35 仲間たち


 

 「がはっ!!」


 ビルの壁に華奢な体が叩きつけられ、痛みから声をあげてしまう。

 口を切ったのか、じわりと広がる鉄の味。

 あやめは、村雨を持つ右手で肩を押さえながら、ザザシティビルの壁面をこすりながら、立ち上がった。


 藤井が用意した肉人形を見上げて。


 彼が用意した“ジョン・スミス”は、今や2メートルを超える、二足歩行の醜い獣に姿を変えていた。

 筋肉をむき出しにした人間の頭部を守るように、両肩から生えている犬の頭。

 肉がつき肥大した両足と、犬の肋骨が組み合わさり、ショベルカーの先端のような鉤爪となった両腕。


 それは最早、ゾンビゲームのラスボスを、三次元世界に引っ張り出してきたような姿であった。


 遠吠えとも、悲鳴とも分からない雄たけびを上げて、狼狽するあやめを威嚇していた。

 戦い始めて5分。

 相手は人間と同じ思考力で、あやめの行動の次を読みながら動いていた。

 その上彼女も、藤井の言葉によるフラッシュバックで、精神的に不安定に。


 「うらああああっ!」


 獣の眼をしたあやめ。

 叫び睨みながら、満身創痍で村雨を振り上げ突っ込む――が!


 「うっ!」


 今度は蹴りが飛んできた。

 ずっしりとした足が、あやめの腹に食い込み、弾き飛ばされる。

 ザザシティ一階に入るブティック。

 ショーウィンドウを突き破って。


 《ハハハ、どうしたあやめ。

  その程度かよ……さっきまでの威勢は、どこに行ったぁ! ええ?》


 楽しさも混じった怒号が、通りを貫き、あやめを更に苦しめる。


 《おいおい、へばるなよ。

  どうせお前、蹴られても子宮ないから平気だろ?

  おっと、口が滑ったぜ、へへへ!》

 「ふぅーじぃーいいいいいいいいいいいいいいっ!!」


 怒りで完全に我を忘れたあやめと、それに呼応して刃先から血を滴り落とす村雨。

 再び、叫びながら突進していくも、肉人形に弾き飛ばされ街路樹に。

 既に体中生傷だらけ、服も心もボロボロだった。

 呼吸も、ヒューヒューと乱れ、苦しそうに胸を握る。


 あやめはもう、戦える状態じゃない。

 抵抗するために、村雨を振り上げることもできない。

 

 ここまでか!


 肉人形が、その鉤爪を振り上げた時だった――!


 「撃ちまくれーっ!」


 内山の叫び声が聞こえたかと思うと、けたたましい銃声が響き渡った。

 静岡県警の警察官たちが、破壊されたパトカーを盾に、肉人形向けて一斉射撃を開始したのだ!

 肉人形は、背中に撃ち込まれる弾丸の感触に振り返った。


 直後、あやめの手を引っ張る、痛みと驚き。

 涙をためた雪凪が、あやめの元へと駆け寄った。

 肉人形から離れた場所に停車していた、路線バスの陰へと妹を連れ込んだ。


 「あやめ!」

 「おねえ…ちゃん……」


 疲労困憊で、意識を失いかけていたあやめ。

 着ていたスーツを、その小さな体に羽織らせると、ギュッと抱き寄せた。


 「ごめんね、あやめ。

  お姉ちゃん……あの時も、今も、妹を守ってあげられなかった。

  大事な体を、こんなに傷だらけにさせちゃって……私……。

  すぐ傍に行けなくて、ごめんね」


 首筋に流れる姉の涙。

 懺悔の言葉。

 その温かみだけで、嬉しかった。

 あやめは雪凪を、そっと抱きしめ返す。


 「ううん。 そんなことない。

  こうなったのも、私の責任だから。

  雪姉は、なにも悪くないよ」

 「あやめ……」


 その腕を互いに緩めると、濡れた瞳で見つめ合う。

 濃く冷たい、そして優しい血で繋がった姉妹。

 何も言わなくても、全てわかる。


 「みんなを避難、させてたんでしょ?

  それくらい、分かってるから……。

  雪姉は、正義の警察官だもん。

  私の前で盾になる姿より、皆を守るために剣になる姿の方が、私大好きだから。

  もし、すぐに駆け寄ってきたら、私怒ってたよ」

 「そうだよね……うん、私は正義の警察官。 そうだったわね」


 涙を腕で拭い、そのことを自分に言い聞かせて、雪凪は落ち着く。

 愛する妹の、柔らかい笑顔と一緒に。


 だが、事態が好転する気配は全く見えない。

 バケモノは、警官からの射撃をものともせず、鉤爪でバリケードもろども、警官を次々にはねのけていく。

 吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた警官たちは皆、複雑骨折か、脳震盪で失神してしまっている。


 「なんてこと……」

 「やっぱり、ニューナンブやサクラじゃあ、あの怪物は足止めできないってことね。

  体長およそ2メートル、両腕に鉤爪を持ったクリーチャー。

  私たちトクハンでも、こんな怪物、相手にしたことない……」


 倒れる警官たちを傍観しながら咆哮をあげる肉人形に、屈強な警察官たちも膝と腕を震わせて、一歩ずつ後ずさり。

 更に威嚇のつもりか、大きな鉤爪を一振り。

 空気が揺れたと思った次の瞬間、信号機が真っ二つに切り裂かれて、警官たちの頭上に落ちてきたではないか!


