夢結び
最終話
不思議と、心は落ち着いていた。
一つの可能性として覚悟していたからというわけではないと思う。単純に喪失感がなかっただけだった。
理歩からのメールがいまにも来るような気がして。
電話をかければいつもの声で名前を呼んでくれるような気がして。
けれどふとした時に、ああ、もう理歩はいないんだとふと思い出すのだ。読書に夢中になってカラッポになったコーヒーカップを見たときみたいに。
そんな話を千景にすると、私もだと同意してくれた。もっとも、あいつの例えはいつの間になくなったお菓子の袋だったけれど。
夢が終わった日から数日後。
理歩の葬儀はつつがなく行われた。通夜と告別式には多くの人が訪れていて、その半分は理歩の同級生であろう生徒たちだった。人がどう生きたかは、どれだけの人が泣いてくれるかを見ればわかるというが、その日の涙は理歩がどんな人生を歩んでいたかがわかる数だった。
根暗で友達がいないなんて理歩は言っていたけれど、自己評価が低すぎるだろうと思う。それも理歩らしいといえば理歩らしいのだが。
「こんなところにいた」
告別式を終えた正午過ぎ。葬儀場の非常階段の踊り場で空を見つめていた柊介の背後から声がかかった。振り返らずとも聞こえていた足音で千景だろうなとは思っていた。
「もうすぐ火葬場行くって。納骨までいるでしょ」
「おばさん、許してくれたのか?」
嫌われている、というほどではないと思うけれどあの人はきっと自分と千景を好いてはいないと柊介は思っていた。基本は親族で行う納骨まで同行するのはちょっと迷うところだった。
「お願いしたけど、何も言わなかった。ついていくぐらい構わないでしょ」
遠慮などまるでない口調で千景が言った。周りを気にしないというか、我が道を行くというか、こいつの心臓にはちょっと引きつつ羨ましくも感じている。
今日までの人生で悩んだ数は、柊介よりも半分以上は少ないだろうなと思った。
「……なんだか、あっという間だな」
「そうだね」
そう言って、階段に千景は腰を下ろした。千景の頭には理歩がつけていたリボン型の髪留めがつけられていた。確かさっきまではなかったはずだけれど。
祥介の視線に気が付いたのか、千景は首を振って髪留めを見せつけてくる。
「りーちゃんのよ。似合う?」
「いや、全然」
千景にリボンはまるで似合わない。
はっきり言ってしまったと気付いたときには千景は世界に響くくらい盛大に舌打ちしてみせた。気遣いがなさ過ぎたかと思ったが、今さらそんなことを気にする間柄ではないだろう。
「お前、勝手に持ってきたんじゃないだろうな」
「私をなんだと思ってるのよ、失礼ね。りーちゃんがね、手術の前に私に渡してくれって言ったんだって。おばさんからもらった」
「……それはどういう意味だったんだろうな」
柊介の心情を察したのか千景が苦笑する。
「悲観的なことじゃないでしょ。私が可愛い可愛いって言ってたからじゃない? りーちゃんがつけるから可愛いのにね」
最初から諦めていた、いうわけではないということか。
希望を持ってもらうために、柊介は理歩に夢を見せた。けれど結果だけ見れば、理歩は遠くへ行ってしまったのだ。こんなことを思うのは、理歩が望んでいることではないということはわかっている。それでも簡単に割り切れることではなかった。
「救われてたよ」
千景のその一言に、思考の渦に呑まれていた柊介の意識が視界へと戻った。千景に顔を向けると、彼女は呆れたようにため息をついて見せる。
「りーちゃん、最後に言ってたでしょ。救われたって。聞こえてなかったとは言わせないわよ」
「ああ、そうだったな」
最後の最後まで、理歩は人のことばっかりだった。柊介は笑みを零しながら空を見つめる。雲一つない冬の空は澄んでいて、どこか理歩に似ていると思った。
「……そういえば理歩、最後に何か言いかけたような気がしたんだけど、気付いたか?」
ありがとう、ともう一つ。
訪ねると、千景は「あー、あれね」とため息交じりの笑みを零した。
「本当にりーちゃんらしいよね。私に気なんて遣わなくていいのにさ。まぁあんたのためでもあったんだろうけど」
