そこに君がいなくても(2)

 数年ぶり――と言っていいのかわからないけど、とにかく久しぶりに三羽みつはね董子とうこの夢を見た。


 彼女の存在を今の今まで意識しなかった理由はもうひとつある。

 ついでに思い出したのだ。……確か彼女はちょうどこの時期、他の生徒とトラブルを起こし、期末試験が始まるまでの1週間、停学処分を受けていたばかりだった。

 1学期の途中という中途半端な時期に転入してきて、まだそう日も経たないうちにである。

 要するに三羽菫子は、色々と問題児だった。


 おそるおそる、治りかけた傷口に触れるように、彼女の記憶を手繰り寄せていく。

 いつの間にか錆び付いていた感情が、軋んだ音を立てるように感じる。

 だけど、これは必要な準備だ。

 このまま行けば、僕は数日後には彼女と“再会”することになる。記憶の中の彼女と違って、今度は目をそらしたまま避けて通るというわけにはいかない。


 あらためて思い返そうとしてみると、高二の夏から卒業までの間の記憶がほとんどないことに気付いた。

 もちろん、そういう時期があったのはおぼえている。でも、まるで小さい頃に見たTV番組みたいに、具体的にどんな出来事があったのか、細部がはっきりしない。

 受験で大変だったというのもあるだろうけど、それほどまでに三羽董子という少女の記憶は、僕の心にとって負担だったのだろうか。


「おはよ、旗野」


 いつもの交差点で、芹奈からそう声をかけられ、僕は現実――でいいのかな――に引き戻された。


「ああ……おはよう、芹奈」


 呼び名の変化に気付いたケイゴが意味ありげにこっちに目配せする。

 いや、そういうんじゃないんだけどな。


 芹奈は何気ないふうを装いつつ、また爪をチェックするふりをしている。まだ照れがあるらしい。

 ミキのほうはスルーしてるのを見ると、たぶんすでに芹奈から伝え聞いてるんだろう。

 男からすればどうでもいいような情報でも共有してるからね、女子ってのは。


 それにしても……これは女子に限らず、中高生ってやつは大した意味もない些細な情報の伝播がおそろしく速い。

 会社で毎日同じようなルーチンワークを飽きもせず繰り返しているうちに、いつの間にか忘れてしまっていた感覚だ。

 皆、それほどまでに話題に飢えていて、他人の話にも興味津々で首を突っ込む。それが学生というものだ。


『まだ、自分がどう生きていいかわからないか、他人を知ろうとするんだ』


 いつかケイゴが、この頃を振り返って、そんなうがったことを言っていた。

 大人たちは口を開けば『進め、進め』と急き立てるけど、この時代の僕たちはまだ未完成で、自分というものがどちらを向いているのかさえわかっていなかった。


 高校時代のカップルが、卒業して数年もすれば別れて、意外な相手とくっついていたりするのも、よくある話だ。

 ちらちらとケイゴのほうに視線を向けては、前髪をいじったりしているミキの姿を見て、僕はそう思う。


 残りのタカはと言えば、いかつい長身の背中を丸めて、今日発売の週刊漫画雑誌のページを無心にめくっていた。

 当時の僕だったら、タカと同じように続きが気になっていたところだが、土曜日にバックナンバーを読み返したおかげで、今週号の展開はおおよそ見当がついた。


 そう、校門へと向かう制服の群れの中で、ただひとり僕だけが、これから起こる未来を体験している。


 ――が、それでどうなるかと言うと、間近に迫っている期末試験の問題どころか、習った内容自体もろくに覚えていない始末だ。


 過去に戻る主人公には、たいてい切羽詰まった目標がある。

 恋人の死の運命を変えたいとか、そういうやつだ。


 もしかしたら人類初のタイムスリップを体験しているかもしれないというのに、僕が気にかけていることと言えば、この当時好きだった女の子のことぐらいである。


 だって、ただの高校生の自分に何ができる?

 戦争を止める? 偉大な発明をする? そんなの無理に決まってる。

 株で儲けようにも、そこまでの知識も元手もない。それに、ただの高校生に取引できるものなんだろうか?


 だいたい、「過去を変える」という物語は、それをすることで元の時代に影響があるというのが前提じゃないか。

 こっちで何かしたからと言って、僕のいた世界が変わるかどうかもわからないし、そもそも元の世界に戻れる保証さえない。


 ……ただひとつだけ、切実に願うことがある。


 受験勉強のやり直しだけは勘弁してほしい。

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七年前にまた会いましょう 白川嘘一郎 @false800

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