 ガシャン!

 勢いよくパトカーを押しつぶした信号機の根本は、研磨したかのように綺麗に切られていた。

 人間がこうなれば、ひとたまりもあるまい。

 警官たちの恐怖は極限!

 悲鳴を上げて、その場から無我夢中で走り逃げていく。


 「一都市の警察力をもってしても、奴を止められないなんて」

 前線で銃を撃ちまくっていた内山も、弾切れを起こして反撃できず苦渋を飲まされる。

 目の前で倒れた仲間たちの介抱をする以外、何もできないのだ。

 

 止める術もなく、肉人形はゆっくりと交差点を離れ、歩道のガードを破壊し、有楽街の方向へ足を進めていく。

 浜松随一の歓楽街。

 居酒屋やクラブ、カラオケボックスが軒を連ねる中を、巨体はゆっくりと歩いていく。

 しかも、目と鼻の先に広がる田町地区は、歓楽街と住宅密集地の入り混じるエリアで、まだ避難が完了していないのだ!


 「まずいわね。 このままじゃ……」

 「分かってるよ、雪姉!

  でも、無理なのよ……私にはもう、倒せる自信がない…」

 「どういうこと?」


 互いに混乱する中で、あやめは呼吸を整えた。


 「今やっと、冷静になれたから分かったのよ。

  アイツ、私が刀を振るう度に学習しているわ。

  私の間の詰め方、刀を振りかざすスピード、息遣いに至るまで全てをね。

  人間の脳を積んだ肉人形は、最も危ないっての、こういうことだったのよ!

  蛇がイブに知恵を授けたが如く、奴は単なる人形を、本物の人間に変えようとしている!」

 「じゃあ、どうするればいいのよ!」


 その時だ!!


 キキキキキ!!


 有楽街の中を、一台のパトカーが走ってきた。

 真正面から、肉人形と対峙するように。

 

 急停車したパトカーの助手席ドアが開き、出てきたのは――


 「アレは!?」


 カーブを描きながら空中を走る弾痕。

 それが肉人形の肩を貫くと、車内から、それを打ち出した張本人が出てくる。

 リオ・フォガート。

 ウィンチェスター銃の姿をした、魔弾の宝具アトリビュート、ガーディアン。

 手にした宝具をスピンコック― メリケンサック状の大きな装填レバーを、手を入れたまま一回転させると、今度はしっかりと肉人形に銃口を向ける。


 「なぁんだ、随分と楽しそうなことになってるじゃない?

  おいバケモノ。 静かにしねぇと、その頭、オートミールにするからな。

  ……って、話通じないかぁ」


 などとおどけている間に、運転席からはメイコが。

 彼女の獲物は、小型オートマチック拳銃 KAHR PM9だが、あやめには心強く見えていた。


 「あやめ、大丈夫? 無事?」

 「みんな……どうして……」


 動揺するあやめに、リオは微笑みながら、これまた冗談を飛ばして見せる。


 「悪いな、アヤ。 タクシーがつかまらなくてさ。

  サイレン鳴るし、速そうだしってので、頂戴してきたのさ」


 彼女の言葉に、安堵するもすぐさま険しい表情に。


 「エリスは?」


 リオが顎をクイっと向けた先。

 見上げると―― ザザシティの屋上。

 煌々と照らし出す満月を背に、漆黒の影が立ち構えていた。


 「よくもアヤをいたぶってくれたわね」

 「誰だ、お前は」


 オーロラビジョンからの声に、人影は失笑する。


 「フジイとか言ったわね。

  お前は、名前も顔も分からない奴を、とりあえず殺そうとしたのか?

  アヤの傍にいるから、多分アイツの仲間だろうって感覚で。

  だとしたら、とんだピエロだな」

 「だれが、ピエロだと?」


 反論する藤井だったが、それに対して挑発の口笛。

 

 「おっと悪かったわね。

  今のは、ピエロに失礼だった。

  例えペニーワイズでも、もっとマシな殺し方するじゃない?

  それに比べて、アンタは車の中に隠れているだけで、何にも手を汚してない。

  声だって、そこのテレビから流してるだけ。

  笑えなければ、面白みも何もない」


 そして、とどめに――


 「お前は、ピエロ以下の道化だ。 ミスター・フジイ。

  排水溝から顔を出すこともできない、ただのチキンさ。

  日本一の魔術師だか何だか知らないけど、口先だけじゃあねぇ……」


 一瞬流れる沈黙。

 次に藤井の放った言葉には、ドスが効いていたのは言うまでもない。


 「テメエは誰だ」


 また同じ質問。

 短絡的な思考回路しかないのだろうか。

 だが、相手はしたり顔だ。


 お答えしましょう、と言わんばかりに。


 背後の満月は、いつの間にか、首にぶら下がる十字架と同じように、真っ赤に染め上げられていた。

 ワインの如く、透き通るガーネット・ムーン。

 吹き抜ける夏の生暖かい風に、髪を弄ばれても、恐怖など一切ない。


 私は、アヤのために、ここにいる!!


 彼女はその名を、遠い異国、浜松の街に向けて高らかに刻み込んだ。


 「私はエリス・ヨハネ・コルネッタ。

  ノクターン探偵社……いいえ、姉ヶ崎あやめの親友だあっ!」

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クロス・ノクターン ~Me against THE WORLD~ /CASE2.浜松 Nowhere RAIL 卯月響介 @JUNA

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