おかしな戦争 三

メルグルス

第1話 月夜に嗤う独眼竜

 東の果てにある島国、その東北地方に位置する青葉の山の隠れ屋敷にて、満月の下、酒宴を開く者たちがいた。


「今宵は満月。さしもの天界も、殿の御活躍を称えざるを得ないということでしょうな」

開け放たれた座敷の縁側から夜空を見上げる男が声をあげた。


「然り、支倉焼十郎はせくらやきじゅうろう殿の申す通りじゃて」

奥州白松家毛中宗おうしゅうしらまつがもなかむねが、ふやけた九重ここのえが浮いたさかずきをちびりと口にして、支倉焼十郎の発言に同意を示すと、その場にいたみなが一様にうむうむと満足そうに頷いた。


 第一次聖戦による混乱期を駆け抜けてきた強者つわもの達、すなわちあらゆる戦法を生み出す味変化の戦略家『菊福乃助きくふくのすけ』、べっとりもっちり『胡桃餅姫くるみもちひめ』、常に武者震いの『ZUN田震九ずんだしぇいく』、お蜜たっぷり『弓部氏御津座衛門ゆべしみつざえもん』、ひょんなことから乳成分を挟み込んで大成した偉丈夫『生銅鑼なまどぅら』が、今宵は久方振りに訪れた束の間の平穏を、噛み締める様に楽しんでいたのである。そこに——


「―—その者を止めよッ!!」

突如、隠れ屋敷の正門方向から門兵の声があがった。皆が何事かとそちらに顔を向けると、早馬から転がり落ちながら座敷の縁側前に飛び込んだ足軽兵がいた。


「なんだ騒々しいッ! 御前であるぞ!」

歓談の場に冷や水をかけられたことに憤慨したZUN田震九は、怒りに打ち震えながら、頭から突き刺したストローを今にも抜き振りかからんと気勢をあげる、が――


「無礼を承知ながら、至急の報にてッ!」

その者は、構わず声をあげた。本来であれば、即刻打ち首となってもおかしくない状況。しかしながら、ストローを握りこんだZUN田震九はすんでのところで踏みとどまった。


(此奴――)

見れば、駆け込んだその者は無数の傷を負っていた。カリカリに揚がった厚手の衣甲冑ころもかっちゅうを着込むその背中には、無数の矢が突き刺さっており、傷口からはボタボタとどす黒いあんこが垂れ落ちていて、幾ばくも持たぬであろう命を気力だけで永らえているのは、誰の眼にも明らかであったからだ。


「何があった」

支倉焼十郎がついと顎をしゃくった。


「大陸にて……大陸にて、聖戦の動きありッ!」

「―—何ッ!?」

その場にいた皆が表情を強張らせた。


「き、貴様ッ何を申しているのか承知しておるのか!?」

ZUN田震九は、再度身体を震わせながら、ストローを今にも抜かんばかりの勢いで気勢をあげた。そこに——


「——よい」

座敷奥から響く声色


「しかしッ!」

「よい、と言っておろうが」

怒気の込められた発声が、ZUN田震九の容器からだを容赦なく震わせた。身体の内側で乳成分とずんだペーストが混じり合うのを感じると、彼は、なんとか理性を取り戻し、振り抜きかけたストローを奥に戻した。


 途端、噴き出る冷や汗。それほどまでの覇気であったのだ。身体を伝う結露したあせが、彼の足下をびっしゃびしゃに濡らしている。腰を下ろそうとすると、すっと、座布団コースターが敷かれたため驚いて隣を見やると、そこに座っていた胡桃餅姫がねっとりとほほ笑んでいた。ZUN田震九は、童子の頃の淡い初恋を思い出しながら、胡桃ペーストでべっとべとになった座布団に腰を下ろすと、座布団と身体が密着した感覚を得て、ようやく落ち着きを取り戻した。


