くらげの魔女

もなか

くらげの魔女

海の奥深くにはくらげの魔女がいる。

珊瑚の家に住んでいて、毎日薬を作ってる。


くらげの魔女が作る薬は、よく効く薬。

傷に塗ればたちまち治り、飲むと病気も完治する。


でも、人間は絶対売らない。

それが彼女のルール。


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今日の服は海月の服。

ふわふわしてて、とても可愛い。

庭の菜園から、朝ごはんになるものをとってこよう。


私の住む珊瑚の家は、魔法の家。

辺り一帯がふわりと大きなシャボン玉に覆われている。その中では、陸の草木を育てられるのだ。


サラダとスープ、ふんわりとしたパンに、今日のデザートは梨。


それらを綺麗に平らげたら、海の中を見回りに行く。


指笛を吹くと、イルカのルーが直ぐに来て、私を乗せてくれる。さあ、ここからが仕事だ。

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「大変です!魔女様!」


クマノミが慌てた様子でこちらにやって来た。


「私のお嫁様が、人間に会い、瀕死の傷をおいました…!助けてください!!!!」


「っ…!!今行くわ!急いで、ルー!」


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クマノミの嫁は、ひどい傷だった。

でも、大丈夫。私の薬はよく効く薬。

絶対助けてみせるわ。


『夜の木に咲く小さな花の涙は、あなたの傷をきっと癒すでしょう…』


祈るように、おまじないを唱える。

この言葉自体に、効力はない。

これは、私の勇気のスイッチだ。


塗った薬が、染み込むようにして、クマノミの嫁を癒していく。苦しげな呼吸が、緩やかになり…やがて、穏やかな寝息に変わった。


「魔女様、嫁はっ!?大丈夫なのですか!?」


不安げに聞くクマノミに、軽く頷く。


「もう大丈夫よ。半刻過ぎたら目が覚めるわ。薬を煎じておくから、飲ませて。」


そう言って微笑んだ。


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珊瑚の家に帰り、ベットに倒れ込んだ。


「今日は色々ありすぎよ…」


クマノミの嫁を治療、迷子の鮫兄弟の捜索、鯨の喉に刺さった小骨を取り除き(一歩間違えたら飲み込まれる)、砂に埋まって身動きの取れないヒトデを救出…


さすがに疲れた。ひと眠りしよう。

魔女は目を閉じた。


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激しくドアを叩く音で、目が覚めた。

若干イラッとしながら、ドアを開けた。

そこにいたのは、ルーだった。


「ルー。その背中のモノ、なに。」


ルーは背中に青年を乗せていた。

すまなそうに、ルーは言う。


「ごめん…見捨てられなくて…」


溜息をつき、部屋のベットへ青年を運んだ。

人間が大っ嫌いだから、見たくも触りたくもないし、同じ空気を吸いたくもない。


でも、ルーの頼みだから私は治療を施した。


眠る青年を見ながら、ルーは見聞きした事を私に話した。


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「強盗殺人で、お前を海に沈める。恨みたくば、罪を犯した自分を恨め。」


嫌らしい笑みを浮かべる執行官に噛み付くように青年は言った。


「俺はそんな事してねぇ!!!お前が酔った勢いで酒場のじじいを殺して、金ぶんどって逃げたんだろうがッ…!」


執行官が、青年の腹を蹴りあげた。


「お前のような溝鼠の言葉なんて、だぁれが信じるんだよ??その汚ぇ口閉じてとっとと海の藻屑になれ。」


そうして、青年は重石を付けた鎖を巻かれ、海に突き落とされた。


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「なるほどね…」


うんざりする。地上にいる生き物は、なぜこんなにも醜いのだろうか。


「ごめんね。魔女様は人間嫌いなのに…」


なおも謝るルーを撫でた。


「いいのよ。ひとまず、目が覚めるまで寝かせて、起きたらどこか遠くの地上へと送りましょう。」


青年は目立つ傷もなく、内蔵も無事だった。

少し休めば元気になるはずだ。


青年をちらりと見、私はベットを離れた。


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ガタッ、ガタン!!

