最終話

 須川の訃報が私の耳に届いたのは、彼が死んだ次の日の昼のことであった。


 






私の母が死に、父が再婚し、それと同じく学校でも教室内で吐いたことをきっかけにいじめの標的となった。

親友だと思っていた子は私の味方になってくれず、ただいじめっ子達と笑っていた。


 家でも学校でも居場所のなくなった私はなんとか中学校を乗り切り、高校へと入学する。


 しかし、教室に入った途端に体調を崩し、またもや吐き気を催した。


 もはや教室にもいられなくなった。


 前から自分の精神面の弱さは自覚していたし、その所為か他人を信じられなくなっていた。彼らは私を欺き傷つけ、裏切るものだ。


 そう決めつけ、他者を拒絶し、殻に閉じこもっていった。


 そうして堕ちていく私は、屋上へと最後に逃げ込んだ。


 屋上では誰も来ることはなく、一人だけの時間を繰り返す日々。楽な時間であった。何も考えず、誰とも話さなくていい。

そして、一瞬の気の迷いですぐに死ぬことができる。全てを手放すことが出来る。

そう思うと幾分か気は楽になった。


 しかし、その日々も長くは続かなかった。


 私の唯一の憩いの場であった屋上に不良が来て、いじめを行い始めた。


 彼らは小太りの少年を三人がかりで取り押さえて、殴る蹴るの暴行を続ける。それを私は傍目に見ているのみであった。


 無論、助けたいと思う気持ちもあった。


 しかし、怖くて身体は動かなかった。

どうしたらいいか分からない。

そうして彼が傷つけられているのを息を殺して見ているだけの自分の中に罪悪感ともいえる感情が生まれる。


 もし、助けに入り私まで殴られたらどうしよう。しかし、金を巻き上げられて泣いている彼をこのまま放っておいていいのだろうか。


 私は一人、矮小な自分を恨み、悔いて、死にたくなった。


 しかし、そんな時、一人の男子生徒に出会った。


 そいつは一昔前の不良の様に屋上に来ると、冷めた顔でタバコを吸っていた。煙くて涙が出て、臭く、息苦しい。


 彼は涼し気な顔で屋上から町を見下ろしながら、タバコを吸っているので、私はどうにも耐えられなくなり声をかけた。


 しかし、怖いという感情もあり、横柄な態度で臨むこととなった。


 そんな私に彼は軽い口調で言葉を返す。


 それは風来坊のような身軽さを思わせるが、その実、どこか投げやりな印象を覚える。

しかしながら私は自分が久しぶりに人と話している事実と、こうも普通に会話が出来ている自分に驚いた。


 そうして、驚いている間に、彼は5秒前のことは忘れたという顔でタバコを吸い始めた。

私は何故かこの一瞬で彼を少し信用しており、タバコをくれととんでもないお願いをする。


 しかし、彼はそれを断った。


 言葉は強かったが、彼は怒っているわけではない。


 彼は泣きそうな顔をしていた。何故か分からない。

しかし、そんな顔をしている彼を私はもっと知りたくなった。


 そうこうしているうちに不良が来て、それを彼が撃退した。


 私はまたもや怖くて隠れているだけであったが、彼は平気な顔で不良たちを撃退した。私はつい気分が上がり彼にまた話しかける。


 話せば話すほど変な奴だった。


 私を部屋に招いた時も、すごくスケベな顔をしているのに一切手を出してこない。私もそれくらいの覚悟はある。


 なぜなら死のうと思っていたからだ。


 最後に経験してもいいとさえ思った。しかし彼はただ静かに私の話を聞き、茶々を入れてはタバコを吹かして笑った。


 しかし緊張していることは分かる。


 ああ。なんだ彼も人の子だなと安心して、彼の話に耳を傾ける。


 彼と話していると落ち着く。全て考えすぎて凝り固まった思考のせいで、本来世界はもっと簡単だったのかもしれない。


 私は気を張りすぎていただけで、世界はただそこにあって私が敵対しているだけに過ぎないのかもしれない。


 とそんなフウに思えてきた。


 それに嫌だったら逃げてもいい。逃げ場所は多ければ多い方がいい。だって楽だから。

そう彼はタバコを吸うついでに私に言っていた。


 彼は私に何故屋上に行くのか聞く。


 そう。私はいつでも死ねるように屋上へと逃げていたのだ。


 しかし、彼と話しているうちに気が付いたことは、死にたいのではなく、教室に行って普通の学生になりたいという願望。


 それが自然と表に浮き上がってきて、こんな簡単な望みになんで今まで気が付かなったのか不思議に思った。


 そうして、彼は何か迷ったように言葉を紡ぐ。


 何故だろう。彼の言葉はまるで置手紙のようだ。五月下旬の桜のような、雷雨の前の小雨のような微かな切なさを感じる。


 私はその時、初めて彼を捕まえてみたくなった。


 その時、初めて恋を知った。








 フラれた悲しみはそこまで深くはない。


 なぜなら何度でもチャレンジすればいいから。

しかし、最後に見た彼の顔から受けた印象は重く、悲しい。


 彼はプレゼントを20歳の誕生日まで開けるなと言った。


 意味が分からない不思議なプレゼントであった。普通、ああいう場面でフる相手にプレゼントは渡さないし、なんで20歳まで開けては駄目なのか?


