第5話『片思いの国崎君』


 俺は内心引いていた。

 いや、そこまでするか普通。

 どんだけこいつは俺を偽装彼氏に任命したいんだよ。


 俺を孔明だと思い込んだ劉備の生まれ変わりか? 

 三顧の礼ならぬパンツの計で俺を説得しようって算段か。

 何を考えているんだ俺は。


「もちろん、私としては不本意だし、あなたを罠にはめるような真似はしたくないけど、仕方がないでしょう。あなたが素直に首を縦に振らないのが悪いのだし」


「いや、これしきのことでここまでやるお前が悪いよ明らかに……」


「やかましい。とにかく、私の彼氏……じゃなくて偽装彼氏になりなさい。これは最後通告よ」


 こいつ、目がマジだ。

 下手に刺激すると、本当に増援を呼びかねない。


「分かった。やる、やるからスマホを布団の上に置け」


 やれやれ。これで俺も祝ゼロカノ卒業か……。

 こんな(仮)みたいな形で恋人を作りたくはなかったが、やむを得まい。

 すると、片岡はほっとしたように口元を緩めた。

 

「ふ、ふふ……まったく、最初から素直になっていれば、私もこんな手を使わずに済んだのに」


「へいへい。俺が全部悪い……うおわっ!?」


 俺の言葉の途中で、いきなり片岡がベッドから降りてきたのだ。

 とっさに顔を背けるが、片岡に焦る様子はない。

 恐る恐る視線を戻すと、


「……履いてる?」


「当たり前でしょう。さっきベッドから出したのは保健室ここのハーフパンツで、今履いているのは自分のよ」


 つまり、ハーフパンツは最初から二枚あった、というわけだ。

 普通に考えれば、まともな女子が男の前でパンツ一枚になるはずがない。


 だが、あのとき片岡は下半身をしっかり布団で隠していた。

 それによって、『もしかしたら』という邪な期待が働き、判断力を狂わせたのだ。


 世に言うシュレディンガーの猫ならぬ、シュレディンガーのパンツ理論だ。

 恐るべし、パンツの計。

 生まれ変わってなお衰えぬ劉備の知将ぶりにおののいていると、


「これからよろしくね、国崎君」


「よ、よろしく……」


 喜色を満面にたたえた、あまりに無邪気な笑顔。

 すっかり毒気を抜かれた俺は、素直に片岡の手を握り返してしまう。


 いきなりデマをばらまかれた挙げ句に、社会的地位を盾にとった脅迫。

 こんな目に遭わされているのに、俺は彼女を憎むことができない。


 なぜならこの国崎稜人は、片岡都子に片思いをしているからだ。

 中学生の頃、出会ったときから、ずっと。


「……あら、やけにたくさんメッセージが来ているわ。何かしら」


「おまっ、送信してんじゃねえかこれ! バカバカ早く訂正しろ!」


 ……たまに、何で好きなのか分からなくなるが。


 ◆


 その日の夜。

 激動の一日を終えた俺は、自分の部屋でのんびりくつろいでいた。

 夕食を食べ、風呂にも入ったので、後は寝るだけだ。

 着古したジャージに身を包み、ベッドに寝転がってぼんやりとユーチューブで動画を見る。


 開け放した窓から入ってくる、ひんやりした夜気と虫の鳴き声。

 誰にも邪魔されることのない、至福のひとときだ。


 いや、邪魔されることのなかったひとときと言い換えるべきだろうか。


 突然、俺のスマホがけたたましくアラームを鳴らし始めたのだ。

 聞き慣れない音楽の正体が分からず、本気で焦る俺。

 画面を見ると、『片岡都子』と表示されている。

 

