第20話
放課後、藤原さんと須川くんは二人で遊びに行くそうだ。
二人と遊びに行くのは魅力的だし、僕も出来るなら二人と遊びに行きたい。このあいだのカラオケも邪魔されてちゃんと楽しめなかった。
須川くんにお勧めしたいアニソンがいっぱいあるのに時間が取れていないのも悔やまれる。
しかし、僕は今日行かないといけないところがある。
本当は全く行きたくはないが、「神崎も来ないか?」という須川君の誘いを僕は断って、彼らのもとへと向かった。
須川くんから貰ったナイフを懐に忍ばせて階段を降りていく。
僕は後にこの時の判断を後悔する。
あれが彼との最後の会話になるとは思ってもみなかったのだ。
もし知っていれば僕は迷うことなく須川君たちと遊びに行っていた。いや、どうだろう?
僕は変わらなければならない。
そう決心したのは須川くんが激昂する様を目の当たりにしたからだろうか?何故彼があれほど怒っていたのかは僕は後になって知ることになる。
しかしこの時の僕は自分を変えるために進むことしか頭になかった。
それが彼と友達でいて恥ずかしくない存在でいる為に必要な事だった。
僕は階段を降りると、校舎裏へと足を延ばす。
天気予報は晴れのち曇り。所により雨。曇り空が学校を覆っており、遠くに見える青空は手の届かない架空の世界のように目に映る。
雲行きの怪しい中、校舎裏への廊下を歩く。
手入れの行き届いていない校舎裏は雑草と古い用具入れが何個か放置されているのみだ。
そこにはあのいじめっ子達が待ち構えている。
僕はこれから彼らに一人で挑むのだ。
怖くないと言えば嘘になる。しかし、歩みは止まらない。
須川君にも誰にも頼らず僕はこの逆境に打ち勝つのだ。
それが僕なりの須川くんへの答えの提示になる。
案の定、その日は彼らにボコボコに殴られた。しかし、前のような情けなさや、屈辱は感じられない。
須川くん達は今頃、楽しそうに遊んでいるに違いない。そう思うと何故か僕も今度行こうという楽しみが生まれて笑ってしまう。
それに体に出来た傷も勲章とまでは言わないが、誇らしかった。
前のように眼前に迫る彼らを見て足が震えたり、心がギュっと鷲掴みにされるような感覚に襲われることもなかった。
僕は次の日も彼らに呼び出しを受けた。
多分、金を巻き上げるつもりだろう。いや、半ば、彼らも意地になっているだけかもしれない。一度、ならず二度も須川くんにやられた八つ当たりから僕に危害を加え、引っ込みがつかなくなったのだろう。
僕は次の日も彼らに挑むだろう。どれだけ傷付けられようとも僕はもう折れることはない。
友に自分の情けない姿を見せて、怒られるくらいなら僕は何度でも挑んでやろうとそう心に誓ったのだ。
彼の訃報が僕の耳に届いたのは昼休憩の時だ。
屋上へと向かう階段で生徒の雑談に紛れて聞こえてきた。最初は半信半疑で聞いていたが、彼の教室に行き、たまたまいた担任の教師に聞くとどうやら本当の事のようだ。
意味が分からなかった。
死因は心臓発作だと言う。
僕は不意に眩暈がして、その場に倒れそうになった。
しかし、そこである事柄が頭に浮かぶ。この事実を藤原さんは知っているのだろうか?
