第19話 祝融


「さて、朔よ。文化の違いは尊重するのではなかったか?」


 人影のない、望の宮となった庭先で一人ぶすぐれている私に並んだのは、破天荒な第三公子だった。


**************


 望は女官や宮女に連れられていったため、本日の仕事を終えた私は庭園でお茶をしているところだ。望の方は、これからまた別の儀式が目白押しらしい。

 私のスマホを参考した携帯型通信球を持っているから、多少離れているのには問題ない。無理やりついていって、しょっぱなから後宮のしきたりに反発なんて論外だもんね。


「公子のおっしゃる意味が……。このように大人しく『待て』をしておりますのに」


 形式的に、両袖をあわせて軽く頭を垂れる。先ほどまでの仰々しい衣装から、簡素な宮女服に着替えているから動きやすい。

 それよりも、星斗だ。黙っていても話していても端正な顔立ちだが、このニヤニヤまで様になっているから恨めしいものだ。この世界の顔面格差がとんでもない暴力をふるってくるぞ。


「なんだ、その腐って溶けた桃のような顔は。宮中で噂の御守り役殿とは、だれも気が付かぬぞ」


 星斗が手で座るように促してきたので、遠慮なく腰を落とす。はて、彼は座らないのだろうか。

 不審に思って彼を上から下まで見ていると、「無礼だぞ」と脳天を軽く小突かれた。ぶすくれそうになるが、彼の後ろで何かが動いたのに気が付いた。後ろを覗く前に額を押されたので、話題を戻すことにした。


「いついかなる時も麗しくあらせられる星斗様とは、元の作りが違うのでございますよ。化粧を落としたら、いつもの私でござんすよ」

「敬語とスラングを混ぜて話すな。それに顔の作りについてなど話しておらんわ」


 あれ? いつもの星斗なら前半の台詞だけで終わるんだけどなぁ。ねぎらい――もとい、せめてもの労いのつもりだろうか。ちっとも労われてはいないけども。

 思わず、しげしげと眺めてしまう。


「俺は奇妙顔の真似などしてやらんぞ」

「そのようなこと、望んでおりません! 子どもでもあるまいし」

「ほう、それは初耳だな」


 どうせお子様ですよ。ついっと視線を逸らした私の前に、可愛い色ガラスの瓶が置かれた。おぉ! これは清家での修行の後に先生が出してくれていた白茶だ! 甘い香り、それにまろやかな口当たりがとても好みなのだ。

 ほぉぉっと両手に乗せて崇め奉っていると、ぶふぉっという噴き出し音が聞こえた。発信源に目を動かすと、神荼さんと郁塁さんが少し離れた場所に立っていた。こほんと咳ばらいをした私に反応したのは星斗だった。


「それで、質問に戻るが」

「文化の違いを尊重したい気持ち。それは今でも変わりません。ただ、私が知るソレはいつでも見えない存在と同じくらいに、人を大事にする文化だったからです。仏にしろ神にしろ、根本は人を慈しみ尊ぶ思想です」

「ほぅ。ならば、なぜ不満げなのだ」


 興味深げに顎を撫でた星斗をすごい眼で見てしまったのは、しょうがないと思う。決して星斗自身が悪いわけじゃない。ただ単に、私の価値観と合わなかっただけだ。

 それでも元女子高生の私は嫌悪を抱かざるを得ない。


「人を人と見ない、ただの道具としてしか認めない人たちと同じ考えと同等に見て欲しくありません。そりゃ、皇帝の血筋を守るのが大切なのはわかりますよ? それでも、あんな大勢の男性の前でいい年した大人が、十四の女の子の処女性やありもしない男性関係を嫌味で投げつけますかね!」


 星斗のことは、信用している。望が大好きな神荼しんとだって、ナルシストで胡散臭いけど真っすぐな郁塁うつるいさんのことだって。

 それでも、根本が違うなら望を守る者として信用できない。


「女性は――性は、政治の道具じゃない。その人が持つ能力に価値はあっても、性が道具として扱われるなんてあってたまるもんですか! ……むろん、後宮がそいうところなのもわかってはいますので、構造システム自体を否定するつもりもないし、たくさんの子どもを持つ意義も理解はできます」


