第19話
僕は彼女の上気した顔を見て、返事を考える。
無論、僕は藤原 緑が好きである。
しかしおいそれと彼女に答えることは憚られる。
その問いにはどのような返事をするのがいいのだろう?
目の前の君が好きだと言えばいいだろうか?
もしかしたら僕が告白をしたら彼女は応えてくれるかもしれない。しかし、それは果たして正しいことだろうか?
僕は今一度、自分に問いかける。
僕は最後に何を願っているのか?
無気力に生きてきて、この17年という短い生涯に幕を閉じようとしている。
夭折は美化されがちだと聞くが、僕の人生は第三者から見たらなんとも滑稽な話であろう。
未来のない僕と未来のある彼女。
答えは簡単だ。
未来のない僕は彼女の未来を羨望の眼差しで見て、そして期待するのだ。
彼女に生きてほしいと切望するのだ。
「いるけど、教えない」
僕がやっとのことで吐いた言葉に藤原は顔を顰めて、こちらを睨みつける。
「なんで?教えてよ?」
「………藤原は好きな人いるのか?」
僕はカウンターにと逆に聞き返す。それは暗に返事を誤魔化そうとしている意思を彼女に示すためだ。
しかし彼女は僕を指差す。
何の迷いもなく、表情は真剣に彼女は僕を指差したのだ。
「何?」
「須川。あんたが好きだ」
それは彼女の口から放たれた言葉だと理解するのに少しの時間を要した。彼女は頬を真っ赤に染めながら、しかしこちらから視線を外さず、猫のような眼は僕の目を射抜く。
彼女の指先は僅かに震えている。
「………そうか」
僕は短く返事をした。
いじわるでそう返事をしたわけではない。ただ嬉しくて言葉が出なかった。
これは奇跡だ。
自分が好きな人間が自分を好きになってくれることは奇跡だ。
僕の短い人生でそれを痛感した。
両親が死に、色んな所をたらい回しにされてきた僕だから分かる。人はそう簡単に人を好きにならない。
それは奇跡と大層な言葉を使ってもいい事象だ。
しかし、僕は死期が近くなければそんな彼女と知り合うこともなかったのだろう。そう思うと、ある考えが浮かぶ。
僕の死期が早くなったことで生じたデメリットとメリット。
それが眼前に広がって、彼女が僕の返事を震えて待っているのが見える。
その死期は無気力な僕が生まれ変わったきっかけ。
そして彼女と出会えた。こんなに嬉しいことはない。
彼女との未来はないが彼女の未来はある。
高校三年生になって友達が増えるかもしれない。大学に行って色んな人と知り合うかもしれない。それこそ運命の人とやらに出会えるかもしれない。社会人になって仕事でくじけそうになるかもしれない。
それでも彼女は生きていくべきだ。
彼女には悪いが僕はそれを最後に願った。
ならば答えは決まっている。
「ねぇ?返事は?いつまで待たせる気?」
「返事?」
「そう。須川は私のこと好き?」
「うん好きだよ。友達として」
「え?」
彼女は不思議そうな顔をして、こちらを見る。そして、言葉を反芻するように目を瞑ると一瞬悲しそうに眉を顰めた。
「ん?」
「友達として?」
「そうだよ」
「………私のは男女の好きだよ?」
「分かっているよ」
彼女はもう一度、聞きなおすと、僕の返事を聞き、今すぐにでも泣き出しそうな顔を手で隠して、ため息を零した。
「好きな人いたんなら教えてよ。私一人で馬鹿みたいだ」
そう零しうずくまる彼女の背中は震えていた。僕は歩み寄って抱き寄せることも今なら出来る。では明日は?明後日は?
