『春雨物語』上田秋成

「樊噌{はんかい}」

 上田秋成『春雨物語』の「樊噌」が、草土 力『古文入門 読解と演習23』Z会出版、に収録されている。

 その P. 48、設問1の答えについて、補足をメモする。まずは、引用から。


--- 引用、始まり ---


本体 P. 46。

4『春雨物語』上田秋成

はんくわい


 昔、ほうの国(鳥取県)に「大蔵」というならず者がいた。仲間の肝だめしに、禁制とされていただい大権現だいごんげんの御山へ一人で登ったところ、神の怒りにふれて隠岐おきの島まで投げ飛ばされた。「大蔵」は島人に助けられ、やっとのことで逃げ帰った。


 (大蔵は)この後は心改まりて、兄がしりに立ちて木り柴になひ帰りて親の心をとるほどに、大力だいりきなれば兄とは刈りまさり銭さはに換ふるを、母と嫁とは褒めごとして喜ぶ。年も暮れぬ。いつの年よりは、大蔵がかせぎするに銭三十貫文を積みて、「の年良し」と父も兄も快くいふに、母と嫁とは「まことに」とて大蔵にぬのひとへ新しく調てうじて着す。


別冊解答 P. 5。

〔現代語訳〕

 (大蔵は)この後には改心して、兄のあとについていって木を切り、柴をかついで帰って、親のきげんをとるうちに、力持ちなので兄よりもたくさん柴を刈り、銭をたくさん稼いだので、母親と兄嫁とは大蔵をほめて喜んだ。年も暮れた。いつもの年よりは大蔵が稼いだおかげで銭三十貫文をたくわえて、「今年はよい年だ」と父も兄も機嫌よくいうので、母と兄嫁とは「ほんとうに」といって大蔵に綿入れ着物一枚を新しくととのえて着せる。


本体 P. 48。

〔設問と答え〕

1、母と兄嫁が大蔵にぬのを作ってやったのはなぜですか。(第一段落)

 大蔵は改心して、兄の後について山仕事に精を出す。大力なので兄よりかせぎがよく、一家に三十貫文のたくわえができて、みんなでいい年だったと喜びあった。そこで大蔵の働きをたたえてぬのを作ってやった。


--- 引用、終わり ---

草土 力『古文入門 読解と演習23』Z会出版、ルビなどの整形引用者。


・もう少しまとめた解答例は次のとおり。

ぬのに託して、よく働いたと大蔵を褒めたかったから。


・時代を問わず、普遍化して答えるなら、次のとおり。

物に託して(プレゼントして)、感謝や賞賛の気持ちを表したかったから。


 というわけで、この設問における人間の振る舞いは、時代を問わず典型的であろう。ゆえに、この読解は、暗記に類すると思う。



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2020/02/22

令和二年二月二十二日(土)

大野城みずき

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古典読解の備忘録 大野城みずき @oonojou_mizuki

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