早く彼女に教えなければいけない。逸る気持ちを抑えきれず足は自然と走り出す。
僕は急いで屋上へと向かった。
藤原さんはいつも通り、給水塔の上に座っていた。
しかし、僕は踵を返し、屋上を去った。
彼女は泣いていた。
彼女はもう知っているのだ。
それを見てもどうすることも出来ない。僕は非力な男なのだ。須川君のように強かに、優しく、悠然と構えている男にはなれない。
放課後、僕は須川君の死を認められぬまま、彼らの元へと向かった。
何も出来ない不甲斐ない自分はこうして生前の彼の想いを踏みにじらぬよう動くことしかやる事が思いつかない。
彼らはまたもや僕から金を巻き上げようとする。
一瞬もうどうでもいいと財布を渡しそうになる。自暴自棄というのか、それは認めたくないだけで自分が強くなった姿を見てほしかった人物はもういないからだ。
急な彼の訃報は僕の心を空っぽにした。がらんどうな僕の心には彼らを相手にする気持ちも萎んで小さく消えていく。空虚な心がフワリと宙に浮いている。
ただ殴られるのかと思って財布を渡そうとした時、聞こえた。
「喜べよ?あのイカレ野郎も死んだし、これからいつでも相手してやれるな?」
何故だろう。
その時、僕は自分の頭の中で何かが切れる音が聞こえた。
須川君はいつも悪口を言われようともどこ吹く風といったように涼しい顔をしていた。
そうして、彼はニヒルに笑った顔から、いつもどこか哀愁の漂う横顔をしていた。彼の不安や、悩みは僕には分からない。
僕は彼から与えてもらうばかりで、何もしてあげられなかった。
そんなどうしようもない喪失感と、彼らに対する怒りが一気に頭を駆け巡った。
多分、怒りだけではない。これは後悔だ。
僕も一緒だ。彼らと同じく、このやりきれない気持ちを彼らに八つ当たりしている。
僕は気が付けば、目の前の滝川くんを殴り飛ばしていた。
滝川くんの口から彼への暴言を聞くことなど、日常茶飯事であったのに、彼の死を馬鹿にされると何故か後悔が胸を衝く。
須川君は最後まで滝川くんのことをイケメンと言っており、後ろの眼鏡をかけている横溝くんを眼鏡と呼んでいた。もう一人は認識すらしていなかったと思われる。
彼は何も知らない状態で僕を守ってくれていたんだ。その事実が辛く、苦しく、悲しい。
滝川君は後方へと飛んでいき、その場に倒れていた。
考えずとも分かることであった。僕の体は太っていて、そこらの生徒より体は大きい。
ならば平均的な体型の滝川君を殴ればどうなるか。負けるはずがない。
後ろの二人に目をやる。
小柄な生徒が二人いた。
客観的に見れば明らかである。負けていたのは単に僕が憶病であったからだと。
彼らは僕を睨みつけており、後ろの二人は怖気づいたのかその場に足を縫い付けられたように動かない。
僕が本気で二人を殴れば、彼らは怪我をするかもしれない。
僕はあることを思い出す。
制服の学ランの内ポケットからナイフを取り出す。
そうして、彼らに刃先を向ける。
彼らは逃げるタイミングを探していたのか、滝川君を置き去りにしその場から逃げていった。
滝川君も僕がナイフを持って近づけば、足早にその場を後にした。
初めからこうしていれば早くに終わったことだったかもしれない。しかし、一発殴ってやらなければ気が済まなかった。
もし、もう一度来たら眼鏡の彼にも容赦はしない。
僕は須川くんが思うほど優しい人間ではない。
僕は器の小さい弱い人間なんだ。君が死んでから自分を奮い立たせている。情けない人間なんだよ。
そうして、僕は全てが終わったことでその場にへたり込んだ。
「須川君。やったよ。僕一人で出来たよ」ともう一生話せない友に向けて言葉を放つ。
多分、彼なら「あ、そう。よかったな」と他人事のように軽く流すだろう。しかし、それが須川君の最大限の優しさだと分かる。
僕にはない優しさ。
季節を知らす風が頬をそっと撫で付けるような他人を気遣った優しさを持つ人だった。
僕は色んな思いを噛み締めながら、ナイフを握った。
そして気が付く。
ナイフの刃の部分が鈍く光っていることに。僕はその刀身の先端を押してみる。
すると、刃は柄の部分へと吸い込まれていく。
はは。乾いた笑いが漏れた。
これはパーティーグッズだ。
なんだ。須川君も彼らに対していっぱいいっぱいだったのだ。それはそうだ。急に三人の男に囲まれたら誰だって怖い。彼はそんな中で僕を守って、僕を叱りつけてくれていたのだ。
はは。はは。君は確かにそういう人だった。
そうして空に向けて、今は亡き友に言葉を放つ。
「ありがとう」
それは曇り空の中へと放たれた。そうして、出来るなら彼に届くと良い。
彼はやはり、「はいはい。どういたしまして」と一見冷たくあしらっているように見える。
しかし、すぐに僕は彼が恥ずかしそうにタバコを咥える姿を見た。
これでやっと対等な友達だ。
淀んだ空は灰色に染まっている。雨は降ってはいない。
がしかし、僕の上だけに雨は降っている。そういうことにしておこう。
彼ならそういう意味のない優しい嘘をつくはずだから。
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