第15話 医師と話したぼくは、心の声を聞く
古新聞や雑誌、さらにごみをつめ込んだレジ袋が壁のように積み上がった廊下を奥へ向かう。この家の天井は高い、四メートルはある。ぜいたくな作りなのだ。その広い廊下の壁に沿ってごみが積み上げられているさまは、なかなかの見ものではある。どうやって叔父さんはこんな高さにまで積み上げることができたのだろう。こうまでしてがらくたを取っておこうとした熱意はどこからやってきたのだろう。新聞紙の壁に手を当てると、そのざらざらとした手触りの向こうに、この家で叔父さんが積み重ねてきた年月の量が感じられて、その期間に空想が飛んだ。ぼくの知らない時間と空間のなかで、彼はなにを考えどう過ごしていたのか。この家を埋め尽くしているごみの中から探し出すことができるだろうか。
医師がこの家のリビングにいた。ここも応接間と同じで薄暗い。8畳のダイニングとひと続きの16畳だったはずだが、モノやごみが天井まで積み上げられた室内はほとんど光が差さず、足の踏み場もない――そういうレベルを越えた混沌ぶりだった。部屋の中央に据えられたソファと、向かい合わせに置かれた時代遅れのブラウン管テレビの前だけが、生活できる空間といってよかった。
「やあ、来たのかい」
ごみの山に囲まれたソファに腰を下ろして西野医師が、携帯電話の明かりをたよりにノートのようなものをめくっていた。
「この部屋もすごいことになっているよ。きっと叔父さん持ち物ばかりじゃないね。壊れた扇風機や冷蔵庫まで積み上げられている」
差し上げた携帯電話から漏れる明かりに、ぼんやりと浮かび上がる積み上げられた家電製品、日焼けした扇風機、焼け焦げたトースター、製氷室のない冷蔵庫、割れたミキサー……。明らかにこの家のものではない。叔父さんがゴミ捨て場から拾い集めてきたものだろう。
「すみません。散らかった家で――」
「きみが謝ることじゃあるまい」
西野医師は、この家がごみ屋敷となっていることを気にしてほいないようだった。
「ときおりあることなんだよ」
「はあ」
「ご遺体の検視に呼ばれて行ってみると、自宅がごみでいっぱいになっているというケースは。亡くなった方が、認知症であったり精神疾患を患っていると、こうなっていることがあるね」
いったいに医者というものは、人の示すあらゆる反応に診断名をつけたがるものらしい。西野医師はいい医者だと思っていたけれど、やはり医者は医者でしかないのだ。家の中が不要なものであふれかえっていることと、なんらかの病気とを結びつけて考える必然はどこにもないというのに。
「叔父は、病気だったんでしょうか」
「おそらくね――きみ、叔父さんのことは詳しく知らないんだったね。どんな暮らしをしていたとか、通っていた病院はどこかとか、なにか思い出さないか」
黒いブラウン管テレビの脇には、VHSのビデオテープがきちんと並べて積み重ねられている。どれも70年代から80年代にかけて撮られたアメリカ映画ばかりだ。テレビ台の中にはいまも青いランプの点いたビデオデッキも見える。
「いえ、わかりませんね」
ぼくは立ったままテレビ台の中をまさぐってはなにやら紙片のようなもの取り出してはのぞき込む西野医師を見下ろしていた。彼は叔父さんが毎日腰を下ろして昔の映画を見ていただろうそのソファに座り込んで調べものをしていた。
叔父さんはぼくの知らない家の混沌とした物と時間のなかで古いビデオテープをすり切れるほどみてきたのかもしれない。
「なぜ叔父さんが亡くなったのか。気にならないのかね」
西野医師の顔をみた。彼もぼくを見ていた。汚れたいやな部分を見透かされたような気がしてぼくはみじろぎした。そんなぼくに医師が差し出したのは医薬錠剤のパッケージ。
――デパス0.5mg錠
――ハルシオン0.25mg錠
「処方箋はないが最近のものだ。きみにはこれがなんだか分かるんじゃないかな」
そう、ぼくは知っている――「デパス」は不安や緊張感をやわらげる抗うつ薬、「ハルシオン」は不眠の改善に使用される睡眠導入剤だ。叔父さんもうつ病だったのか。薬と西野医師の顔を代わるがわる見比べながらぼくはなにも言えないでいた。
「テレビ台のなかにあったよ。私はね――」
西野医師は言葉をきった。
「きみの叔父さんがなぜ亡くなったのか。その死因を知りたいのだよ。私は警察医だ。亡くなった方の検視に立ち合い、死因を判断する。叔父さんの場合、亡くなってからかなりの日数か経っていてご遺体の損傷がひどかった。おそらくは病気で亡くなられたのだろうが、身元を特定できる資料もない。
叔父さんがうつ病だったのかどうかは分からない。しかし、普段服用している薬を見ればおおよそどんな病気だったか見当はつく。私は死因に結びつくかもしれないそれが知りたいんだ。
私に警察医としての仕事をまっとうさせてくれたまえ。きみは叔父さんのことをどのくらい知っているんだ。どうして今日はここへきてくれんだんだ。この件に関しては、家族であるきみが鍵なんだ」
服の上から、胸のポケット収めた鍵に手を触れた。
――あの家にはまとまったお金があるの。
はっきりと耳の奥で声がした。
「うるさい……」
――お金はいるのよ!
母の声だった。耳を塞いでも構わず聞こえてくるその声は、外からじゃなくぼくの内側から響いてきていた。ぼくのなかから湧き上がってきていた。
さあ? ぼくに叔父さんのなにが分かるというのだろう。一面がらくたに覆い尽くされた広くて暗い部屋に、ぼくはひとり立ち尽くすのだった。
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