エピローグ
「ほら、フィー。あーん」
蕩けるような笑みとともに、ケーキの欠片の乗ったスプーンが差し出される。
もう尽きるほど吐いた溜息が、また口から漏れ出た。
「ルカ。もう私は元の姿に戻ったから、食事の介助は必要ない。というか元々必要ない」
「でも、元に戻るまではさせてくれてたのに……」
「それはおまえが、やっぱりちょっと落ち込んでたからで……」
「そんなやさしいフィーに俺がつけこんだ、と」
「わかってるならやるな。つけこむな」
「小さいフィーはフィーでかわいくで愛でたくなるけど、俺はやっぱり今のフィーが安心するな」
「あえて答えなかっただろう、おまえ……。まあ、私も元に戻れて安心している」
ルカを騎士団の執務室から連れ出したあの日から数日後。フィオラは元の姿に戻った。魔法の暴発の効果が切れたのだ。
調子がおおむね戻ったルカがあれこれと世話を焼いてくれていたので不便はなかったが、それはそれでどうなのかと自問してしまうフィオラだった。
「――ローシェ魔法士長も戻ってきたし?」
「……そうだな。本人曰く『残務処理』が終わったら、いなくなるとのことだが……」
「それについてはあちこちで騒ぎになってるね。ローシェ魔法士長がいないこの国なんて、誰も考えたことなかっただろうから」
フィオラに給餌するのを諦めたらしいルカが、ケーキの皿をフィオラの方に移動させる。それを受け取って、フィオラはローシェ魔法士長が戻ってきた日のことを思い返した。
フィオラの身体が元に戻るのと前後して、ローシェ魔法士長もシュターメイア王国に戻ってきた。――『ディゼット・ヴァレーリオ』追放の報とともに。
(『ディゼット・ヴァレーリオ』をこの世界から完全に追放した、とのことだったが、対外的には打ち倒したことになった……。まあ、二人が別世界から来たのだということもほとんどの者が知らないからな、そう言うしかないだろう)
戻ってきたローシェ魔法士長は、今まで見たことがないくらいに疲弊していた。そのまま眠りにつくこと数日。やっと起きたかと思えば、「僕、そう経たないうちにいなくなるから」と言い出した。
まさに上へ下への大騒ぎだ。――この国は、『ディーダ・ローシェ魔法士長』とともに歩んできたのだから、無理もない。
「誰が泣いても縋っても、なだめすかしても脅しても、ローシェ魔法士長はいなくなるだろう。そういう人だからな」
「まあ、あの方に鎖をかけられる人間なんて、確かにいないだろうけど」
戻ってきてから一度だけ顔を合わせたローシェ魔法士長は、「目的が果たされたのなら、もう一つの異物は自ら去らないとね」と笑っていた。「僕が第二のディゼットになったら目も当てられないだろう?」と。
この世界で生きて死ぬフィオラにはわからないことだが、異世界の者が別の世界にいるというのは、そういう、何かの危険性があるのかもしれなかった。
「……フィーは、ローシェ魔法士長がいなくなったら、さみしい?」
「まあ、さみしくないと言えば嘘になるが。強制的な巣立ちだと思うしかない」
「なるほど。……雛のフィー、響きがかわいいな……」
「何を言ってるんだおまえは……」
ルカは以前にも増して、フィオラにかわいいかわいいと言うようになった。元の姿に戻ってもだ。何かのタガが外れたのかもしれない。
リト=メルセラとも面会したと聞いている。そこでどんな会話をしたのかはわからないが、少しあった精神の揺らぎが落ち着いたように見えるので、悪いようにはならなかったのだろう。
と、ふいにルカが表情を改めて口を開いた。
「……フィー、あのさ」
「改まった顔をして、どうした」
「俺、やっぱりすごくフィーが好きだ」
「……? さすがにあれだけ言われれば、おまえになんだか好かれているらしいことくらいはわかっているが……」
「ちょっとは伝わってたみたいでよかった。……どれくらいって言われたら、世界中で一番好きだよ」
「……それは、光栄なことだな」
「今回、フィーが俺のせいで危険な目に遭って……もし、死んでしまったりしていたら。あるいはあの魔法が解けなかったら、って考えたら、今こうしてフィーと普通に話せてるのが奇跡だなって思って……。俺はあのとき、フィーとリトを天秤にのせて、どちらも選べなかったけど――選べないような、弱い人間だけど。フィーが好きなのは本当なんだよ」
一生懸命に、言葉を紡いで好意を伝えようとする、その姿はどこかいとけなくて。
フィオラはなんだか、微笑ましい気持ちにすらなったのだけれど。
「この感情をなんて呼ぶのかは知らない。『好きだ』って口にすると、それだけじゃ足りないような気もするし、でも『愛してる』だと何か違うものが混ざってしまう気もする。――大切なんだ。この世界で、一番。大切にしたいし、まもりたいし、一番近くにいるのは俺がいい」
その薄い氷を彷彿とさせるような瞳に、その氷が溶けてしまうのではないかと思うような切実な熱が確かにある。
「だから、……これからも、俺に、『一番の友人』の居場所をくれる?」
でも結局、懇願されるように紡がれたのはそんな言葉で。
フィオラはなんだか、拍子抜けしたような、むずがゆいような、そんな感覚になった。
「――居場所がどうとか言わなくても、私と一番親しいのはおまえだろう。誰に聞いてもそう言われるだろうくらいには、自明の理だ」
「でも、フィーの言葉がほしい。他から見て、とかじゃなくて」
そう言われて、フィオラは考える。
大切、とは少し違う気がする。まもりたい、とは思わない。自分よりも強い騎士にそうは思わない。でも――一番近くにいるのは自分がいい、というのは、わかる気がした。
『一番近く』以外の、誰も代われない場所にリトの居場所があるらしいのに、ちょっと思うところが出てきてしまったくらいには――フィオラだって、ルカのことを『一番の友人』だと思っているのだから。
「……私の『一番』だって、おまえだよ」
恋だの愛だのは縁遠かったのでわからないが、もしかしたらこの気持ちはいつかそういうものになるのかもしれない。そうではないのかもしれない。ただ、今、お互いがお互いの『一番』でありたい、という気持ちだけは確かで。
これもある意味の『両思い』というやつだな、と考えられる程度には、フィオラには余裕があったのだが。
「……直球なフィーの言葉って、破壊力が高すぎる……」
「私は何を破壊したんだ」
「俺の理性かな……」
「おい、それは大丈夫なのか……顔を背けるな、おまえどんな顔してるんだ……」
おそらく照れたのだと思われる『氷の美貌の騎士様』が顔を背けてあまつさえ手で隠したので、なんだかフィオラも恥ずかしくなってしまって、下を向いてケーキをつつくことに専念したのだった。
平凡な魔法使いですが、国一番の騎士に溺愛されています 空月 @soratuki
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