最終話 永遠なるわが伴侶よ
六度目の夜明け前、あたしは〈彼〉に会いに行った。
マイレ=マリカは、小さな身体をまるめて泣いていた。「あんたを殺したい」って。
あたしの方が、そうしたい気分だ。
〈彼〉は、銀青色の竜の姿にもどり、光が降り注ぐ大広間に全身を横たえていた。
眼を閉じ、少し荒い呼吸は、痛みにじっと耐えているようだった。
〈彼〉はあたしが近づくのに気づいて、ゆっくりと眼を開いた。
銀色の虹彩のなかの黒い瞳は、やさしさに満ちている。
「ばかなこ」
あたしより遥かに年寄りで、遥かに悲しい時を過ごしてきのだろうに、なんでこんなに、あたしのことを責めないんだろう。
「あんたは、ほんとうにばかね。ばかすぎてやってらんない」
だから、とあたしは言った。
「あたしは、〈おまえ〉と行くことにした。だから、あたしが〈おまえ〉を呼ぶ名前は、これしかないと思う」
怖かった。本当に怖かった。
それしかないとはわかっていても、百パーセントなんてありえないから。
もし、あたしが間違っていたら、この美しい、優しい、かわいそうな竜は、あたしが自分の手で殺すことになる。
── 私はね、〈私の竜〉を死なせてしまった乗り手なんだ。殺したといった方が正しいかもしれない。
(先生、助けて!)
あたしは気持ちをしずめて、何度か深く息をした。目を閉じて、ありったけの思いを込める。
「竜よ」
わたしの声だけが、洞窟の天井にこだまする。
「いま、ここでおまえの〈まことの名〉を告げる。その名を持って、我らは生涯の伴侶となる。違えぬ絆と契約のもと、わたしとおまえの生涯を繋ぐ!」
そうして、あたしは彼の〈まことの名〉を告げる。
〈銀の焔〉という名を。
空に向けてゆっくりと綴る。
それは、あたししか知らない、愛しいママの、あの銀の竜へつけた名前だった。
いつも隠れるようにささやいて、動きだすんじゃないかと目をこらした。
──そこでなにしているの。可愛いリリベット。
──ママ、このこ、動いたよ!
最後のこだまが消えると、時が止まったような静けさが満ちてきた。
あたしは、足のふるえを止められなくて、その場にうずくまる。
洞窟の入口から射してきた朝日に、〈彼〉とあたしの影が重なった。
ふと、〈彼〉が
横たわっていたブルー・ドラゴンが、ゆっくりと眼を開き、長い首を伸ばした。差しかかる曙光をふりはらいながら身体を震わせ、起き上がる。
そうして──。
そうして、〈彼〉は大きな身体をかがめて、あたしの膝元に深く
──わが伴侶よ。
あたしと〈かれ〉の心がつながった瞬間だった。
底なしの闇があたしを満たし、あふれていく。一瞬で宇宙に放りだされ、百億の星々の間を旅したかのようだった。
ようやく目を開けた時、あたしはもう二度と戻れない世界にいることを知った。
「わが伴侶よ」
あたしも、〈かれ〉を呼ぶ。
この世で唯一、無二のおまえ。
生涯、生と死をともにする運命の相手。
あたしは、そっと〈彼〉の額に手をのばした。
「改めてよろしく」
──よろしく、リリベット。
こころに響く深い深い声がここちよくて、本当に気持ちよくて、あたしは涙を流しながら天をあおいだ。
こうして、あたしこと
〈おわり〉
竜と生きるための百の秘訣 濱口 佳和 @hamakawa
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