 私と一緒に残っている清家の家人がいる中で、ここだけは貫いてほしい。頷いてほしい。

 私だって存在意義と能力を買われるならいくらでも前に出る。異世界人ていう価値は、私が思う以上にすごいものだと教えてもらった。性でないなら、いくらでも売ってやる。正直、ここに来たばかりの私なら自暴自棄でソレさえも価値に込めただろう。

 けれど、私は大事にしてもらった。御守り役だからとしても、そこに利害があったとしても。私は嬉しかったのだ。守ってもらったのが、優しくしてもらったのが。


「理解しているよ、朔」


 随分と間が空いた後、興奮して立ち上がり握りしめた両拳に、星斗は拳をぶつけてきた。あまりの勢いにたたらを踏んでしまう。

 約束はもらえなくとも、今の私には星斗がくれる精一杯の返事だと思えた。ただ、言葉を返して貰えることが稀だと自覚していた。それでも――。


「それを利用しないとは、約束してくれないんですね」


 意地悪く返してしまった。わかっている。星斗にも立場があるって。ましてや、ここは清家の屋敷ではなく、どこに皇帝の目があるかわからない後宮だ。彼の発言や行動から痛いほど実感している。

 頭ではちゃんと納得しているのに、ぐしりと鼻が鳴ってしまう。さっきの緊張感を誤魔化した反動だろうか。人恋しくて堪らない、気がする。


「なっ泣かないでください。ボク、あなたが降らせてくれた花と似たかおりのものを届に来ました」


 舌ったらずな声に顔があがる。あがって、星斗がどうやら頭を撫でてくれようとしていたと知る。目が合うと、彼は苦々しい表情を浮かべ、私の鼻先で止まっていた手をすぐに引っ込めた。その代わり、星斗の大きな手は彼の足元にいる少年の頭に乗った。

 高価な服で鼻を拭うのは憚られるので、袖の奥から布巾を取り出して拭う。


「これ、私に?」

「はっはい。あの、いっいらないなら、持ってかえります」


 星斗の後ろから顔を覗かせているのは幼い少年だった。小学生低学年ほどの少年は、かなり高級な衣服を身につけている。身綺麗なうえ、第三公子の星斗にべったり。ということはつまり、彼も公子なのだろう。

 普段、星斗の友人みたいな神荼さんと郁塁さんが臣下のごとく離れているのは、この子が理由か。


「……頂いても、よろしいですか?」


 膝を折って、目がくりくりした少年と顔をあわせる。それでも、ちょっと怯えている彼に手を伸ばせば、その両手におずおずと花を乗せてくれた。ほんのり甘い香りで、見た目は沈丁花みたいだ。沈丁花って有毒だった気がするけど、なにかを疑われているわけじゃないよね……? って、私ってばこんな小さな子にまで猜疑心を抱くなんてひどいぞ。

 ちょっと心の中で苦笑した後、ほろりと自然な笑みが零れていた。あぁ、安らぐ。


「すごく嬉しいです。ありがとうございます」

「ぼっボクは、ただ、おねえさんにと思って」


 お礼を述べると、気弱そうな少年はまた星斗の後ろに隠れてしまった。

 私は一人っ子だけど、弟とかいたらこんな感じなのかな。かまい倒したい。手を差し伸べると、星斗に目を向けながらも紅葉のおててを触れてくれた。あぁ、可愛い!


「こいつは第七公子の祝融しゅくゆうという。少し臆病なところもあるが、優秀なやつだ」

「優秀とかなくても、めっちゃ可愛いです。というか、こんな怪しい人間に歩み寄ってくれてありがとうございます」

「あっ怪しいなんて。おっおねえさん、とてもきれいでした。……おともだちになってくれますか?」


 はぁぁ! 可愛い! きらきらした瞳で小首を傾げられて、胸を撃ち抜かれない人がいるだろうか!