私はその時は彼の不思議な行動に苛立ちを覚えて帰り、気がつけば家に着いていた。


 しかし、寝る前にふと別れ際に見せた彼の何とも言えない表情を思い出した。嫌な胸騒ぎがする。


 そして、私は何故か泣いていた。それはフラれたからではない。


 何故か彼の顔と死ぬ間際の母の顔がダブって見えたからかもしれない。

考えすぎだし、ドラマの見過ぎだと自分を客観的に見つめてみても、より思いは強くなり涙は止まらなかった。


 次の日に私は彼の訃報を聞く。


 しかし、何故か腑に落ちた。ああ。だから私はフラれたのかと。それくらい人付き合いの苦手な私だって分かる。


 私は彼をよく見ていたから。彼も私を見ていた。


 だから、告白に踏み切ったのだから。


 私は急いで屋上へと向かった。


 無論、死ぬためではない。そんなことはもう出来ない。屋上が一番彼に近いような気がしたのだ。


 そして、給水塔の上で涙を流す。


 声を上げて泣いたのは、小学生の時以来だ。


 泣いて、枯れるほど涙を流して、そうして町を見下ろした。


 なんだ。彼は死ぬ前に私にちゃんと言葉を贈っていた。


 初めからずっと一貫して、彼は教えてくれていた。


 好きな奴から死ぬなと言われれば、私は後追いすることは出来ない。


 なるほど。20歳までか。上手い手だ。それを言われれば、私も易々と死ぬことが出来ない。


 本当に最後までお節介で優しい奴だった。気に食わないが、その小賢しい手に乗ってやる。


 「封筒に入れても、触れば中身が何かなんて分かるだろ。バカ」


 そう広がる空に吐いて、私は屋上を後にした。








 私は20歳になった。


 何度も死にたくなる時があった。


 高校三年生で知らない男子に告白されて断ったら、知らない女子に喧嘩を売られた。


 神崎しか話す相手がいないのに、その神崎に彼女が出来て、寂しくなった。


 義母と父と喧嘩をした。


 それでも、何故か最後にはあのプレゼントを見て、なにくそ!と自分を奮い立たせて前へと進む。


 そうして生きてきて、大学に進学し、私は20歳になった。


 自慢ではないが、私はモテるんだ。今の私を見たら、彼はスケベな顔で襲い掛かってくるかもしれない。


 私が入った大学は山の上にあり、山頂の学習棟からはやはり町が一望できる。


 そうして、私は大学内で一番上に位置する棟の屋上にある喫煙室へと向かう。


 随分と萎れて、汚くなった封筒を開ける。


 中からは一枚の手紙とタバコが一箱入っていた。


 


 「はい。どうも。須川です。


 手紙だと敬語で書かないとという強迫観念のもと書いております。


 20歳の誕生日おめでとうございます。


 君がこの手紙を読んでいる頃には僕は死んでいることでしょう。ああ。悲しい。


 さて、何故死んだのか?いやなんで死ぬことを予期できたのか?など謎は多いと思いますが、それは割愛しましょう。


 どうせ死んだ理由やらそんなものを書いても謎が謎を呼ぶだけ。無駄なことだ。


 さてそんな無駄なことを書いて手紙の余白を埋めてしまいました。よく卒業論文に使う手だそうです。もし藤原が大学に進学したのなら使うといい。そして教授に怒られるといい。


 さて、長々とつまらぬことを書いてきましたが、ようはおめでとうと言いたいのです。


 いえ。違います。ありがとう。そう言いたいのです。


 多分、面と向かっては言えませんので、死んだ後に恥ずかしい思いをするのは藤原だけで十分ですね。


 生きてくれてありがとうございます。僕は君を信じています。


 もし、死んでいたら、化けてでます。いや、そしたら死人同士の痛い喧嘩になるのか?


 まぁいいです。本題にいきます。


 僕は君が好きでした。


 でも過去形です。今の貴方からしたら僕はもう過去の人間でしょう。あなたが未来に生きるように。


 あなたはそのタバコを最後まで吸い切ってください。捨てるのも勿体ないでしょう?でもタバコに慣れるのも時間がかかるでしょう。


 そこで僕から一つ提案です。


 一つ年を取るごとに一本吸っていくというのはどうでしょう?


 ほら、簡単な作業でしょう?


 


 PS 二十歳の藤原は最高に可愛いだろうから彼氏くらい一人や二人いるだろ?今度はキスくらいしろよ?じゃ、達者で」


  


 「馬鹿かよ、こいつ」


 私はそう独り言ちて、タバコに火を付ける。


 むせ返りそうになりながら、我慢して吸い続ける。

煙が目に入って目からさらに涙が溢れだす。でも一緒だ。


 こっちはお前の下らない手紙でもう散々っぱら泣いてんだ。


彼は最後の時間を私の為に使っていたのだ。

こんな私を生かす為に。馬鹿みたいだ。

もっと他にやる事があったはずだ。私は彼に何も与えてやれなかったのに。


 タバコの火が消える。


 私は最後にタバコの残り火で手紙を焼ききった。こんな手紙を残していて他の人に読まれたら彼が可哀想だ。


こんな下らない手紙は燃えて灰になり、空へと還るがいい。


私は最後に空へとキスをして、その場を後にした。


 





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余命1カ月〜僕の最後の学生生活〜 プーヤン @pu-yan1996

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