『そこに君がいなくても』

そこに君がいなくても(1)

 “青い春”だなんて言ったりするが、高校時代を例えるとすれば、その季節は夏だと思う。


 無遠慮に手加減なく眩しくて、むせかえるほど蒸し暑くて、汗だくになりながら早く過ぎ去ってほしいと願うのに、過ぎてしまえばやがてその熱を懐かしく求めるようになる。


 今でこそこんな感じの僕だけど、高校生だったこの頃はもう少し純真で、向こう見ずで……取り返しのつかない選択ミスが人生にあるなんて、まだ想像さえもしたことがなかった。


 三羽みつはね董子とうこという女の子と密接に過ごした時間は、ほんの2ヶ月にも満たない。24年間の僕の人生の中では百分の一以下、そんなごくわずかしか占めていないはずだ。

 思春期を引きずった17歳の僕ならこんなふうに言うだろう。


 ――恋とは、時間を超える唯一の方法だ。



    *    *    *



「ねえ、ダメだよ。草司そうじくん」


 重ねた唇をそっと離して、彼女は言う。

 その唇の感触を起点に、あいまいだった彼女の輪郭が形作られていく。


「私は、少し凍えて飢えているぐらいがちょうどいいの」


 その口ぶりは、同い年だとはとても思えない。

 声だけ聞けばむしろ少し舌っ足らずで、幼ささえ感じるのに、ひどく大人びた言い回しで、彼女は――三羽董子は静かに微笑む。


「世の中にはね、ぬくもりを与えられると、『あぁ、もう、これでじゅうぶん』って思っちゃう人がいるのよ。『これで、あとはどうなってもいいや』って」


 ああ、そうだ。彼女はそうやって笑って、破滅へと踏み込んでいくんだろう。


 これはいつ、どこだったっけ。僕は記憶を探る。

 夏休み。蝉の声がやたらとうるさくて。

 そう、これは、彼女と最後に会った日だ。


 高校時代、最初で最後のキスだった。


 あれがたぶん、僕の人生における最初の、取り返しのつかない失敗だった。


 人込みの中で、彼女に似た黒髪の後ろ姿を見かけたとき。あのころ街に流れていた音楽をふと耳にしたとき。いつか彼女との会話の中で使った言い回しを、意図せず繰り返してしまったとき。

 その面影が脳裏をよぎるたび、ところかまわず転げまわって叫び出してしまいそうになるので、記憶がそこに差し掛かろうとするたび、反射的に思考を飛ばしてきた。

 熱い何かにうっかり触れて、思わず手を引っ込めるみたいに。



    *    *    *



「――思い出してくれた?」


 そう語り掛けるかのように、記憶の中の彼女が微笑む。

 あの日、最後に見た笑顔のままに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る