「聖戦か——糞、古傷が疼くじゃねぇか」

そう言って杯をぐびりと呷り、不敵に嗤う者の姿がそこにあった。ZUN田震九を震わせた声の主。彼がのっそりと立ち上がると、つられて皆がその姿を見上げていた。


 月を思わせる黄金色の肌に、印象的な眼帯が浮かびあがる。第一次聖戦にて、かの冷獣に齧られ欠けてしまった己の右眼を懐かしむように、男は眼帯をさすって前に歩みを進めた。この者こそ諸外国から『独眼竜』と恐れられる——伊達萩月公、その人なのである。


「されど殿。お言葉ですが、その者の言質……信ずるに値するのですか?」

菊福乃助が苦言を呈した。聖戦が再び起きるやもという事態が事態だけに、慎重になっても仕方の無いことであった。


「福乃助、その者の背に刺さる矢羽、見覚えがないか?」

(——矢羽?)

言われて、菊福乃助が縁側に駆け寄り、刺さった弓を検分すると——


「これはッ——小枝忍軍の矢羽ッ!?」

(しかも、ただのやじりではない。一度刺さったら抜けぬように作られたとげ付きの矢、それに……なんてことだ、たっぷりと加加阿カカオが塗りたくられている)


 菊福乃助は驚愕した。彼らのようなあんこを内包する一族にとって、何ら調整されていない加加阿は、正に水と油のような存在、激毒なのである。界隈では、この毒に耐えうるのは、彼の国真夢カントリーマァム公のみと噂されていた。そんな彼らの驚きをよそに足軽が報告を続ける。


「大陸に潜っておりました黒糖巾木饅頭組こくとうはばきまんじゅうぐみの密書を此処に」

言って、懐から取り出された餡子にまみれた伊達絵巻を萩月公に差し出した。無言で密書に目を通す萩月公に、足軽は矢継ぎ早に報せを告げた。大陸では、既に冷獣が放たれ、かの魔神までもが復活の兆しを見せているということを。


「急報の途、小枝忍軍の急襲を受けました。私以外の者は皆——ッ!」

どんっと、地面を叩いて足軽は己の未熟さを呪った。そこに、密書に目を通した萩月が声をかけた。


「よう、持ってきた」

不意に投げかけられたその言葉で、それまで張りつめていた足軽の緊張がほどけて、彼は、自分の役割を果たすことができたのだと、仲間たちの死が無駄ではなかったのだと理解して、溢れる何かとともに嗚咽してその場に崩れ落ちた。萩月公が足軽の身体を抱き寄せ声をかける。


「名を申せ」

「……稲子の地にて、藩境警備の任を仰せつかっておりました安芸万重郎あげまんじゅろうの嫡男、油満十太あぶらまんじゅうたにございますッ」

「満十太。お前の名、その活躍、しかとこの目に焼き付けたぞッ!」

「あぁ、何たる……名よ、な……」

弱々しく口にすると、油満十太はゆっくりと、瞼を閉じて静かに息を引き取った。


「手厚く葬ってやれ」

萩月公は、自分の上衣を満十太にかけてやると、遅れて到着した門兵達に亡骸を預けて、座敷に戻り家臣達を見渡した。


「さて、聞いてのとおりだ。大陸の連中は血が見たいらしい」

「我等も出陣ますか?」

「しかし、青葉の城を留守にしてしまえば、蝦夷地の『北の三人衆』が黙っておりますまい」

「然り……」

しばしの沈黙。動くに動けぬ事情が彼らにはあった。本州各国の御当地大名達は独眼竜の動きを常に警戒し、徒党を組んでけん制しており、蝦夷地では先に名の挙がった三人衆が度々「物産展」なる反乱を各地で引き起こしては、東北地方の制圧を目論んでいるのだ。


