Stage16 欺瞞の戦士

 それは部屋とは呼べない途方もなく広い空間だった。すり鉢状に窪んだ地形の底の平面アリーナにおれたちは立っていた。上方に向けて開いた広大な空間にはずらりと篝火が巡らされ、無数の赤い炎が揺れている。


 なんなんだここは。どこなんだこれは。ここは地下迷宮ダンジョン、地の底に広がる偽りの宮殿ではなかったのか。柱のないこの広い空間を覆う岩盤を支えているのはいったい何の力なのだ。おれは炎の明かりも届かない遠い暗闇を振り仰いで思った。


円形劇場コロッセオだ。ここを抜けない限りあんたは先へ進めない」


 パラケルススの声が静まりかえった観客席のあいだを反射して響き渡る。幾重にも連なり、壁のようにそそり立つ観客席には、炎の投げる影が揺らめく以外、動くものの姿はない。


「向こうへ抜ければいいのか」


 おれたちが入ってきたのとは反対側に、アリーナに向けて口を開いた出口が見えている。観客席と同じで、アリーナにもおれたちのほか人影はない。こちらからあちらへ抜けていくだけならばなんの問題も無さそうだが。


「そうだ。行けるものならばね」


 異形の魔法使いパラケルススは、クククと喉の奥で笑っていった。知っているのだ、このコロッセオを。パラケルススはこの階層ステージで最強の怪物クリーチャーでもある。彼女を遮ることができるものはいない。迷宮を徘徊する怪物たちを気にすることなく、自由に階層を行き来する彼女が知らないことはなにもない。ただ、ゲームオーバーした彼女にはこの物語ゲームクリアする資格も意志もないが。


「きたよ」


 反対側の出口ゲートの暗がりにに何人もの“player”が姿を現した。口々になにかを話している。七、八人はいるだろうか。


「ここをクリアするための三回戦のうち、一回戦だ。ヤツらを殺せ」

「まて、あいつらは“player”だ。怪物じゃない」

「怪物でないものは殺せないとでもいうのかい? 善人ぶるんじゃないよ。この偽善者が!『鍵』を手にした瞬間からあんたはplayerをやめさせられているんだ。あんたがどうやってその『鍵』を手に入れたのか思い出してみるがいい」


 おれの右手に、この『鍵』を奪うためにナイフを“player”の背中に突き立てたときの感触が戻ってきて硬直した。たしかにパラケルススのいうとおりだ。いまさら善人ぶるとは!


「あんたの役回りはもう“player”なんかじゃない。“player”の前に立ちはだかる怪物なのさ!」


 突然、周囲に歓声が湧きあがった。びくっと身体が震えて腰が砕けそうになった。なんだ? 見るといままでなにもなかった観客席に人影が揺れている。人の姿はないのに影だけが揺れている。


「殺すか、殺されるかがここのルールだ。みろ、ヤツらはやる気満々だよ!」


 手に手に武器を携えた“player”たちが、闘技場アリーナに姿を現した。狂ったような歓声がひときわ熱を帯びて高くなった。


 ――コロセ! コロセ! コロセ!


 そそり立つ観客席を埋め尽くす無数の影法師が自らの歓声に合わせて揺れる。コロセコロセと波を打つ。おれの意思も揺さぶられるように暗い熱狂に呑み込まれてゆく。


「さあ、欺瞞の戦士よ、戦え! あたしに命じてヤツらを屠れ! 血の道を征かずして勝利はないことをここに示せ!」


 炎に照らし出された“player”たちの顔が、恐怖と憎悪、そして侮蔑に歪んでいるのがおれにもわかる。そうだその顔を知っている。おれも『鍵』を手に入れ、怪物パラケルススと手を組むまでは、そんな顔して戦っていたからだ。


「なにを躊躇ためらう。こうあたしに命じるだけだ、! と」


 まだ距離のある“player”のひとりが、手にした小弓に矢をつがえるのが見えた。やめろ、戦いたくない――。右肩に激痛が走った。矢だ。射られた! 


 観客席がどよめき、膝を折ってうずくまるおれに豪雨のような歓声が降り注ぐ。


 ――コロセ……コロセ……コロセ……。


 痛みに神経がむき出され、恐怖に肌がひりつく。“player”のいく人かは武器を構えてまっすぐこちらへ駆け出していた。怖い! 小弓に次の矢がつがえられた。コロサレル……!


「命じよ!」


 暗がりに浮かぶ、パラケルススのひとつしかない金色の目が三日月形に笑っている。おれを見下ろして。心の底から愉快そうに。コロセコロセコロセ……耳が鳴るなにも聞こえなくなるコロサレル!


「コ・ロ・セェェ!」


 両耳を手で塞ぐとおれは叫んだ。ヤツらを殺せ! と。


 血を交わした契約に従って、パラケルススはすみやかに命令を実行した。たくましい脚が地面を蹴ると、瞬く間に二人の“player”を四本の腕で引き裂き、一人を太い尾で吹き飛ばした。ひるんだ“player”たちがひと塊になって守りを固めると、直後に一帯が炎に包まれ、“player”たちは四本の火柱に姿を変えて、のたうち回るうちに燃え尽きていった。ほんのわずかの時間の出来事だった。


 一段と激しくなった歓声が闘技場を包み込む。アリーナは“player ”たちの血に濡れ、肉塊が転がり、焼ける匂いに満ち、影法師の観客は殺戮に酔っていた。


 たったいままで“player ”だった肉塊を見つめながら、おれは頭を抱えてつぶやいた。


「戦いたくなかった、本当だ……。殺すつもりはなかった。でも、殺されると……おもったから。殺されたくはなかったから……」


「だから、殺した。間違っていない――よ?」


 地を這って耳に忍び入るパラケルススの声は、しかし、おれを嘲るかのように弾んでいた。苦悩と苦悶、破滅と殺戮はひとしく彼女の愉悦なのだ。パラケルススは打ちのめされたおれに追い打ちをかけるように宣言した。


「さあ立ち上がれ、迷える戦士よ。顔を上げろ、うつむくな。二回戦がはじまる!」


 おれの戦いは、はじまったばかりだった。戦い続けない限り、おれはこの迷宮ダンジョン最悪の魔法使いパラケルススによって喰い殺されるだろう!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「迷宮」または、戻らない時間と失われた物語 藤光 @gigan_280614

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