「ああ、電話か……」


 親はプリインストールの電話アプリしか使わないし、他に俺に電話してくる相手はいない。

 よって、俺は生まれて初めてライン電話というものに応答した。

 ついでに、女子からの電話に出るのも初めてだ。


 もちろん、片岡からの電話も初めてである。

 俺は努めて平静を装いながら、クールな声(自分比)を出した。


「……ふぁ、ふぁい」


 ダメだった。失敗した。

 幸い、片岡からのツッコミはなかった。


『もしもし国崎君? 今電話しても大丈夫かしら?』


 それを電話で聞くか普通。

 いや、長話をしても平気かって意味なんだろうけど。 


「大丈夫じゃなかったら出ねーよ」


『そう。ならよかった。早速本題に入るけど、ラインのアイコンを同じものにしようと思うのだけど、どうかしら』


 そんなことかよ。

 思いの外どうでもいい内容に、俺は正座を崩して再びベッドに寝転がった。


「……アイコンなんか何でもよくないか?」


『いいえ、こういうのは形が大事よ。付き合いたてのカップルはぜひとも同じアイコンにするべきだと百人一首でも詠われているわ』


「先見の明があるってレベルじゃねえぞ」


 レオナルド・ダ・ヴィンチでもそこまで先を見通すことはできなかっただろう。

 

「そういうのって、別れたときが怖くないか? アイコン変わった瞬間別れたのバレバレだぞ」


『来年のことを言うと鬼が笑うわよ、国崎君』


「来年振られるのは確定なのか……」


『いえ、必ずしも来年というわけではないけど……というか、これはただの慣用句だから、そう本気でとられても困るわ』


「はあ」

 

 やけに焦った様子の片岡に、俺は気のない返事をする。

 どのみち、この恋人ごっこは近い将来終わりを告げるのだ。

 そう真剣になることもあるまい。


 ともかく、何でもいいというなら、別に同じアイコンでもいいわけだ。

 俺は面倒になって、話の続きを促した。

 

「で、どんなアイコンにするんだ?」


『そうね。考えてみたのだけど、やはりここは手堅くいこうと思うわ』


「ほう」


『ツーショットはどう?』


「絶対に嫌だ」


 手堅いどころか軟派ナンパにも程がある。

 大体、それじゃ学校のメンツどころか、中学の友達にまで付き合ってるのバレバレじゃねえか。

 そういうイタイ奴らに限ってすぐ別れて『あれ、アイコン変わってる……』ってなるんだよ。


『……まあ、あなたが嫌だと言うなら保留にするわ。私一人で浮かれていると思われるのも癪な話だし』


「ぜひそうしてくれ」


 願わくば、保留ではなく完全に却下にしてもらいたい。


「そもそも、アイコンに自分の顔使うとか、どんだけ自信あるんだよってなるだろ」


『なるほど。自意識過剰だと思われるのが嫌だと』


「そういうことだ」


『理解したわ。ならこうしましょう。ペアリングをはめた手を』


「結婚報告かよ」


 こいつ何も理解してねえ。

 余計に重たくなってんじゃねえか。

 すると、片岡の声のトーンがわずかに低くなった。

 どうやら気に障ったらしい。


『話は最後まで聞きなさい。私は別に顔を出すことに抵抗はないわ。顔には自信があるから』


「はいはい」


『だからこういうのはどうかしら。私の顔の隣に、国崎君がペアリングをはめた手だけを出して撮るのよ』


「心霊写真じゃねえか」


 そんなアイコンで弟や妹とラインする俺の身にもなれ。

 

「何も身体の一部にこだわらなくても、一緒に買ったアクセサリーとかをさりげなくアイコンにすればよくないか?」


『アクセサリー……なるほど、いわゆる匂わせという奴ね。早速今度の休みに一緒に買いに行きましょう』


「え? アマゾンで買えばよくないか?」


『……あなたは一度死んだ方がいいわね』


「す、すいません……」


 そこまでの罪なのか、買い物同行拒否罪。

 俺なんかのために、片岡の貴重な休日を使わせるのは悪いと思っただけなんだが。

 それに、恋人のフリをするのは校内だけで十分だろうに。

 相変わらず、地雷がよく分からない奴だ。


「じゃ、じゃあ週末に街まで出向くってことで……」


『分かればいいのよ。もう遅いから寝るわ。おやすみなさい』


 そう言うと、片岡は一方的に通話を打ち切ってしまった。

 俺はユーチューブに戻ったスマホの画面を見つめながら、ぼそりとつぶやいた。


「……買い物に行く服がない」


 せめて、並んで歩いても片岡が恥をかかない程度には、身だしなみを整えておかねば。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る