凛堂ロザ

「起きろヒロト。いつまで寝ている」


 朝。


 そう。朝だ。


 僕、青木ヒロシが橘高ヒロトとして迎える三十四回目の朝。


「おはようロザ……って七時⁉︎ 今日は休みじゃないか……もう少し寝かせてよ……」

「そう。学校もないし、任務も今から四十七時間五十八分は入らない」

「あ、でもあれか。確か……君の民間社会融和プログラムの一環で、監督者同伴で市街商業施設を社会見学に……」

 ロザが瞳を輝かせて言った。

「憶えていてくれたか!」

「に、しても七時は早くないかい?」

「そ、そうか。いや……私も早いかも知れないとは思ったんだ。だが、どうせなら早く支度して出掛けた方が現地での見学時間も長く取れるし、長く取らなかった場合でも、早く帰って来て家で休養する時間も取れるかと。分かった。十時にもう一度起こしに来る。それくらいならいいか?」

「いや。もう目も覚めたし。起きるよ。早く起きたし、今日の朝ご飯は僕が自分で作ろう」

「それには及ばない。私が作っておいた」

「何時に起きたんだ君は。まあ、でもありがとう」

「今日の朝ご飯はロースカツだ」

「おっも」

「重い……か? 実は前から人間の朝ご飯の簡単さが気になっていたんだ。三食の内、前回の食事から一番時間の開く朝ご飯が軽食なのは栄養学的に見てバランスが悪いのではないか、と。この前作ったロースカツが君に好評だったから、喜んで貰えるかと思ったんだが……」

「気持ちは嬉しいけど……人間の消化器官は起き抜けから活発には動かないんだ。パンケーキやサンドイッチくらいで丁度いいんだよ」

「そうか……済まないヒロト。私はアンドロイドだ。勉強するようにはしているが、人間の生理現象や肉体の機能について、実感を伴った知識を持ち得ない。君が起きてから、メニューの選択肢から選んで貰い、その後に調理に入るべきだったな……」

「因みに選択肢には何があったの?」

「唐揚げとカレーうどんだ」

「おっも」

 ロザは僕に背を向けて俯いた。

「私は……君のパートナーの資格はないのかも知れない。もしも。もしもだ。私が人間の女性だったなら、こんな失敗はしないだろう。本当に……済まない」

 僕は彼女を包むようにそっとその背中を抱きしめた。

「人間の女性だって失敗はするさ。多分、ロザよりもずっと」

「ヒロト……」

「でもお互いに相手のことを学んで、少しずつ本当のパートナーになって行くんだ。僕らにはそれができる。時間を掛けてお互いを知って行こう。他の誰よりも深く、深くさ」

「ああ……ああ、そうだな」



 できるわけがないのだ。

 あの状況で僕が死ねば、ロザは破壊されるのを待つだけ。

 そんなことが、そんなことがこの僕にできるわけがないのだ。

 こんなに素直で、一途で、少しずれた所もあるけれど真面目で、一生懸命で。こんな子を、僕の都合で見捨てて死なせていいわけがない。

 この腕の中にいる彼女は、今の僕に取って他の何よりもはっきりした大切な現実だ。

 僕が見て、触って、感じることが現実ならば、もはやこの世界は幻覚でも妄想でもない。紛れもない現実なのだ。


 だから僕は、この世界を生きる。

 だから僕は、彼女と共に歩み、彼女を守る。

 それがこの世界を、凛堂ロザを、今の有様で生み出した僕の責任だ。僕の義務だ。他の誰にも任せられらない、僕の使命だ。


 僕はロザを抱き締める腕に、ぎゅっと力を込めた。


「今か? 今なのかヒロト?」

「? 何が?」

「君の持て余す性欲を、私が生殖部位以外を使って処理する依頼を受けるのがだ」

「あのね……僕にも性欲はあるけれども、僕の言うことを聞いてくれる女性型アンドロイドに、だからと言ってホイホイその処理を頼んだりするのに抵抗があるくらいには、人としての良識はあるつもりだよ?」



*** 了 ***



 実験室を強化ガラス越しに観察するモニタールームで、少尉はサングラスを掛けたスーツ姿の女性と共に遠隔操作のマニュピレータが行う最終工程を見詰めていた。

 別室でマニュピレータを操作しているのは齢十五にして四つの博士号を持つ天才少女。彼女が操作する機械の腕は、反応炉から慎重に炉心部分を抜き出し、その冷えて固まった炭素の外殻を砕いて、中から虹色に輝く透明な物質を取り出した。


「……成功だ」

「素晴らしい。新しい時代の到来ですね、大佐」

「ああ。少尉。非公式だが、我々は科学の歴史のターニングポイントに立ち会った、新時代の生き証人だよ」

「複雑な光の反射の仕方ですね。いや、光じゃないのか。つまり……あれが」

「そう。神への鍵か悪魔の卵か。人類が初めて手にする完全な論理具現物質。純度九九.九九九九パーセント。世界初の──」

 大佐と呼ばれた女性は、口元だけで笑みを作った。

「──だ」



デリリウム・デリュージョン

***** 完 *****

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デリリウム・デリュージョン 木船田ヒロマル @hiromaru712

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