第6話『衝撃の朝餉、唐突なカミングアウト』


「うーっす……」


 翌朝。

 身支度を整え、俺はダイニングに降りてきた。

 もうそろそろ四月も終わりを告げようとしているのに、今朝は妙に肌寒い。

 昨夜、うっかり窓を開け放したまま寝たことを後悔していた。


「おはようでしょ、零司。一美ひとみも食べながらスマホ見ない。行儀悪い」


「さーせん」


「はーい……」


 先に食べていた母親の小言を、妹ともども聞き流す。

 テーブルに置いてある炊飯器から、白米をよそって席についた。

 

「いただきます」


 手を合わせて一礼してから、俺は朝食を食べ始める。

 これをやらないと、リアルに夕飯抜きにされるから死活問題だ。

 アジの開きに醤油をぶっかけながら、俺はふと気になったことがあった。


「あれ、母さん弟は?」


「ちゃんと双一郎そういちろうって呼びなさい。……双一郎なら、部活の朝練でとっくに出たわよ」


「早っ。そんなに野球が面白いかね。あいつ社畜に向いてるよ」


「アンタは向かなすぎよ。学校だっていつもギリギリに出ていくし。そんなことじゃ、社会に出てから通用しませんからね」


「はいはい、分かりました」


 まったく、母親というのは何故こうも小言が多いのだろう。

 しかも、特別斬新なことを言うわけでもないから困る。

 俺はそれ以上無駄口を叩かず、黙々と焼いたアジをむさぼった。


あにー、ソース」


「ん」


 俺の対面に座る妹に、ウスターソースを滑らせてやる。

 俺が学校の先生だったら、『先生はソースじゃありません』って言ってやるところだ。

 しかし、他ならぬ愛妹まないもうとの頼みでは仕方ない。

 

「びちゃびちゃびちゃー」


「……お前焼き魚にソースってマジ?」


「だって美味しいし」


「考えらんねー……」


 退屈ながらも、穏やかな朝の日常。

 こんな何気ない日々の積み重ねが、かけがえのない思い出となるのだろう。

 さながら、砂で描いた壮大な絵画のように。

 一粒一粒はただの砂でしかない。

 だが、完成してから見返せば、見るものの胸を打つ輝かしい芸術へと進化するのだ。


 そして、それをたやすくぶち壊したのは、他ならぬ我が妹だった。


「そういえば兄さー」


「ん?」


「彼女できたって本当?」


「ぶわぁっ!」


 コップからすすりこんでいた牛乳を、俺は盛大に吹き出した。

 このガキャ、いきなりなんてこと暴露しやがる。


「げほっ、ごほっ!」


「あーじゃ本当なんだ。へー、びっくり」


「おま、何で……!」


「だって、特進の片岡さんって言ったら一年うちらの中でも有名だし。兄は全然知られてないけど」


「ほっとけ」


 一美が在籍しているのは、俺と同じ楠学園普通科だ。

 二年の特進を発端とする噂が、たった一日でそこまで広がるとは。

 そこらのインフルエンザなんざ目じゃない感染力だ。

 いや、そんなことよりさっさと牛乳を拭かねば母に殺される。

 

「悪い、母さん。すぐ拭くから……」


「零司……」


「母さん?」

 

 声の調子がおかしかったので様子をうかがうと、なんと母は泣いていた。

 俺は思わず椅子から立ち上がり、激しくうろたえてしまう。

 

「ちょっ、何だよ急に。泣くほどのことじゃないだろ、たかが彼女くらいで」


「だって……アンタと仲良くしてくれる女の子がこの世にいるなんて、思ってもみなかったから……」


「何だその言い草は!」


 そんなことで親泣かすとか、まるで俺が超親不孝みたいじゃねえか。

 すると、意外にも妹からの援護射撃があった。


「兄の言う通りだよおかーさん。そんな言い方ってないよ」


「いいぞ、もっと言ってやれ」


「それじゃまるで、あの世には兄と仲良くしてくれる女の子がいるみたいだし」


「あの世にもいないと思ってたのか!?」


 そりゃ女受けする見た目じゃないのは分かっているが、いくら何でもそこまで嫌われてはいねーよ。

 ……いないよね?


「そうね、確かに一美の言う通りね。ごめんなさい零司。お母さんひどいこと言っちゃったわ」


「毛ほども謝意を感じねえ……」


 何で俺、朝から母と妹にさいなまれてるんですかね。

 地獄かここは?

 がぜんウキウキしだした母親が、ぐいっとこちらに身を乗り出してくる。

 うざい。


「で、どんな子なのよ。写メとか持ってないの?」


「そんなもん持ってたって見せねーよ」


 そもそも持っていないので見せようもない。


「はいこれ」


「えっ、嘘! こんなに可愛い子と付き合ってるの!?」


「勝手に見せんなよ……」


 大体、何でクラスどころか学年や科すら違う妹が、片岡の写メ持ってるんだよ。

 もしかして、馬鹿な男子が撮った盗撮写真とかが出回ってるんじゃないだろうな。

 だとしたら、彼氏(仮)として許しておくわけにはいかない。

 内心憤慨しながら妹のスマホを覗き込むと、


「キメッキメだな……」


「うちのクラスの子がこっそり撮ろうとしたら止められて。どうせ撮るならちゃんと撮りなさいって」


「何だその気前の良さ。江戸っ子かよ」


 そこには、木漏れ日を浴びながら、静かに膝の上で本を開いている片岡の姿があった。

 昼下がりに、お気に入りの恋愛小説を読みふける文学少女。

 そんな中、ふと前髪をなぶる初夏の風に顔を上げた、まさにその瞬間を捉えたようなベストショットだ。


 被写体の配置も日光の当たり具合も完璧である。

 このままモデルの宣材写真として使えそうなくらいだ。


「これ撮るのにどのくらいかかったんだ?」


「んー、二時間くらいって」


「バカじゃねえの」


 こんなくだらない写真を撮っている間に、海の向こうでどれだけの尊い命が奪われたと思っているんだろうか。

 母親が目をギラつかせながら、がっしりと俺の肩を掴んできた。


「零司。悪いことは言わないからお母さんの言うことを聞きなさい。絶ッッッッ対こんないい子逃がしちゃダメよ」


「は、はい……」


「男ってのはね、女ができると自分がモテると勘違いして、『フラれてもまあどうせすぐ次見つかるし』って今付き合ってる子をないがしろにしだす輩が多いけど、お母さんは断言しておくわ。

 ――アンタは今後一生、この子より可愛い子と付き合えることはないわ。間違いなくね」


「そんな力強く言い切ることじゃないだろ……」


 一応反論はしたものの、俺も正直同感だった。

 本来なら、俺程度が片岡クラスの美人と付き合えることなどまずない。

 いや、まあ付き合ってすらいないんだが。


「何にせよ、よかったわね零司。その片岡さんって子、今度うちに連れてくるのよ。今のうちに囲い込んでおかなくちゃ……」


「いいよ余計なことすんなって……」


 ……これ、フラれたときの気まずさ尋常じゃねえな。

 俺は苦い面持ちのまま、牛乳を拭くための布巾を取りに行った。 



 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

両片思いの片岡さん~学年一の美少女に脅されて偽装カップルになりました~ 石田おきひと @Ishida_oki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