考えれば考えるほど僕の足は前へと進む気持ちを殺していった。
「好きな人は教えない。………んーもう少し時間が経てば教えてあげる」
「どういうこと?」
彼女の鼻声が聞こえてくる。それでも僕はそれを聞いて心を揺り動かされてはいけない。僕はいつもと同じように軽い口調で彼女に答える。
「今は教えられない」
「………意味わかんない」
「ごめん」
「私、やっと人生が面白くなってきたのに。神崎と須川と出会って、やっと面白いって思えてきた。でもそれを須川に押し付けるのは私の我儘だったのかな………」
「……ごめん」
「教室にも行けるようになって。こうして街にも来れるようになった。それは須川のおかげだよ?だから………須川が誰を好きでも私は須川に感謝してるし、あんたが好きだ」
「うん………ごめんね。………でも、その気持ちには応えられない」
やっとのことで断れた。
もう駄目かもしれないなと自分の目に溜まっていく涙が逃げ場所を探していた。
好きな相手が目の前で僕の為に泣いているのに何もしないなんて頭がおかしくなりそうだ。
彼女がうずくまって顔を隠していてよかった。
今の自分は相当情けない泣き顔を晒しているに違いない。
「そっか」
彼女はそう言葉を地面に落として、口を閉ざした。
僕は食いしばって、片腕にもう片方の手で爪を立てて何とか我慢しながら気を落ち着かせる。
こんな彼女を置いて自分は死ぬと思うと不安にもなる。しかし、今、抱き寄せてキスするわけにもいかない。
僕は過去になり、彼女は未来に生きるのだから。
僕はカバンから先ほど買った花柄の封筒を取り出す。
彼女は急にガサゴソと物音を立てる僕を訝し気に見ていた。
「何それ?」
「え?プレゼント。藤原に」
僕はそういうと彼女に手渡す。彼女は呆れた顔でこちらを見る。
「私、今、振られたばっかりなんだけど?」
「振った相手にプレゼントを渡したら駄目なのか?」
彼女の蹴りを甘んじて受ける。
そうして、彼女は僕が渡した封筒を訝し気に眺めている。
「何これ?」
相当苛立っている、怒気のこもった声が聞こえる。
「ん?だからプレゼントだ。でも中を見たら駄目だ。それを見ていいのは二十歳の誕生日だ」
「なにそれ?」
彼女は苛立ちを抑えきれないと封筒を握りしめていた。
「まぁ最後くらい聞けって。二十歳の誕生日になったら開けていい。それまでは絶対に開けたら駄目だ。分かった?」
「………なんかムカつくけど分かった」
彼女は涙目を拭いながらそう答えた。
その時の上目遣いの涙目にこちらは決心が鈍って、今すぐ抱きしめたい気持ちが溢れてくるが、目をつぶって我慢する。
こんな時ほど、タバコを吸いたくなるが、もう手元にないのでしょうがない。夏の湿った空気を吸い込んで、吐き出した。
彼女はそうして封筒を自分のカバンに入れると、「帰る」と小さくつぶやいた。
「そうか?」
「うん。もう今日は帰る」
「………そう」
僕がそう言うと、彼女は何故か腹を立てたようにこちらを睨みつける。そうして、急に勢いよく顔を上げる。
その顔は涙で真っ赤になった目に、頬は紅潮し食いしばっているのか口も固く閉じてへの字になっており、それはなんとも不思議な表情であるが可愛かった。
「わ………私に彼氏が出来ても文句言うなよ!!その時に好きになっても遅いからな!!」
そう吐き捨て、彼女は走って帰っていった。
いつもの無表情、何に対しても興味がないといった彼女からは考えられない、生のエネルギーとでも言うのか熱を感じた。
僕は笑って彼女を見送った。
「さようなら」
僕の言葉は彼女には聞こえない。夜の空へと消えていく。
彼女の姿はすぐに見えなくなった。
僕は缶コーヒーをもう一つ買ってきてベンチに腰かけた。
そうしてコーヒーを啜り、初夏の夜の風を感じる。
もうすぐ夏本番だ。
もっと暑くなっていき、昼はもっと長くなっていく。夜は短く、空はいつも青く遠く広く澄み渡る。
彼女は時に笑って、時には泣いて、時には思い出す。
他愛もない封筒だ。捨ててしまおうか?いや面倒だ。二十歳まで待つか?と適当でもいい。
そうして生きていくと願う。
彼女が帰って何時間か経つ。
もうすぐ今日という日が終わる。
ただ時計の針が重なるだけだ。ベンチに座っていると風が頬をかすめて、木々のそよぎが聞こえる。
ここは繁華街から近いのに妙に静かだ。気持ちが落ち着く。
しかし星は見えない。
周りが輝いているからだ。だから星は見えなくてもよい。月は見えるから。
ああ。楽しかった。
ああ。悔やまれる。
しかし、それくらいが丁度いい。
腹八分目まで。
やり残しを悔いるくらい。
それくらいで抑えておくのが丁度いいのだ。それが次を連想させてまた期待させるのだ。
缶が僕の手から落ちる。
公園の静寂に一つ、缶の落ちる音が響く。
僕の視界は暗くなり、意識は空へと飛んでいく。
さて次には何が待っているだろう。
死とは深くも浅く、眠りにつくと漕ぎ慣れない舟を漕ぐようだ。
僕は最後にふと彼女の笑った顔を思い出した。
とすると僕の口角は自然と上がって、幸せな気持ちになった。
一人静かに息を引き取った。
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