幽霊の女と、人間の男

 あれから数日後、俺はいつもの墓地に訪れていた。

 いつもと違うのは、訪れたのが夜ではないことと、手土産をひとつ持参したことだろうか。


「お前が気に入るといいな」


 手土産である花束を墓前に置き、腰を落として手を合わせ、目を閉じて彼女のことを思う。瞼の裏には、この三ヶ月の思い出がこびりついている。


 目を開けると、『千堂家』と書かれた墓石が眼前に飛び込んできた。

 千堂椿、俺のファーストキスの相手であり、この世に未練を残した幽霊。そんな最愛の女性がここには眠っている。


「色々と大変な経験をしたんだなあ、息子よ」


 この三ヶ月、墓地には訪れていなかった。長い間会いに行けていなかった後ろめたさもあって、久しぶりに会う父にはこの数ヶ月で起きた事を話さざるを得なかった。


 まだファーストキスをしていなかったことが未練で成仏できない、変な幽霊に会ったこと。俺がその幽霊に一目惚れをしたこと。俺たちはキスをして、彼女は成仏したこと。


「それにつけても、面白い幽霊がいたもんだ――」


 息子の珍事が面白くてたまらないといった様子の父は、ゲラゲラと下品に笑いながら椿の墓石へと目をやった。


「――ん?」


 そして、固まった。


「なあおい、その幽霊の名前って……」

「ん?ああ、ここに眠ってるのを昨日知ったんだ。書いてあるだろ?千堂――」

「千堂、椿じゃないか?」


 今度は、俺が固まる番だった。

 何でだ、何で、父が椿の名を知っているんだ。椿の墓石と父を何度も見返した後、俺は思わず父の肩を掴んだ。


「なんで父さんが椿を――」

「いや、同級生だったんだよ。はあー、あの子そんなに長く成仏できてなかったんだなあ」


 確かに、椿が三十年近く前に亡くなったであろうことは、予想がついていた。しかしまさか、こんな近くに知人がいるだなんて、世間ってのは狭いものだ。椿はこの街で生まれて、この街で育ち、この街で死んだと言っていた。父もそうだ。同年代である以上、可能性は十分にありえる。



「いや、実は父さんね、高校の卒業式の日に千堂さんに告白したのよ。そしたら『割と顔はタイプだけど無理』って断られてなあ。まさか三十年越しに息子が無念を果たしてくれるとは、父さん嬉しいぞ。親子って好みが似るんだなあ」



 俺は再び、固まった。


「いや……、ちょっと、ちょっと待て。椿は、卒業式に告白して振られたって言ってたぞ」

「え?違うよ、父さんだよ告白したの。忘れてるか、それとも亡くなる時に強く頭でも打ったんじゃない?あはは」


 その時に俺の頭をよぎったのは、『アスファルトに熱いキスをしちまったぜ、HAHAHA!』という彼女の小粋なジョークだった。


 相変わらず椿は椿というか。

 俺は驚きを通り越して呆れ果て、思わず声をあげて笑いこげてしまった。何が起きたのか理解できていない父は、ポカンと俺を見つめている。


「なんだよ、ほんと馬鹿かよ、あいつ、あはは」


 もし、頭を打って記憶が混乱していたという仮説が正しかったならば、『キスが未練』というのも怪しくなってくる。

 そうなると、いよいよ俺は今まで何をしてきたのか、わからない。


「まったく、弁明があるならしてくれよ。椿――」




「いやあね、ほんと私もビックリ、ぜんっぜん私の記憶と違うんだもん!おかしいなー。でも彼氏とかキスとか色々考えてたら、いつの間にか宙を舞ってたのは本当だよ?チュウのことを考えてたら、宙に舞ってたってね!あははは!」




 相変わらずくだらねえな――思わずそう返事をしてしまいそうになった。


 あまりにも自然すぎて、あまりにも突然すぎて、一瞬何が起きたか理解することができなかった。あの時以来だろうか。時が止まったような、けれども自分の心臓の音だけはうるさい、あの感覚。


 俺はゆっくりと、声のしたほうを振り向いた。



「えへへ。ヘイ洋介!プリーズキッスミー!」



 まったくもう、なんというか。

 俺のファーストキス、返してくれよ。

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幽霊彼女とラストファーストキス 稀山 美波 @mareyama0730

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