ベットから落ちる音がした。溜息をつき、出来上がった料理を手に、私は彼の元へと向かった。


「随分元気がいいのね。」


ベットから落ちて頭を打ったらしい。

痛みで悶絶する青年を冷え冷えと見下ろす。


「誰だ、アンタ…??どこだよ、ここは…」


「ここは海の底で、私はくらげの魔女よ。感謝しなさい。イルカのルーが貴方をここまで連れてきたのよ。もう少し回復したら貴方を陸へ連れて行ってあげるわ。」


持ってきた皿を青年に差し出す。


「オートミール。食べて。」


差し出されたオートミールを青年は瞬く間に平らげた。こちらが驚く程に。


「……お代わりいる?」

「頼む。」


結局、青年は鍋にあったオートミールを全て食べてしまった。それでも少し物足りなさそうだったから、梨を食べさせた。


「ありがとう。えっと…くらげの魔女。さっき、俺を陸へ連れていくと言ったが…」


「ええ。ここにいられると困るもの。陸へ連れていくわ。もちろん、できるだけ遠い所へ、ね。」


青年は気まずそうに下を向いた。


「全部知ってんだな。」


そう言ったきり、彼は口を閉じた。


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「なぁ、くらげの魔女。俺をお前の傍に置いてくれないか。」


そう切り出したのは、青年が家へ来て1ヶ月後の事だった。


ボロボロのズタズタな雑巾から、爽やかな青年に進化した彼の名は、エル。


あの後、

「まだちょっと…」


という彼を渋々置いていたら、1ヶ月も経っていた。なあなあで流れていく時間が、以外にも心地よかった。


「…人間がここにいては駄目よ。ここは海の底。人が住むべき所じゃないの。」


尚も食いつこうとする彼に


「ここに長居させすぎたようね。居心地の良さで軽はずみに決めては駄目よ。ここに住むということは、人間を捨てるということ。陸へは二度と戻れない。あなたにその覚悟はある?」


黙る彼に背を向け、私はイルカのルーに乗り、海の見回りへ行った。


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「いやー!まさか本当にいたとはな!くらげの魔女!あのイルカ逃がしたのは痛手だが、もっと大物が引っかかった!」


気持ちの悪い笑い声が頭に響く。

密売漁師と遭遇したパールムを逃がそうとして、私は捕まってしまった。腕を縛られ、目隠しされ、小さな檻に入れられているようだった。


「見ろよ、すげえぞ!肌なんて傷一つないし、この瞳!見た事ないくらいに綺麗だ!こりゃ高く売れるぞ!」


息が上手く出来ない。海の中じゃないと、生きていけないのに…。檻の間から手が伸びてきた。


「どうやら、海の中じゃないと、魔法が使えないのも本当みたいですねー!でも、よく効く薬を作れるし、こんだけ美女なら問題なく高値で売れるでしょう!」


うるさい…うるさい…!!!!

汚い声を私に聞かせるな!触るな!

煮えくり返る憎悪と嫌悪、怒りで今にも叫びたい私の耳に、違う声が聞こえた。


「エルには感謝してもしきれんな!奴を捕らえ、海の底へ沈めた功績で昇進出来たんだからな!美人な魔女も捕まえられたし、今日はいい日だ!」


さぁっと血の気が引いた。こいつ、まさか…エルを冤罪で沈めた…!


声の主が近づき、檻の中入ってきた。


「やっぱ美人だな…売っぱらうのは惜しい。俺が連れて帰るか!!」


「ええー!そりゃないっすよ!…と言いたいところですが、今日はめでたい昇進の日なので、あげちゃいます!」


ゲスい笑い声と共に、じっとりと汗ばんだ手が、私の肩を掴んだ。嫌だ…!助けてルー!エル!皆…!!


「は?嘘…だろ…」


男のそんな声が聞こえた。

ドアを蹴破る、けたたましい音と共に水がなだれ込んできた。これは…海水?


あっという間に海水が部屋を満たした。

檻に誰かが入ってきて、縄と目隠しを解き、手を引いた。そうして、引く海水と共に、外へと逃げ出した。


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私が囚われていたのは、海にかなり近い小屋だったらしい。海岸にはルーがいて、私達を乗せて家まで送ってくれた。


「助けに来てくれて、ありがとう。そして、ごめんなさい…」


あの部屋へなだれ込んできた海水。あれは魔法によるものだった。彼は海の魔法を使ったのだ。もう彼は陸には戻れない。


「謝んな。陸に戻るつもりなんてなかったんだよ、元から。戻って、知らない人の中で暮らすのも、あいつらと遭遇する恐怖の中生きていくのも、嫌だった。」


そろりと、手を取られる。


「つーかこんな美人で可愛い魔女に会ったら、帰る気とか無くすから。」


にひひっと笑う彼の姿がぼやける。目尻に熱いものが込み上げるのを感じる。


「帰さなくていいの…?こんな魔女の傍にずっといるの、嫌にならない…?」


声が震える。だって、ずっと独りだったから。海の仲間たちは私を敬うだけで、そばにいてくれないから。一人で寂しい夜を繰り返してきたから。


「帰すなよ。嫌にもならない。くらげの魔女、俺を傍に置け。」


こうして、くらげの魔女の孤独で穏やかで静かな世界は終わった。

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くらげの魔女 もなか @huwahuwa_yuttari

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