未来が大事と知れたなら

naka-motoo

老人と子供

 今どきの若い者どもも今どきの老人どももどちらも嫌いなんだけれどもどちらがより嫌いかと言えば老人の方だろう。

 ただし、老人の定義が「自分よりも年上の人間」という訳の分からない都合のよいものになり果ててしまっているので、ここでそれを正しておく。


 成人過ぎれば皆老人。

 そのうえで敢えて言うのだが。


 昔の老人はよかった。尊敬を受けた。

 でもその尊敬を受けた理由を今一度考えて欲しい。それは決して希少価値などという曖昧な理由ではなく、はっきりとした理由があったのだが。


「ばあちゃん、ばあちゃん。今日も行くの?」

「ああ、行くさ。ケンちゃん、一緒に行くかい?」

「うん!行くよ!」


 僕のばあちゃんは78歳なんだ。

 自分が老人だってことを知ってる。

 それから、神さまとか仏さまのことをよく知ってる。


 まずは氏神さまにお参りする。


「ケンちゃん、畑から摘んできた花を出しておくれ」

「はい」


 ばあちゃんはそれから山の麓の観音堂に僕を連れてきてくれてね。それでお花をお供えすることを教えてくれたんだ。


「ほら、ケンちゃん。ペットボトルに入れてきたお水を新しく花挿しにお入れして。そう、ぬめりを取らないとせっかくのお花が早く枯れるからね」


 ばあちゃんが畑で育ててる花は名前もない野の花だと思うんだけど、隣が崖になってる山道を登る途中にあるお地蔵様にこうしてお供えしてご挨拶してから更に山を登って行く。


 墓場に出た。

 見ると墓石が無くコンクリートで正方形に固められた部分が新しい地面のようにしてそこかしこに散らばっている。それは僕がずっと前に見た、お不動さまとお地蔵様の小さなお堂が民家の軒先にあったそのエリアからなぜかお堂が消え去ってお堂があったそこが真っ白なコンクリートで固められて翌日からその民家の人間たちも何事も無かったかのようにごく普通に生活していた、その光景とよく似ていたが、実際にはこれは「墓じまい」という行為の痕跡だった。


「ケンちゃん。どう思うね」

「ばあちゃん、なんのこと?」

「先祖の意思を無視してお墓を勝手に壊してしまう。「墓じまい」なんて綺麗な言い方してるけど、「墓破壊」とどう違うね?」


 僕はばあちゃんが「はかはかい」というダジャレを言ってるのかと思ったけどばあちゃんはマジメだった。

 やっぱり畑で育てている小菊を中心にステンレスで配管屋にしつらえてもらった花瓶というかぶっといその筒に活けてそしてココロの中でお経を唱えた。


「なにしとる!」


 ばあちゃんと僕がしゃがんで念仏を唱えているその後ろで男のひとの声がした。


「参っとるだけぞいね」

「嘘つけ!」


 叫ぶ男の人は僕のお父さんよりも若いぐらいに見えた。叫んでいるだけでおさまらなかった。


「婆あ!きれいごと抜かすな!墓守のために俺は東京に行けなかった!あの学問のセンスのかけらもねえクソ教授の息子が、ただ親が大学で大した研究成果を挙げなくても人々に祭り上げられてノーベル賞獲ったかも知らねえが、俺はこの腐った田舎のド汚い村で意味なく年齢を重ねていくんだろう。そしてそれはその時点で脱落するだけなんだろう!」

「どうしたいのだ」


 ばあちゃんは男が少しでも冷静さを示してくれるように譲歩しながら会話した。だけど男の人は物理的な攻撃をしてきた。

 足蹴にしたのだ。ばあちゃんを。


「やめて!」

「うるさい、ガキ!」


 僕は余りにも簡単に引き倒された。その男の人は相手が子供だろうと老人だろうと女だろうと男だろうとこうして蹴って、倒す。人格を認めたくはなかったけど、現実問題として彼以上に冷静で平等を貫く男性はいないのではないかと。


「俺と死人と、どちらが大事なんだ!」


 言いがかりもいいところだと思ったけど、それが本音ならば仕方がないよね。

 僕はばあちゃんを覆いかぶさってかばった。

 でもその男の人は攻撃をやめてくれなかった。僕の背中を蹴りに蹴った。


「まるで自分たちが世界の中心みたいに祭祀を最優先しやがって!冠婚葬祭を最優先しやがって!」

「してないよ!」


 僕は必死に抵抗した。

 言いがかりだよ、って。


「だって!僕のじいちゃんが死んでも誰も手伝いに来てくれなかった!遺された僕らに誰もねぎらいの言葉をかけてくれなかった!」


 僕は、それを、振るっていた。

 思いがけず遠くまで届いた。

 だから、切れた。


「ああおう!」


 動画サイトで見たイギリスのロックバンドの歌手のひとが歌の中で叫ぶその時の聲みたいなのを男の人は、した。


 分かったよ。

 僕は、その、鎌の刃先を、リーチの一番長い状態でしかも人差し指に柄がかかる程度の浅い持ち方だったから、彼の脚に届いたんだろう。

 彼の左ひざが真横に、スパア、っと切れた。


『パックリいっちゃってますねー』


 僕がずっと前に自転車で転んでそうなったときのように、彼の膝が真一文字に鎌の餌食となり、膝の白い骨が見えるほどの傷の深さに切れていた。


「あああっ」


 身勝手だな、って思ったよ。彼が苦しそうな顔をするのこそ、本当に卑怯だと思ったよ。

 ばあちゃんが、ゆっくり立ち上がった。


「のう、ならアンタ、儂の人生を返してくれんか」

「うあああああ、な、なに言ってんだ!」

「儂の少女としての青春を返してくれんか。儂は墓守など本当はしたくはなかった。だが、せざるを得ないからしていただけだ。それをアンタたちは揃って矮小なことだと攻め立てた。朽ちるべきどうでもいいことだと中傷した。ならばアンタの言う人を助ける所業をやってみてくれんか?」

「あああああああああ!救急車を呼んでくれ!」

「いやじゃよ。この子が悪くなくても下らんことを言いふらかす輩が出てくるかもしれん。モグリの医者にでも行きなされ」

「い、言わないっ!そのガキに鎌で切られたなんて言わないっ!」

「甘えなさるな。儂の孫より幼きボンボンが。膝ならば右足のみで歩けようが」

「頼む!」

「ならん」


 あ。


 ばあちゃんは、その男の、後頭部を、蹴った。

 長靴の、踵の一番固い部分で。


「ぶっ」

「殺すぞ」


 それから僕の手を繋いできた。


「帰るか、ケンちゃん」


 多分、ばあちゃんは、誰かを殺したことがある。

 多分、戦争の最期の時期に。


 そしてそれがほんとうのことだと、僕が中学になった時のばあちゃんの通夜の夜伽の時に、じいちゃんの弟のジローさんが教えてくれた。


 実際には戦後だったのだけれども、進駐軍がやって来た時、殺したらしい。

 ばあちゃんの次女、根山のおばちゃんに乱暴しようとした米兵を、鎌で。


 頸動脈を、斬って。


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