第七十二話 政元の変貌

 武家社会においては、不義密通は死罪である。正室でなければうるさくは言われないが、身分が身分である。そして、親父は武者小路築子を正式に正室(継室)としていた。だが、この場合は果たして不義といえるのであろうか。そして、明らかに密通ではない。だから、不義でないという言い訳が立つならば義母は無罪放免である。だから、不義でないという証明に、親父は、義母が上洛した折、離縁していたのだという証明をしなければならない。相手の元管領様であるが、その辺の決め事は家によって決まる。ましてや、当主本人である。自死などということにはならないだろう。


 そんな訳で、書かれたばかりの何か月も前の日付の当然直筆の離縁状を持って、俺は上洛することと相成った。本来家老クラスが出向く事由ではあるが、細川右京兆家との付き合いの濃さ、京からついてきた家老はみな高齢であり、関東出身者は京に明るくないことから、俺が行くことになった。従えるは松波庄五郎のほか、鎌倉と堀越から武士三十人ほどを引き連れての上洛であった。最新鋭の三本マスト船、箱根丸で急行する。急ぐ話なので、堺には寄らず尼崎で投錨し、そのまま渡辺一族が差配する淀川廻船で京に上ることにした。もっとも、畿内に入ってからの全ての行程の差配は、細川家の家宰安富築後守元家によるものである。箱根丸を降りてからは面倒な手続きはなく、都へと向かうことだけであった。


 安富筑後守は、讃岐東方守護代(半国守護代)でありながら、京にあって細川政元の家宰を務める、いわば側近中の側近である。

 京に着き、京兆屋敷で旅塵を払う間もなく、座敷で筑後守と相対した。上座の円座に座らせられ、親父直筆の書類を手渡す。彼は書類を伏し頂いてから開き一読すると、ホッとしたように笑みを見せた。


「助かりもうした。これで、細川家は‥‥」

 筑後守がなにか言いかけたところで、いきなり板戸が引かれ、僧形の恰幅の良い初老の男が入ってきた。

「筑後、筑後ここにおったか。あ、これは、失礼いたした。関東按察使あぜち様」

 この男は、細川典厩家元当主、道勝である。典厩家の当主を息子の政賢に譲ったが、摂津西成郡の分郡守護に任じられており、政元の幼年時代の後見もしていた関係で右京兆家内では大きな影響力がある。その中務少輔政国改め道勝は俺の前に座り礼をとる。

「六郎様。これ、ここに関東様の書状が」

「あ、六郎殿。今、耳慣れぬ呼びかけがあったように思うが」


 按察使とは令外官で、国司を統括する役職として奈良時代に創設された。しかし、陸奥、奥羽以外は、有名無実となっているはずである。関東按察使というと、関東各国の国司を統括する役職ということだろうか。関東公方の朝廷版ともいえようか。それにしても、二、三か国ならともかく八か国ともなれば異例中の異例。どこまでを指定してくるのか。場合によっては、追加で銭を積み上げることになる。


 細川道勝がいうには、親父と俺の官位を武家伝奏ぶけてんそうを通じて奏上していたとのこと。ついては、細川屋敷に武家伝奏の権大納言勧修寺教秀様が、近々お見えになるらしい。親父には、正三位左大弁、俺には従四位按察使というわけである。

 細川家の浮沈にかかわる問題だけに、相当張り込んだと見える。それにしても、按察使とはまた、カビの生えたような官位を持ち出したものだ。-


「して、九郎殿はどうなされておるので?」

 ひとしきり礼を述べあってから、尋ねると、道勝と六郎がぴたりと動きを止めた。


 政元の部屋を訪れ、案内の若侍が俺が来たことを述べると、すぐ入室を許された。そして、すぐ、後悔した。道勝と安富築後守の言う、色狂いになってしまったというのは、本当のことのようだ。まさに、その行為の最中であった。