「どういう意味だ?」
「さてね。男にはわからなくていいことよ」
教えてくれる気がないのか、千景は立ち上がり階段を降りていった。
女同士の何か、か。
踏み込みたくなる衝動を柊介は抑える。こういうことは昔からあったことだった。理歩が言わなかったのならば、自分は知らなくていいことなのだろう。千景に伝わっているならばそれでいいと思った。
千景の後に続いて階段を降りていると、振り向かないままで千景が言った。
「これから、命日はお墓参りいこうね。誕生日と合わせて。りーちゃんも帰ってくるよ」
「誕生日? お盆じゃなくて?」
「命日と誕生日は一対よ。むしろ、亡くなった人が夏に一斉に帰ってくるほうが違和感あるわ」
自信満々に言い放つが千景の言葉は、意外と的を得ているので困る。
確かに逝ってしまった人を想うのは、その人の命の始まりと終わりの日の方が適しているように思えた。帰省ラッシュは夏の風物詩の一つだが、もしかしたら、あちら側の人たちも同じラッシュに見舞われているのかもしれない。
理歩の誕生日は十一月二十九日。今日が二十七日だからもしかしたら理歩は早くもこちらへ帰ってくる準備をしているかもしれなかった。同じことを思ったのだろう。千景は首だけこちらを振り向いて笑って見せた。柊介も自然と笑い返した。
「ところでさぁ、柊介。頼みがあるんだけどぉ」
さっきまでとは打って変わって、千景の声が急に甘えたような口調になる。階段を降りきると、柊介は何も答えずに千景を早足で抜き去った。
「ちょっと、逃げるな」
あっという間に柊介の隣に千景が並ぶ。
「嫌だよ」
「まだ何も言ってないでしょ」
「どうな夢をご所望ですか」
「なんだ、わかってるじゃん」
「うん。だから嫌だ。あれ使ってる間は俺寝れないし」
「別に夜じゃなくていいでしょ。なんなら授業中とかでいいよ、あんたは授業をサボって私が寝る」
「いや、意味がわからない。俺損してるじゃん」
「授業サボれるでしょ」
「受験生なのわかってますか、千景さん」
「いいでしょ、あんた頭良いんだから。使ってよ、ドリオペ」
千景は腕を掴んでこれでもかというくらいユッサユサしてくる。無視を決め込んでいた柊介だったが、初めて聞く単語を耳にして足を止めた。
「ドリオペ?」
「名前よ。能力とかあの力とか、いまいちパッとしないでしょ。なので私が命名しました。ドリームオペレーション。カッコイイでしょ」
「…………」
どうやら、本気で言っているようである。
今どき小学生でもそんなネーミングは選ばないのではないか。ダサすぎて一笑に付することも出来なかった。
感情がそのまま顔に出てしまっていたのか、千景は柊介の顔を見て怒りと羞恥心を混ぜ合わせた語調で言った。
「な、なによっ。じゃあ何か案あるわけ?」
「いや、いいんじゃんそれで。俺は絶対使わないけど」
再び柊介は歩き出す。千景は何よ何よと自分で考えたくせに恥ずかしがってポカポカと背中を殴ってきた。
ネーミングなんて考えた本人は恥ずかしいものだ。そんなので自信満々に喜べるのは才能豊かなやつかキチガイな中二病だけだろう。
だから柊介は千景にいうつもりはなかった。
名前はある。ずっと嫌いだったこの力に、初めてこれがいいと自分でつけたものだ。理歩が言ってくれたんだ。この力は夢と現実をつなぐ力だと。
ーー夢結び。
心の中で名付けた名前を呟いて柊介は笑った。
やっぱり恥ずかしいな、これは。
「あ、笑ったでしょっ! 人がせっかく考えたのに」
千景の見当違いの怒りが背後から聞こえてきた。柊介は笑いながら、逃げるように走り出した。
「違うよ、いい名前じゃねぇか」
フォローのつもりだったが逆効果だったようだ。甲高い声がさらに大きくなった。
理歩は誕生日に帰ってくるだろうか。
もし本当に帰ってきてくれるなら、この名前をどう思うか、聞いてみるのもいいかもしれない。
冷たいそよ風が柊介たちのそばを通り抜ける。
もう冬は、そこまでやってきていた。
十一月の夢結び 名月 遙 @tsukiharu
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