独りごち

モノ柿

ねえねえ聞いて?



 たくさんの人の中にいる。

 行き交う人にぶつからないように、私はその雑踏の中で足を動かす。

 迷路のような入り組んだ地下通路で、そんなところに押し込められるみたいにしている私たちは、この町に住んでいると自分のことを言う。

 夕方を過ぎた時間帯で、金曜日の今日に何か用事を持っている人たちが私の横を通っていって、慌てすぎて少しよろけたりして、そんな風に週の終わりを楽しみで締めくくろうとしているのがわかった。

 家路を行くだけの私は、特別急ぐでもなく、翌日に控えた休日に思いを馳せたりしながらホームに上がる階段を見上げ、足で上ろうかエスカレーターを使おうか、ついと悩む。

 結局、運動不足を多少なり軽減するためと自分に言い聞かせて階段を足で上る。

 電車の発車前の音楽に、私はふっと顔を上げたけれど別に次の電車に乗ればいいやとゆったり歩く足を速めたりはしなかった。

 そんな私の横を、焦った様子で少しお腹のぽっこりとしたスーツ姿の男性が駆け上がっていく。

 急いでも、電車はもう発車しちゃいますよ。

 少しだけ意地の悪いことを心の中でつぶやいてみたりして、階段を上りきると、案の定男性が息を荒くして待機列に並んでいた。

 私はその男性とは反対の乗り口の待機列に並ぶため、人の少なくなる奥の方へと足を進める。

 真ん中の車両は混んでますよ。そこの列に並ぶと満員電車ですよ。

 通りすがりに手前側の列に並ぶ人たちに、聞こえるはずのない忠告とも挑発ともとれる言葉を口の中だけで唱える。

 最奥の列はいつも通りの人の少なさで、私はそんないつも通りに少しほっとしてイヤホンをしてスマホに目をやる大学生くらいの男の子の後ろに並んだ。

 どうやらゲームに夢中のその大学生は、何やら口ずさみながらタツタツと画面をたたく。

 怪しまれないように周りを見ると、首を曲げてスマホに目を落とす人が大半で、少数スマホをいじることなくいる人もイヤホンを耳にさしていた。

 賑わっているはずの町の中で、私は今、一人。

 誰と喋るわけでもなく、一人の空間をあえて作る人たちに囲まれている。

 くらりと鈍い疼痛に襲われて、立ちくらみのように足がふらりと揺れる。

 そんな私を前に立っていた大学生がいぶかしがるように睨む。

 怖いなぁ。おどけるように心の中でつぶやくと、何事もなかったように背筋を伸ばして電車を待つ。

 5分もしないうちに電車はホームにやってきて、私はいつも通りにそんなに混んでいない車内で壁により掛かって立って、窓の外を見つめた。

 発車した電車は、アナウンスが流れ車掌さんが自動音声から引き継いで人身事故の影響を伝えた。

 どことどこの区間で事故が起きて、電車の遅れはどれくらいで、そんな話をしている間、私以外の人は耳に流れる音楽で人が一人亡くなった事情を知らずにいる。

 どこででも起こるありきたりな事故で、自分とは関係のない人間の事情を。

 胃の奥の方をぐーっと握り混まれたような感覚が私を支配して、それを押し込めるために私は強く拳を握る。強く強く、そんな風にしているうちに、なぜか歯も食いしばっていて、私は何を感じているのか理解した。

 電車が一つ目の駅に到着すると、少しの人が乗り込んできた。

 その少しの人もよく見る人ばかりで、話したこともないけれど顔見知りな気がした。

 小さな男の子を連れた女性が、空いている席に子供を座らせると、子供の隣に座っていた高校生くらいの男の子がすくと立ち上がり車両の前の方へと歩き去って行く。

 目の前にいる女性が煩わしかったのかもしれない。そんな風に考える自分を嫌な人間だと思って、彼は声はかけられないけれど席を譲ったのだと、そう思うことにした。

 その席に女性が座ったのを遠目からみていた彼は、どこかほっとした顔をしたような気がした。

 電車が四駅ほど過ぎて、私の目的の駅にたどり着いたときには夜は町に溶けていて、改札を抜けた先ではスーパーの安売りののぼりが目を引いた。

 しかし私は安売りの誘惑に負けることなく、昨日勢いで買ってしまったかたまり肉を調理するため足を家へと向ける。

 チリンチリンと目の前を自転車が横切る。

 私が足を止めなければ衝突していたほどの距離。

 目で追うようにして乗り手を見たが、その人は何事もなかったように颯爽と去って行く。

 はぁ、とか、ふぅ、とか、そんな感じの息が漏れて、ああ疲れてるなあと感じた。

 でもその吐いた息のおかげで、今が冬なのだと体感することが出来た。息が真っ白に変わったのだ。

 ふふ。

 少し楽しくなって、ふーっと吹いたり、はっと吐いたりして、白い息を楽しんで、ふふっと笑うとそれも白かった。

 駅前から住宅地に入ると街灯がまばらになる。少し薄暗いくらいの空間で、それでも前は見えるし明るいよねと思う。

 空を見上げれば月に照らされた雲が立体的に浮かんでいて、その全体が白いんだとわかる。

 多分あれは誰かの吐息だ。思ったけれど、ちょっと気持ちわるかった。

 カツカツと歩くと、足首が寒いような気がしてすこし足を速める。

 塀に囲まれた日本家屋のおうちでは、どうやら少し遅めのクリスマスパーティーが催されているようだ。

 耳が拾い上げる情報が、目が受け取る情報が、うっすらと私を染めていく。

 胸が鈍く痛む。

 今度は何だろう。

 歩きながら考える。

 もう少しで家に着く。

 それまでにこの感情が、理解できれば良いなと思って寒さを忘れて足を緩める。

 そっと胸に触れた手が、どこにも触れている感じがしなくてびっくりした。

 コートのポケットに手を突っ込むと、なんとなく大きく息を吐いた。

 空に現れた白い煙が、さーっと流れて消えていく。

 私の中からなにかが流れ出ていったような気持ちになった。



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