「これはこれは、関東御世子様ではないか。久しいのう。生憎と手が離せぬところでの。このまま語らせてもらおう」

 半裸の政元が、身を起こしながら、薄ら笑いを浮かべ言った。

「この度は、儂の不徳の致すところであった。求めた書状を持参されたのであろう。実にありがたい。これ、この通り」

 俺に大きく頭を下げる。

 俺の体は固まってしまったようでわずかに頷くだけで、言葉も出なかった。


「聞けば、この世には房中術なるものを使う者がおるそうではないか。儂は先日まで不犯を貫いてきたが、逆に女性と数多交わり、喜ばせ、和合の快楽の果てにある極地、その極地に身をゆだね神仙へと至る者がおるのだと」

 政元は、ぐったりとした遊女らしき女性を片手で起こし、もう片手でたわわな乳房をゆっくりと弄んだ。

「それにしても、女性にょしょうとのこういう行為が、これほどに旨いものとは、思わなんだ。一度いたしてからは、病みつきになったわ。それにしても、そなたの義母殿は、殊の外、味良い女子であったよ。京兆家の世継ぎを孕んだ故、今は触れられぬがな」

 そう言って、嗤った。無駄に鍛え上げた政元の筋肉が蠢く。

「修験道はもう止めじゃ。儂は、房中術を以て神仙に至る」

 俺は、言葉もなくその場を辞した。


 義母はというと、細川右京兆家の御台所と呼ばれるようになっていた。

 かなり広い部屋を割り当てられ、侍女も三人ほどが傅いている。

「この度は、妾などのために態々の御上洛ありがとうございます。政綱様」

 優雅に礼をする、義母は若やいで見えた。

「手籠めにされたときはどうなるかと思いましたが、孕んだことが分かってから、下へも置かぬ扱いです。九郎様は、今は遊女を使っておいでですが、孕んだことが分かるまでは、それはつろうございましたのですよ」

 まださほど目立たない腹をさすると、ひっそりと笑った。

「鎌倉には帰れなくなってしまいました。それどころか、わたくし、離縁・・されたのでしょ?」

「はい、父上も断腸の思いで‥‥」

「まあ、嘘ばっかり」

ほほほと、上品に笑うと

「あの方のことは分かっています。関東の大名たちから幾人も娘を送られておりましたから、私がいないことなど気にも留めないでしょう」

強い調子で、言い切った。

 ここは少し言い訳したほうが良いか。

「いえ、それが、先ごろ、脚気を患って寝込んでいたので、閨に娘を引っ張り込むこともとんとなくなりました」

「あらまあ!」

 一声上げると、からからと笑った。笑いが収まるかと思うとまた笑い続け、小半刻にも及んだ。


 俺は笑いが収まるのを待って、一つ大きく息をついてから尋ねた。

「潤丸はどうなさるおつもりです」

 義母はうつむくと、顔を上げて、俺の眼を見た。

「そうね、関東へ連れ帰ってくださいませ。ここでは、あの子は居場所がありませぬ。右京兆家との縁組は破談となりましょう。猶子という話が合っても、京にはいないほうが得策です。可愛がってくれる、頼れる兄者がいる、関東のほうが長く生き残れましょう。清丸といい、潤丸といい、近くで息子の成長を見られぬことは慙愧に堪えません。あとは、二人の分はこのお腹の子を可愛がろうと今は思っています」

 はい。と返事をして、俺はうなずいた。


 潤丸に会いに来た。その部屋は、奥の奥ともいうべき場所で、日当たりがよく暖かではあるが、表に出るには難儀をしそうな場所だった。

 潤丸は、侍女と双六遊びをしていたようだが、俺が部屋の外で名乗ると、自ら戸を開けた。

「兄上! 兄うえっ! あにうえっっ!!!」

 潤丸は俺を確認すると、飛びついてきた。

 1年近くも会っていないが、食事事情は良かったらしく、背も伸び、重くなっていた。うええん。泣き始めた。ぐいぐいと体を押し付けてくるので、押されるように廊下に腰を下ろした。

「迎えに来たぞ。潤丸」

 俺は、成長はしたがまだまだ小さい潤丸を抱き直すのだった。

「帰ろうか。関東へ」






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茶々丸転戦記 ~逆行転生して戦国時代の関東の主になってしまった~ 洲田拓矢 @mittsu

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