第18話
夜の帳が下りて、駅前の繁華街は明るく輝きを増し、人も増えてきた。
雑踏の中で、僕は彼女と街を歩く。特別な目的があるわけではない。強いて言うならば藤原が入りたい店を探している。彼女は色んな店を見ては驚き、過剰に反応する。
彼女は特異な人間不信から人を避けて生きてきたから街を歩いたことはない。家から駅。駅から学校へを繰り返してきたのだ。
だからこうして放課後、友達と街で遊ぶこともなかったのだ。
本当に街を歩いたことがなかったんだなと思い、またその不自然な反応に僕は連れてきてよかったなと嬉しくなった。
彼女と僕は目についたイタリアンに入る。
彼女は奢ってもらうと息まいていたが、その店のメニューの金額を見てやっぱり他の店にするか?半分出すか?と急に焦りだした。
小心者なのか気遣っているのか。多分、後者だ。
僕は夢も希望もないが、財布には金が詰まっていると言い、彼女をそのまま店に連れて行った。
「こんな店初めて入った………あ。」
「ん?」
「いや、昔、来たことあった。お母さんと一緒に来たことがあった。確かこんな感じのイタリアンで、私はスパゲティを頼んで、お母さんとピザを分け合って食べたの」
彼女の中の楽しい記憶。彼女は思い出すように語る。僕はそれを静かに聞いていて、席に着くと彼女の顔を見た。
少し頬が紅潮している彼女はこちらを見ていた。嬉々として昔の記憶を語る自分が恥ずかしくなったのか、顔を隠した。
「そうなんだ。じゃあ、今日もそれを食べよう」
「う、うん」
しかし、僕の肯定的な言葉に気を良くして彼女は素直に笑った。それはこちらまで恥ずかしくなるような綺麗な笑顔で僕も少し視線を逸らした。
「もうすぐ中間試験だね?」
僕は自分にはもう関係のない話題を彼女に振る。
「そうだっけ?私、何の用意もしていない。須川は?」
「僕もそうだな。まぁ赤点は取ったことないし、そんなに心配はしていない。藤原はどうだ?」
「私も同じ。赤点さえ取らなければ何点でもいいかな」
「そうか。でも二年の夏だし、そろそろ進学を考えるなら焦る生徒もいるんじゃないか?」
彼女はその質問にあからさまに不機嫌になった。もしかすると彼女は未来を見たくないのかもしれない。
それは恵まれたことなのに。しかし、僕も今のようは状況でなければ考えず、周りに流されていたかもしれない。
「そうかもね………でも私は別に進学でも就職でもどっちでもいい」
「どっちでも……ね」
僕は顔は笑っていたが、何故か心は穏やかではない。
愛想笑いのような掠れた笑い声だけを漏らしていた。自分には未来がないが君には未来がある。なのに何故そんな適当でいるのかと苛立っているわけではない。
ただ、何故か悲しかった。君には僕の分まで未来を生きて欲しいとそう思ったからかもしれない。
でもこれは、単なる自分の我儘で彼女に押しつけるものではない。そう思うと口ごもってしまう。
そこからは僕も彼女も無心になってスパゲティを食べ続けた。
スパゲティ二人分とピザ一人分。
食べる前は余裕で食べられると息まく。
いや、まだまだ食べられそうだと涎を垂らしながらメニュー表を吟味するが、こうして食べていると、すぐに満腹感を覚える。
この現象に名があるなら死ぬ前に教えて欲しかった。
彼女を見ると、彼女もやっとスパゲティを食べ終えていた。
「お腹一杯になった?」
「まぁ。うん。もういいかな」
残ったピザは二枚で、彼女は水をちびちび飲んでいた。
関西圏ではお皿に残った最後の食べ物を遠慮の塊というらしいことは叔父が大阪で仕事をしているときに教わったそうだ。
僕はピザを全部口に放り込み、水で流し込んだ。
そうして会計を済ませて、店を後にした。
お腹はいっぱいになったことで僕が欠伸をしながら歩いていると彼女もそれにつられる。
その様子を見ていると恥ずかしいからか、彼女が「見んな。ボケ」と蹴りを入れてくる。
食後にどこかに行って遊びたいといった話は僕たちの中では出ない。
