第4話 ハッピー・エンディング
夕方のラッシュアワーはすでに終わっていて、急行電車の車内はそれほど混みあってはいなかったのに、私はひどい息苦しさを感じていた。ネクタイを緩めてみても、あまり変わらない。
暖房が効きすぎているせいではないか、と私は思った。腰かけていた、臙脂色のロング・シートの足元から昇ってくる熱気が、暑いのを通り越して熱いと感じられるほどだったからだ。
間もなく急行は速度を落とし、次の駅へと停車する態勢に入った。
郊外のニュータウンの中心に位置する駅で、そばには大きなショッピングモールがある。窓の向こうを、住宅地の灯りがいくつも流れて行くのが見えた。会社への行き帰り、数えきれないくらい何度も通り過ぎてきたこの駅だが、もう十年くらい降りたことはない。
シートから立ち上がり、ドアの前に立った。車内の、この息苦しさはちょっとたまらない。ここで途中下車して一息入れて、改めて次の列車にでも乗ることにしよう。急いで帰ってもどうせ一人の部屋だ。何の用事もない。
家路を急いでいるのだろう、たくさんの人達に混じってホームからの階段を上がった。外の空気を吸っても、思ったほど息苦しさは楽にならなかったが、車内よりはましなはずだ。
自動改札機にICOCAを当てて駅舎を出ると、いきなり目に入って来たのは、青やオレンジ、白に輝く無数の光点だった。ショッピングモールへと続くその通りは、きらびやかなイルミネーションに彩られていた。両側に続く街路樹と、通りの中央の植え込みに、たくさんのLEDが連なって明滅しているのだった。
そうか、と今更ながらに私は思い出した。クリスマスなのだ。だとすれば、まさにちょうど十年ぶりにここに来た、ということになる。
十年前、まだ三十代だった私は、当時付き合っていた恋人と一緒に、ここを歩いたのだった。二人で過ごす四度目のクリスマス、それが彼女と過ごす最後のクリスマスシーズンになるのだとは、その時の私は知らなかったのだが。
あの時と全く変わらない、と思われるその風景に、私は幸せな気分になった。華やかなイルミネーションにはしゃぎながら先を歩く彼女の姿が、目に浮かぶようだった。
彼女がどうして別れを決めたのか、今も私は知らない。知りたいとは思わなかった。そして結局あれ以来、私が誰かを愛したことはない。今後もないだろう。
しかし今の私には、あの日の情景がひたすらに懐かしく、こうしてまた目にすることが出来たことが、ただ嬉しかった。
通りの半ばほどにある小さな広場には、ツリーが立っていた。その周囲に環状に並ぶベンチの一つに私は腰かける。そうだ、確かこのベンチだ。こうして二人で座って、ツリーを見たのだ。
私は、隣の彼女にもたれかかった。分厚いウールのコート越しの温もり。幸せだった。ツリーの眩い輝きが、霞んで見える。ふと、意識が遠ざかる。
イオンモールの近くにある広場のベンチで、四十代の独身男性が亡くなっているのが発見されたのは、その日の夜遅くのことだった。巡回中の警備員が声を掛けたが反応はなく、すでにその体は冷え切っていた。
当初は凍死かとも思われたが、解剖の結果心臓に問題が見つかり、死因は急性の心不全だったと判断された。本人がそれを知っていたのかどうか。しかし、死の直前には相当な息苦しさを感じていたはずだった。
それなのに、彼は笑みを浮かべたままで亡くなっていた。心底、幸せそうな。
(了)
【完結】それぞれの、しあわせ ~クリスマス掌編集~ 天野橋立 @hashidateamano
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