてください。とりあえず、サンタの衣装と、顔の大半を覆えるレベルのヒゲの準備はお願いしても大丈夫ですか?」
「ああ、任せてくれ」
「サンタの待つ部屋に空園くんを連れていく形にしようかと思うんですが、もっと派手な登場の方がいいですか?」
「いや……あまり変に盛り上げすぎて疑われても不味い。ここは堅実に行こう」
「分かりました」
堅実? とは?
よく分からなくなりながらも、至極真剣に話し合いを終える。
お父さんは書斎机の上にあったメモ用紙になにやらメモすると、僕に差し出した。
「私の電話番号だ。プライベート携帯の番号だから、気にせずにかけてくれて構わない。出られなかった時は、暇を見付けて折り返し連絡するようにするよ」
「ありがとうございます」
僕は自分の携帯電話にその番号を登録し、一度電話を掛けた。
お父さんの胸ポケットから着信メロディが流れたのを確認し、電話を切る。
「詳しい話は、また。よろしくお願いします」
「ああ、よろしく頼む」
それから僕は空園女史とラウンジで少しの会話を楽しんだあと、帰宅した。
家まで車で送ろうとする中田さんを何とか説得し、電車に揺られながら、僕はメールを打った。
サンタを生み出すのに必要なモノを手にいれるために。
◆
それから僕たちは頑張った。
空園女史に、前もってそれとなく『サンタさんに会ったら聞きたいこと』を聞いておき、想定質問を倍以上作成して回答を準備しておく。
谷倉氏に依頼して、小型の変声機も購入した。
谷倉博士は発明家としてはあまり名を轟かせていなかったが、既に完成されている機械に関しては他の追随を許さなかった。それなのに何故借金まみれと噂されるかと言えば、それは
変声機を受け取る際、谷倉氏の愚痴の捌け口となった僕は、彼に同情した。
サンタ役を任された男性と顔合わせをさせてもらい、それから予定を合わせて何度か練習を重ねた。
サンタクロースの資料映像を見漁って精査した動きを、可能な限りトレースしてもらう。
取引先の人と聞いていたから多忙なのではと心配していたが、どうやら既に名誉会長になって引退している方だったらしく、暇を持て余していたから嬉しいとまで言われてしまった。
自己紹介の際に言われた社名を聞いて、目玉が飛び出るかと思った。
僕の家にもある、家電の有名ブランドだった。
そんな会社の名誉会長を、サンタに?
僕が、指導を?
僕は脂汗が止まらなくなりながら、サンタについての研究を続けるのだった。
◆
クリスマスイブの前夜。
十二月二十三日の夜、遂にその時が訪れた。
「サンタさんは忙しいから、手早くね」
「ええ、ええ勿論です!」
キラッキラと目を輝かせる空園女史を連れて、来賓用の客室へ向かう。
来賓用の客室って何だよって感じなのだが、そう言われたのだからしょうがない。
既に室内にはサンタクロースが待ち構えている。
僕は恭しく観音開きの扉の片側を開けて、空園女史を中へと促した。
「こんばんは。お招きありがとう」
もこもこのヒゲの陰に隠した変声機は、空園女史の隣に立つ僕にも確認出来ない。声も前もって調整したサンタクロースにぴったりの低くて大らかなものになっている。
肝心の空園女史はと言えば、感動のあまり挨拶も出来ないらしい。
大きな瞳に涙を湛え、ぷるぷると震えている。
「あ、あ……こ、こんばんは……その、お忙しいところありがとうございます、私……どうしてもお礼が言いたくて……!」
「いやいや、きみたちに幸せを届けるのが、サンタクロースの務めだからね」
「毎年、ありがとうございます! いつも、本当に嬉しくて……」
空園女史はサンタの仕事時間を気にしているのだろうか、さほど質問をしたりはせず、早々にサンタへの別れを自ら切り出した。
「お、お忙しいでしょうから、もう大丈夫です。本当にありがとうございました!」
「ホッホッホ、きみは本当にいい子だね」
「最後に……その……今年のクリスマスプレゼントについてなのですけど……」
「うん?」
空園女史はたたたっとサンタに近付き、耳元で何かを囁いた。
変声機がバレやしないかとひやひやしたが、どうやら大丈夫だったらしい。
サンタは空園女史のこそこそ話に少し驚いたようだった。
「それは、そうだね……きみのお父さんと相談しなくてはならないかな」
「そ、そうですよね! 大丈夫です、無理のない程度で!」
「ホッホッホ、それでは、またいつか」
「はい! いい子にしています!」
サンタは中田さんと共に、客室を後にする。
空園女史はサンタが見えなくなるまで、ずっと頭を下げ続けていた。
僕は空園女史に見えないように、胸を撫で下ろした。
「しんちゃん! ありがとうございます! 念願が叶いました!」
「それはなにより」
心の底から嬉しそうな空園女史を見ていると、自然と笑顔になる。
うん。頑張った甲斐があった。
唯一の問題は、僕自身が空園女史に渡すプレゼントを買えていないことくらいだ。
うん。やばい。
◆
空園家から帰宅した僕は、急いで女子に人気のクリスマスプレゼントを検索する。
検索結果を眺めていればピンと来るものがあるかと思ったのだが、なかなかどうして難しい。
どうしたものかと思っていると、空園女史のお父さんから電話が掛かってきた。
『美鶴へのクリスマスプレゼント、もう用意してあるのかい』
「い、今ちょうど探していたところでした……」
エスパーか。
僕は思わず変な声が出そうになるのを堪え、そう返事をした。
『それならちょうどいい。君はプレゼントを買わなくてもいいから、明日の夜七時に我が家の門のところへ来てくれ』
「え? は、はい」
詳細は全く教えてもらえず、電話は切れた。
僕は呆気に取られつつも、何か連名で贈る方がいいプレゼントでも用意したのかな、などと自分を納得させ、眠りに就いた。
◆
次の日、約束の時間に門の前へ行くと、中田さんが出迎えてくれた。
何故か玄関ではなく、使用人の通用口から入らされる。
あ、これはあれか?
サプライズパーティ的な?
そんなことを思いながら、案内された先は見覚えのある場所。
「え? ここって空園くんの部屋では?」
中田さんが三度ノックして、返事を待って扉を開ける。
満面の笑顔のお父さんが、僕を迎え入れた。
「さあ美鶴、サンタさんからのプレゼントだ。下準備を私に任せてくれたんだよ。来年からはパパがサンタさんかもなあ、ハハハ」
「しんちゃん!」
「え? え?」
「ありがとうパパ! きっと素敵なサンタさんになれるわね!」
「そうだろう、そうだろう」
「え?」
「結婚するまでは床を共にすることは控えてもらいたいが、どうするかなぁ、とりあえず誓約書でも書いてもらうか? 美鶴」
「そうですね、文書になっていた方が確実ですね」
「待って! 待ってくださいどういうこと!?」
「サンタのおじさまにお願いしたんです! 今年のプレゼントはしんちゃんがいいですって」
「嘘でしょぉぉぉぉぉ!?」
またしても、僕の叫びは夜の闇に溶けていくのだった。
>>おわり
何でも解決するマンの奮闘 南雲 皋 @nagumo-satsuki
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