人識と霊感
かけ出し
幽霊
"おや、やっと誰かが私を選んだらしい。"電車に乗った時のような、心地よい振動が私を包んだ。
文房具屋の、なんてことない3色ボールペンにひっそりと身を隠し、所有者を待つのもなかなかに大変だった。
案外スッと選ばれるものと思っていたが、なかなかどうして、所有者が決まるまでにはかなり時間がかかった。 よくよく考えてみれば、数十本あるペンの中で、私のペンが選ばれるのは、確率的に難しいことではあるのだが。
次回から文房具を依り代にするのはやめておこう……次回があることはないと思うが。
私は1年前に死んだらしかった。
…らしかったというのは、死んだ瞬間をどうしても思い出せないから、細かい年月を思い出せないのだった。
生前私はいわゆるブラック会社勤めで、毎日上司からは罵詈雑言を浴びせられ、深夜まで残業。(もちろん残業代は出ない。)
くたくたになりながら家に着くと、食事や風呂もそこそこに意識がフェードアウト。次に目を開けた時にはまた仕事…。
とても疲れていた。癒しとなる家族もいなかった。
その瞬間は駅にいたはずだが、電車にひかれたような気もするし、過労がたたって倒れたような気もする。
とにかく、1年ほど前に、気づいたら私はいわゆる゛幽霊゛というものになっていたのだった。
幽霊という状態について少し説明すると、生前時の、言わゆる残留思念のような状態らしく、移動したり、町の人々や風景は眺められるのだが、物や人に触れたり、会話することはできなかった。
(私と同じような、その辺をふらついている幽霊とは会話できるのだが。)
さらに言えば、いわゆるイメージ通りの、呪いだったり、因縁のある相手に憑りついたりなんて芸当は決してできないのだった。
何故断言できるかというと、幽霊になって色々試してみた結論として、私自身にそんな能力がないことが分かったからだ。
また、公園によく出没する番長みたいなおっさん幽霊に聞いたところ、XX町の廃屋に出没する女の幽霊が、3人憑り殺したらしいということであったが、怖いもの見たさで実際にあってみたところ、ただの虚言癖・電波おばさん幽霊だった。
ただ、たまに波長の合う人間は、我々幽霊を明らかに視認していることがあるそうだが…。
出会った幽霊たちは誰もかれも、人間に認知されることもなく、ただその辺を漂っているだけの存在なのだった。
そんな我々幽霊は、大体1か月や2か月もすると存在が雲散霧消し、成仏していくと幽霊の先輩から教わった。
ただし、幽霊仲間からの情報では、ものや土地に憑りつく、憑依霊になれば、しばらくは現世に帯同できるということだった。
人に憑りつくことができなかったので、にわかには信じがたい話ではあったが、ガセ情報であったとしてもどうせ消えゆく存在であるし、試す価値はある。
物や土地に憑りつくなんて試したことがなかったし、私はどうせならこの「幽霊ライフ」を長く楽しんでやろうと、憑依霊になることを決めたのだった。
そして、フラっと目に入った文房具屋をみて、そういえば真新しい商品に憑りつく幽霊もなかなか聞いたことがないなぁ、と考え、面白半分でそこに売っていた3色ボールペンに憑りつくことにしたのだった。
案外と憑りつくことは簡単にできた。ただ、憑りついて初めて気づいたが、行動範囲が憑依したペンの半径1キロほどに限定されてしまった。
なかなか私のペンが購入されないことにやきもきし、依り代を変えようと色々模索したが、出ることができない。
甘ったるい香がたいてある店内の中に、毎日いると気分が悪くなるので、外のベンチに腰掛けながら、店員の働きぶりや、まばらに来る客や周りの風景を、なんとなくぼーっと眺めながら退屈な日々を過ごしていた中、やっと私の憑りついたペンが購入され、現在に至るのであった。
なかなか出てこない持ち主を、店の外で待つこと数十分。ようやく出てきた持ち主を、私はまじまじと見つめた。
見たところ割と若い男らしく、背丈はそんなに高くないが、それなりに整った顔立ちをしていた。
大学生だろうか。妙にはつらつとした顔をしており、社会人のようなくたびれた感じもしない。
まして、私のようなブラック会社勤めだったものが発する、特有の邪気のようなものも感じられない。
身なりもきちっとしているし、服装も若々しかった。恐らく大学生か、夢を追いかけている若者なのだろう。
ふと私は家に着くまでの道のりで、そういえば憑依霊になって何をするか決めていなかったなぁ、と思いたった。
見た目からして、私のような陰鬱とは程遠いきらびやかな生活を送っていそうな彼が、いったいどんな生活をしているか、非常に気になった。
あるいはこの男を観察し、"脳内観察日記"を付けるのも面白いかもしれないな…。私の行動指針が決まった瞬間だ。
男は近くのアパートを宿にしていた。家の中は非常に片付いている…というかほとんど最低限のものしか置いていない簡素な部屋だった。
机の上には、大きなPCがおいてあり、数珠だろうか…?くたびれたアクセサリーみたいなものが無造作に置いてあった。罰当たりな奴だ。
男は早速荷物を置くと、PCの前に座り、おもむろに猥褻サイトを物色し始めた。
私も同じく"脳内観察日記"の記念すべき1ページ目を開き、 にやにやしながら彼の行動を記憶していった。
一通りことを終えると、男はすぐに寝床につき、グーグーといびきをかいて眠りだした。…呆れたやつだ。まだ夕方じゃないか。
男が眠ってからやる事のなくなった私は、男の部屋を観察した。机の上に置いてある本や帳面、はきちんと整理されており、 非常にまめな人間であろうことが予測できた。開きっぱなしの折り畳み財布を見ると、やはり私が思った通り大学生であることが分かった。この辺で有名な、なかなか賢い大学だ。一通り観察を終えると、やる事もなくなったので、私も部屋の隅へ移動し、眠ることにしたのだった。
