EPILOGUE

第14話 慶司

 お父さん。


 慶司さん。


 ねえ。


 また、あの夢を見たわ。


 少女の頃の私が走っているの。

 やり残したことがあるのかしら。私、やり残したことっていったら、一つだけ。


 私は学生時代、本をたくさん読んだわ。もっともっと読みたかった。

 私の夢はね、地元の市立図書館の本を一つ残らず、あ、絵本と小説に限定してよ、それを読み尽くすことだったのよ。


 それをね、私は夢の中で試みているのよ。馬鹿みたいに毎日毎日。見たい夢ってなかなか見られないものよね。

 でも、この夢に関して言えば別で、決まってこんな時間帯――白昼夢っていうのかしらね、昼下がりにうとうとしながら思い出を蘇らせると、私はたちまちあの風景の中に身を置くことができるの。


 夢の中で読んだ本について?

 タイトルや内容なんて覚えているわけがないわ。だってその体験は全て空想なんだもの。夢の中では、ありがちな、私の知識を繋ぎ合わせたそれらしい本が存在しちゃっていて、私は何の疑いもなく読書に没頭できるの。

 でも、今思えば、そんなものは張りぼてよ。舞台のセットよ。中身は、あるように見えて、てんでないの。


 何だか最近、夢と現実の境目が曖昧なのよ。困っちゃう。

 あなたが、こんな風になってしまってからだわね。

 私は、現実から逃げたいと、少しでも思っている証拠よね。


 そんな私からすれば、時を止めてしまったあなたは幸せに映るわ。



 夢から完全に醒めて、立ち上がるとき、私は思うの。

 ほら重たい体よ、さっさと子ども達のごはん支度をしなさいな。

 さっきまで、夢の中では私は少女で、全速力で駆けられるのに。

 現実の私は、おばさんで、結構太っちゃって醜い、貴方の妻なのよね。


 あなたの瞳に映る「鳩子」は、どんな姿をしている?

 どんな服を着ていて、どんな風に歩いている?


 鳩子。私の名前。

 慶司さん。この世の中で、私を「鳩子」と呼んでくれるのはあなただけなのよ。


「鳩子」を殺さないで。



「鳩子」を、忘れないでいてちょうだいね。



 そうそう、私はなんだか最近おかしいの。

 あなたの大事にしているハムスターの名前、けっこう気に入っているんだけれど。ほら、あなたがまだしゃべれるときに付けた名前でしょ。


 夢からすっきり醒めた感覚を、久しぶりに味わっている。

 そう、私、考えてみたら、娘なんていなかったわね。

 あなたのことを言っていられないわ。


 さあ、さあ、部屋から出てきてちょうだい。一緒にごはん、食べましょ。


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白昼夢の家族 小鳥 薊 @k_azami

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