 最近、くせのある人間に囲まれていたのもあって、祝融様の清涼な空気にとても癒される。


「ぜひっ! あっ、でも驚きませんでしたか? 私で良いのでしょうか」

「えっ? お花の雨のことですか? ぼっぼくも、臣下のものもよろこんでいました」


 純粋に語ってくれる祝融様は天使だろうか。

 すると、案の定、祝融様の少し後ろに下がっていた悪魔――星斗が口の端をあげた。


「祝融よ。この娘がさしているのは、お前の『綺麗でした』という発言に対してだ。化粧を落として、簡素の服装をしている自分で良いのかという意味だろう」


 きょとんと瞬きを繰り返す祝融様。星斗を見上げていた目を私に戻すと、ふっと、それこそぽんっとツボミが弾けるような笑みが零れた。思わず見惚れてしまうくらい、綺麗な微笑みだった。

 今度は私が呆けてしまう番だ。しゃがんだまま、固まってしまう。これが、少しどもりながらも必死に話しかけてくれていた少年が浮かべたものだろうかと。

 星斗たちからは祝融様の、まるで大人のような微笑み方が見えていないのだろう。


「どうした。祝融も朔も」


 私たちの間に膝をついた星斗が、不思議そうに問いかけてくるが、なんだか金縛りにあったみたいに口が動かない。


「星斗兄さま。この方のうつくしさは今の見た目だけでは、ございません。彼女のこんぽんてきな部分がきれいなのです。ぼくには、わかります」


 祝融様はそう言って、私の両手をとった。子どものぬくい体温がしみてくる。私が戸惑っているのが伝わってしまったのだろう。一度だけきゅっと握られた手はゆっくりと離れていった。あったかいだけのはずな手が、ほんの少し痺れている。強い触れ合いが久しぶりだったからだろう。

 星斗はわずかな時間だけ何かを考えている風だったが、祝融様に「せっ星斗兄さま?」と問いかけられると、ふむと意味ありげに頷いた。


「いや、すまん。いつも控えめにしゃべるお前が断言するように語ったのが嬉しくてな。だが、同時にソレが初対面の御守り役殿についてかと思うと、兄としては少々複雑になったのだよ。祝融はお前を溺愛する正妃に対しても遠慮があるからな」

「おっお母さまのことも、ちゃんとだいじです。ぼくを愛してくださるのも、いたいほど感じています」

「あぁ、承知している。意地の悪いことを言った」


 星斗が謝っている。とんでもなく素直に。

 そして、私はすごい顔で星斗を見ていたのだろう。一言「顔」と吐き捨てられて、頬を軽く引っ張られてしまった。星斗はいつも私の表情に細かく突っ込んでくる。私はこれでも元の世界ではポーカーフェイスの定月と定評があったのだ。それが崩れているのは星斗の微妙な距離感のせいだ。


「それに、星斗兄さま。わたしと朔さまは初対面などではありませんよ?」

「そうですよね。祝融様は望お嬢様の入宮の儀式にご出席されたいたのですよね。私は余裕がなくて、星斗――さまや郁塁さまたちしか認識できておらず申し訳ありませんでした」


 たははっと頭を掻く。本当はもっとちゃんと周囲を観察するべきだったんだろう。でも魔道や御守り役の修行はなんとかなったものの、私は所詮普通の元女子高生だ。あの大舞台で自分の役割を演じるのがやっとである。

 それでも、幼子にとっては多少なりともショックだったようだ。仲良くなりたいと思った人に認識できていなかったなどと言われては、そうだよね!


「なので。次にお会いした時に、お友だちとして二回目ましてになれるのが楽しみです」

「お前はその前向きさを俺や能力面にも発揮しろ」


 胸に手を当ててから言えってのと、内心で毒づいた私は悪くないと思う。星斗への反応はすべて鏡返しです。

 腕を組んで言い返そうとした時、祝融様が袖を引っ張ってきた。でれっと視線を落とすと、花のような笑顔を咲かせている祝融様がいた。


「また遊びにきますね。ぼく、ひとりでも」

「俺も最近忙しい身だが、祝融には付き合うぞ?」

「いえ、星斗兄さま。今は軍部や刑部との調整においそがしいと、うかがっております。ぼっぼくのことで、星斗兄さまのお手をわずらわせたくありません」


 祝融様の言葉に、星斗は「そうか」とだけ返した。

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漆黒公子の御守り少女~異界の中華後宮で生き残ってみせる~ 笠岡もこ @mo_ko_mofu

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