半月が過ぎた。
男は最初の数日こそ、どこかへ出かけては、大量の食塩を買ってきたり、小さな四角の紙を買ってきては何やらそこに書き込んだり、色々と何かを作業しているようだったが、それもすぐにやめてしまい、家でぐうたら寝ているだけの日々を送っていた。
最初はどんな猥褻動画を見ているのかとか、どんなものを食ってるんだろう、と興味を持って色々観察していたが、次第に飽きてきた。
大学生であろうはずなのに、勉強したり友達と遊ぶこともない。それどころか学校にさえまともに通っていない様子だった。彼女もいるようには見えなかった。
…私としては、依り代であるペンを大学までもっていってくれれば、そこで観察日記の幅も広げられるだろうと考えていたのだが…。
バイトもしている様子はなかった。最初の方こそ、嬉々として"脳内観察日記"に色々と記憶していった私だったが、ここ数日は、
X月X日 昼過ぎに起きて、簡単な食事をとる。マスをかいた後は一日中ゲームをして夕方には就寝。
X月X日 昼過ぎに起きて、簡単な食事をとる。マスをかいた後は一日中ゲームをして夕方には就寝。
X月X日 昼過ぎに起きて、簡単な食事をとる。マスをかいた後は一日中ごろごろして夕方には就寝。
X月X日 昼過ぎに起きて、簡単な食事をとる。マスをかいた後は一日中ゲームをして夕方には就寝。
X月X日 昼過ぎに起きる。久々にどこかへ出かけると、カップ麺を大量に買い込んで帰ってくる。 早速買ってきたカップ麺を食べ、マスをかいた後一日中ゲームをして夕方には就寝。
X月X日 昼過ぎに起きる。一日中ごろごろして、夕方には就寝。
といった塩梅で、こんな日々を繰り返すばかりで、何をするでもなくだらだらごろごろしているだけなのだった。
むしろ幽霊になってからの私の方が、規則的な人間らしい生活を送っているのではと思えるほどであった。
日記をつけていく中で、私の中の男のイメージはどんどん悪くなっていく一方であった。
ファーストインプレッションがあてにならない、いい教訓になったということにしよう…。
半月目から一週間を過ぎたあたりから、私はただ観察することを辞めて、男の前で変な顔をしてみたり、ソーラン節を踊ってみたり、様々な行動をとって暇つぶしをするようになっていった。
しかし、男はやはり私の事は見えていないようで、暮らしぶりが変わることはなかった。
だんだんと腹が立ってきた私は、聞こえないことをいいことに男に対して、自堕落な生活を辞めて、真っ当な人生を送るよう、一方的な説教をするようになっていった。
どうせ聞こえていないので、ふと我に返ると、むなしい限りなのだが…
大声をだすと、この退屈な観察生活でたまったストレスが少し発散できたように思えた。
ある日、男は何か考え事をするようにじっと動かなくなったかと思うと、おもむろに部屋を飛び出した。
何をしに行ったのかちょっと気になったが、どうせカップ麺生活に飽きて、別の食材でも買いに行ったのだろう。
しばらくすると男は帰ってきた。手には少し大きめの箱を持っており、家に着くなり早速中を開けて何やら組み立てだした。
どうやらアロマの香りを噴射する機械のようであった。早速男はその機械を起動させたのだが、これが臭いのなんの。
何とか止めようと思って色々試行錯誤したのだが、いかんせん物に触れない私の手は、空を切るばかりであった。
仕方なく部屋の隅に避難し、じっと耐えてることにしたが、この先ずっとこの悪趣味な臭いが放たれ続けるかと思うとぞっとする思いだった。
男はアロマ機械を買った後は、また元の自堕落な生活に戻っていった。
これだけ自堕落なのに、不思議と部屋の片付けはちゃんとしており、清潔感はずっと保ち続けられていることが私の中で、一番の謎であった。
悪趣味なアロマにもだんだん慣れてきたが、男の自堕落な生活に辟易し、前のようにちょっかいをかけたり説教する気もなくなった私は、元の観察日記をつける生活に戻っていった。
…あれから1か月が経過した。
男の生活はそれからも変わることがなかった。私は今までつけていた、"脳内観察日記"を振り返る。
食料を買いに行く以外はずっと家でマスをかいたり、ゲームをしたり、ごろごろしたり…
何だこりゃ。遊んで、食べて、寝ているだけではないか。
こんな若くてなんでも出来る時なのに、生産的な事は全くせず、自堕落に暮らしているだけではないか…。
これでは私とこの男、どちらが死人なのかわからないではないか!
…そう考えた瞬間、私の体はパッと光ったかと思うと、徐々に透けるように薄まっていった。まさかこれが成仏と言う奴ではなかろうか。
待ってくれ。こんなつまらんことで折角の幽霊生活を終えるなんて、たまったもんではない。
どうせなら、ピチピチの女子大生か、OLの所有物に憑りつくべきだった…。
大体あんな適当に依り代を決めるべきではなかったんだ…。
どちらにせよ、もっとましな形で成仏を迎えたかった…。
……気持ちとは裏腹に、どんどん私の意識は薄れていった…。
…あぁ…今度生まれ変わる時は、…この男のような自堕落な人生でも、私の送ってきた陰鬱な人生でもない……もっと華やかで楽しい人生になるように……努力しよう…。
そこまで考えた後、私の意識はぷっつりと消えた。
人識と霊感 かけ出し @KATAZURI
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。人識と霊感の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます