「今回こそ、この悪夢の連鎖を断ち切る」


 悠里が白銀の槍を構える。


「無理だよー。逃がさないもの」


 そう言って向かい合う白夢が、悠里越しに微笑んでくる。

 視線に体が硬直する。


「ゆーくん」


 精一杯の優しい声で悠里が肩越しに名前を呼ぶ。


「私が今からこいつの相手をする。その間にゆーくんは東の階段から降りて学校を出て」

「そ、そんな! 置いて行けっていうのか、お前を!?」

「大丈夫。私は勝つ。勝って、必ずゆーくんの後を追うから」


 肩越しに振り返って微笑むのだった。

 いつものふにゃっとした笑みではない。だが、悠里とダブる笑顔。

 行人は強張っていた体が動くのを感じた。


「逃がさないって言ってるでしょ?」

「必ず逃がすって言った!」


 白夢の背中から黒い霞のようなものが鋭い手指を形成して行人へ向かうのを皮切りに、悠里が叫んで再び白銀の槍を床に突き立てる。


「フィンブル! すべての力を解放しなさい!」


 槍の名を呼んだ瞬間、穂先を起点に一気に世界が凍り付く。

 床も壁も伸ばされていた霞の腕も凍り付いて動かなくなっている。


「行きなさい、早く!」

「くっ」


 悠里の切実な声に背中を押されて、行人は駆け出した。

 教室の脇を駆け抜けるとき、中が一瞬見えた。

 凍り付く黒夢の向こう側に倒れ伏すクラスメイト達。

 そうだ、みんな死んだ。

 修学旅行の日、それが行人の最後の記憶だ。

 飛行機が落ちたのだ。

 きっとみんな死んでしまった。

 現実が急に襲い掛かってきた気がした。

 足が、緩む。


「ねぇゆーくん、わたしと一緒にこの世界で最後まで過ごしましょうよ。現実なんて忘れてね? ここは何でも思い通りになるのよ」


 それはとても魅力的に思えた。


「ゆーくん!」


 けれど悠里の鋭い声がそれを遮る。


「私は、待ってるわ!」


 その声を聞いて、脚が再び動き出す。

 そうだ、修学旅行に悠里はいけなかった。

 高熱を出して、最後まで一緒に行くと言っていたが置いてきたのだ。

 東の階段を下りる一瞬、白夢と悠里が戦っているのを目に収めて一気に駆け下りた。


   ◇


「いいの? あなた、今のでほとんど力使っちゃったんでしょ? せっかく今まで最後のチャンスのためにとっておいたのに」

「いいのよ。今が、きっとその時だから」


 そう言って悠里は床からフィンブルを抜き放つ。

 凍り付いた黒い腕は細かく振動し、氷の拘束をすぐにでも抜け出しそうだ。

 力の入らない腕で、精いっぱいの虚勢を張りながら槍を構える。


「何があってももうゆーくんを見送らない。それが私の願いだから。そのために、ずっと戦ってきたんだから」


 飛行機が事故にあった時から悠里は戦い続けてきた。

 一人だけ生き残ってしまった現実と。

 夢に寄生するモノ達の見せる悪夢と。

 そしてようやくチャンスが巡ってきたのだ。


「何度繰り返したって必ず助ける。そう、決めた。でも、それももう最後」


 今まで邪魔してきていた者たちはすべて凍り付かせた。

 これならば行人も校舎の外までたどり着けるはずだった。


「だから、あなたはここで止める。ゆーくんの邪魔は、させない」

「……今更、どうしてこんなことになったかと思えば、まさかあなたが心中する覚悟をしたからなんて思わなかったなー」


 悠里の足もとからは微細な振動が伝わって来る。

 本格的に崩壊が始まったのだ。

 行人が逃げ切るまで白夢の相手をするならおそらく悠里は逃げられない。

 このままここで死ぬことになるだろう。

 だが、行人が生きていてくれるならそれで良かった。

 152回の意味は、あった。


「ここは通さない」


 静かな決意と共に、悠里は床を蹴った。


   ◇


 階段を駆け降りている最中にぐらりと揺れる。

 本当にこの世界は終わりが近づいているようだ。

 最後の数段を飛び降りると、校舎の入り口が見える。

 靴箱が何列にも渡って並んでいた。

 下駄箱の列を駆け抜けると昇降口を飛び出す。

 真正面には広々とした校庭。

 だがそこは今ひび割れて今にも崩れ落ちそうだ。

 そしてすぐ左手側が大階段になっており、その見下ろす先に校門がある。

 校門は開かれており、その先は真っ白な空間になっていた。


「あそこを出れば……」


 現実に帰れる。

 一歩、階段に踏み入れようとして、足が止まる。

 足元から伝わる振動は激しさを増していた。

 天井からはパラパラと砂や埃が落ちてきていて、いつ崩れ始めてもおかしくないと思わせられる。


「悠里……」


 本当に、追いついて来るのか?

 

   ◇


「……」


 戦いは、繰り返してきた中で最も激しいものとなった。

 気が付けば悠里は一人、床の上で天井を見上げていた。

 勝った、記憶はない。

 だが視線を巡らせてもあの忌々しい白夢はいない。

 代わりに悠里の両足は真ん中から深くえぐられて白いものが見えていた。

 とても歩ける状態ではない。

 ため息を一つつく。


「ゆーくん、外に出られたかな?」


 それだけのためにここまでやって来た。

 悔いはない。

 そう思って目を閉じた。


「何やってんだよ」


 はっとして目を開ける。

 行人が、そこにいた。


「何、してるの」

「迎えに来たに決まってるだろ」


 そう言って行人はボロボロの悠里を背中に背負おうとする。


「お前、何か重くなったな」

「い、いつと比較してるの? 失礼な!」

「いや、イメージがな。それより行くぞ」


 背負った悠里の足が体の脇でぷらぷらしている。ほとんど皮一枚でくっついているような状態だ。


「心配しないで。現実に影響はないから」

「お前、帰らないつもりだっただろ」

「……」


 悠里の様子を見て、行人は悟った。

 自分だけ返して悠里自身は残ってでも白夢を食い止めるつもりだったのだと。


「私は、ゆーくんが生きてさえいてくれれば、それでよかった」

「お前、何言って」

「私なんか生きてるよりも、ゆーくんが生きてる方がずっと有意義だもの! 何にもできない私が生きてて、何でもできたゆーくんがずっと眠ったままなんておかしいじゃない!」


 涙を流しながら悠里が叫ぶ。

 同級生が皆いなくなって、悠里はずっとそんなことを考えていたのだろうか。

 とても空しい考えに行人は辛くなった。

 だから言ってやりたかった。


「でも、お前は来てくれたじゃないか。だから俺は帰れる。ほら、校門だ」


 背後にしてきた校舎が大きな音と土埃を上げて崩れ始めた。


「生きてさえいれば何だってできる。何にでもなれる。少なくとも、俺だって悠里のいない世界なんてゴメンだね」

「ゆーくん……」


 涙を拭う悠里に笑いかけてやる。


「戻ったら、すぐ会いに行く」

「大丈夫、すぐそばにいるから」


 二人は、校門を越えた。


  ◇


 熱気を含んだ風が頬を撫でる。

 長い黒髪が特徴の女性が顔を上げ、ベッドに横たわる男性の顔を覗き込んだ。

 ずっと閉じられたままだった瞼が、開こうとしていた。

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