「もしも、源氏蛍千兵衛殿が立ち上がってくだされば——」

不意に、生銅鑼が声をあげた。その言葉に皆がハッと顔を上げる。


「しかし、彼は——」

ZUN田震九が意を唱えようと立ち上がった途端、彼の足下に何かが突き刺さった。


「こ、これはッ!?」

薄型の円形に象られた鋭利な得物に、皆の視線が注がれる。


「げ、源氏蛍千兵衛手裏剣ッ!」

ZUN田震九が驚きの声をあげた。ガクガクと震えて動けぬ彼の代わりに支倉焼十郎がそれを手に取って裏返す。


「狭間の地より以北、我等に任せ給え——とあります」

支倉が萩月公に送られた便りを伝えた。


「破ッ——」

と、萩月公は短く嗤った。可笑しかったのではない。此度こそ、聖戦を戦い抜くことができるのだと理解したが故に、嗤ったのである。


「起つかッ源氏蛍千兵衛——面白いッ!!」

パンッと膝頭を叩いて拳を握る。蝦夷地と本州の狭間に位置する源氏の里を古より守り通してきた一族。彼らが動くとなれば、独眼竜は最早、背後を気にする必要はなかった。


「とはいえ、彼らだけで北の三人衆を抑えるのは至難の業かと」

菊福乃助が苦言を呈す。そこに——


「——ならば、私が参りましょう」

萩月公の方向から声があがる。皆が主君に視線を向けるが、違和感。そうだ、今の声は一体何者の声だったのか……そのような疑問が沸き起こった。と同時、萩月公の影がゆらりと動いた。否、影ではない。いつから其処にいたのか、萩月公の背後に何者かが立っているのだ。


「殿の背後を取るとは、何奴ッ!」

ZUN田震九は、今度こそはとばかりに、膝をガックガクに震わせながら今にもストローを振り抜かんと、気勢を——


(うッ——!?)

挙げられなかった。萩月公の背後に立つ者を直視して、彼は息をのんだ。押し戻された空気がストローから容器からだの中に逆流して、ぶっぽぶっぽと気泡がはじける音がその場に響いた。その音に、胡桃餅姫は頬を赤らめ、白松家毛中宗はカッカッと笑い声をあげた。だが、ZUN田震九は、それどころではなかった。影のような存在は、独眼竜萩月とうり二つであったからだ。唯一異なるのは、その浅黒い肌のみであったのだ。


「よせ、ZUN田震九」

「支倉様、何故止めるのです!?」

「貴殿が知らぬのも無理はない。私とて、久方振りに目にするのだから」

(支倉様ほどの方が……奴は一体?)

その場の全員の視線を余裕綽々に受け止めながら、影はようやく口を開いた。


「我が名は萩調はぎしらべ。御殿の影武者なれば——」

萩月の傍らに膝をつき、こうべをたれる。知る人ぞ知る萩月公の影武者、萩調。褐色の肌はふわふわと柔らかく、それでいてずっしりとした重量感を兼ねそろえた強者であった。


「久しいな、萩調。変わりないか?」

「御覧のとおり。殿も御変わりないご様子」

それよりも——と形式ばった挨拶を省略して、萩調と名乗った影武者は先の発言の真意を語った。


「聖戦ともなれば、激戦は必至。それに、加加阿の毒に耐えうるのは、この場では私だけかと」

「確かに、其方の言う通りか……ならば、下命する。萩調よ、源氏蛍千兵衛に合流し、見事この地を守り通して見せよ! 我は大陸に出陣するッ!」

「仰せのままに」

そう言うと、萩調は背中に萩月公の嗤い声を受けながら座敷から立ち去り、残された家臣は、嗤う萩月公に羨望の眼差しを向けていた。


*****


「聖戦ですか……ふふ、加加阿の血が混じる私にこそふさわしい戦い。影がいつまでも影でいるとは、思わぬことですよ、萩月公」

酒宴の場を去り、隠れ屋敷から歩みを進める萩調。満月から降り注ぐ月光を受けて、彼のふわふわとした褐色の輪郭がおぼろげに闇夜に溶けると、萩調の姿が忽然と消えていた。香しい加加阿の香りをその場に残して……










 


 


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