神崎なら青春に憧れてそういった提案をしてきそうだが、彼女はそういうものを好まない。
僕も彼女もインドア志向なのだろう。
そんな僕らの行き着く先は駅前から少し離れた公園であった。
公園のベンチに腰かけて、一休みといった具合だ。
僕たち以外誰もいない公園には街灯が一本あって、ベンチが一つにブランコが一つという殺風景な公園であった。
しかし、その方がかえって落ち着く。
彼女と並んでベンチに座る。
自分の腕に蚊がついた瞬間、彼女は俊敏な動きでその腕を上から叩いた。そして自分ばかり刺されるのはおかしいと何やら騒ぎ出し、蚊の寄らない僕の腕を無意味に叩いた。
蚊も死期の近い人間の血は嫌いなのか?そんな判別が蚊に出来るのか?とどうでもいいことが頭をよぎった。
彼女は先ほどのイタリアンの代金を未だ気にしていたが、僕が大丈夫と念を押すとそれ以上は失礼だと思ったのかもう追及してくることはなかった。
ベンチに座ってもお互い話すことも少ないので僕から話題を振る。
「そういえば、さっき言ってたの本当?ほら神崎がモテるとかなんとか?」
「ああ。うん。たまたま聞こえちゃっただけだけど。ほら神崎はポチャってしてるけど愛嬌のある顔しているしモテるのかも?」
「なるほど………今度、腹をつねってやろう」
「何?須川もモテたいの?」
彼女が蠱惑的な笑みを見せる。僕はもう彼女の笑顔など今日で何度見たか。もう慣れたぞ。
そんなものに心を揺れ動かされはしないと思っていたが、全然そんなことはなかった。
僕は少し顔を赤らめながら、適当に誤魔化す。
「そらそうだ。日本全国の男子高校生はモテたいって思ってるよ」
「あ、そう?」
「そうだ」
僕が自身満々に言い切ると、彼女は興味なさそうに胡乱気な視線をこちらによこす。
「まぁ、藤原も人のことばっかり言ってられないぞ。大学に行ったら、気の合うイケメンとか出てくるかもよ?」
「はぁ?何それ?」
「キャンパスライフって憧れないか?」
「煩わしい」
「あっそ」
彼女は手持ち無沙汰に足の先で石ころを弄りながら答える。
そして、彼女は何かに気が付いたのか、急に僕の目を見た。
「さっきからなんで進学ばっか勧めるの?教師みたい」
「さぁなんでだろ………まぁそういう生き方もあるし、藤原が知らない人間なんてまだまだいくらでもいるってことだ。人生は長いから」
「ん?何の話?」
「彼氏彼女の話だろ?」
藤原はそれを聞き、途端に眉間に皺を寄せて、こちらの体に穴が空くのではないかと思えるほど僕の顔を凝視する。
そして、何故か口を閉ざした。口がモゴモゴと動いているから多分何か言いたいことがあるが、未だ口にする決心がつかないのだろう。
僕も口を閉ざしてしまえば、それは沈黙の始まりなので、なにか飲み物買ってくるとその場を一旦離れた。
僕は近くの自販機を探したが、見当たらないので近場のコンビニに入って缶コーヒーを二個買った。
その時、小さな封筒が目についた。可愛らしい花柄の封筒であった。
僕はこれは名案だと、それも購入してコンビニを後にした。
それは僕から彼女への最初で最後の贈り物だ。
そうして、彼女が待つベンチに駆け寄る。
公園には街灯が一つしかなく、それゆえ頭上にある上弦の月が目立って見えた。繁華街からでは魅力も減ってしまう。情緒がない。
また月の満ち欠けの名前をいちいち覚えていることが少し嬉しい。
自分は何も知らない人間だと思っていたが、存外17年の知識というのも捨てたものではないらしい。
待っていた彼女も月を見上ていたので、名前を教えてあげる。
彼女は「は?」みたいな顔をして、「あっそ」と吐き捨てた。情緒がない。
この知識に意味はないらしい。
そうして、二人して珈琲を啜っていると彼女が不意に小さく声を出しているのが聞こえた。
「ん?何?」
僕は彼女に耳をそば立てる。
彼女は口をすぼめて、視線を逸らし、僕に聞く。
「……す………須川は好きな人いる?」
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