第18話

 沈んでいく夕日が、浮遊する大きな雲が、踊るように飛んでいた小鳥が、ヒラヒラと落ちる枯れ葉が、遠くで走っていた子ども達が、みんなが止まる。そして、私が止まった。

 身体が動かない。でも不思議と恐怖はなかった。私を置いて一歩、二歩と先を歩いて行ってしまう二人の背中が見えたから。


 三人一緒に、いつまでも。

 自分の声で、そんな言葉が聞こえた気がした。すり減るくらい願った言葉。


 あぁ、思い出した。この世界はーー。


「りーちゃん、どうしたの?」


 私が立ち止まったことに気付き、ちーちゃんが振り返る。


「理歩?」


 柊ちゃんも同じようにこっちを見て首を傾げていた。

 世界は止まったままで、動いているのは二人だけだった。

 ちーちゃんは不思議そうな顔を向けたあとすぐに笑顔で手を差し出した。そしてその唇が動く。昔からずっと私が好きだった言葉を、言ってくれた。


「りーちゃん、一緒に帰ろ」


「帰るぞ、理歩」と柊ちゃんも続けた。


 私は、十分に時間を取る。

 この大切な時間を、幸せを噛み締めるように、胸にしまい込んで。そして、首を横に振った。

 

 もう私は、一緒に帰れない。


「私は、そっちに行けないんだ」


 二人はどうしてと表情で問いかけてくる。私は笑ってみせる。思っていた以上に自然に笑えた気がした。


「ちーちゃん……私ね、ちーちゃんに憧れてた。元気いっぱいで友達たくさんいて、頼られて、こんな女の子になりたいってずっと思ってた。本当は、私は一つ上のお姉さんなのにね、ごめんね頼りない私で。いっぱいありがとう」


 私は続ける。目の前の親友に向かって。この世界を見ている親友に向けて。


「柊ちゃん。いつも私を頼りにしてくれる柊ちゃんがいてくれたから、根暗でクラスじゃ友達もいない私は自分のこと嫌いじゃなくなったの。ほんの、ほんの少しだけ自分を好きにもなれたんだ。ありがとう。本当に……本当に」


 大好きだった。


 あなたが大好きだった。


 これはきっと、恋なのだと思う。私にとって最初で最後の恋だ。


 でも、これだけは言わない。これをここで言ってしまうのは反則だ。私にはない彼の未来を縛り付けてしまうから。これは私の親友に任せなければいけないことだから。

 

 不安に駆り立てられたように二人が何かを言う。もう二人の声は聞こえなかった。すると私は身体が宙に浮いた感覚に襲われた。

 視界が急速に流れ、まるで空に落ちるような錯覚を覚えた。世界が縮むように壊れていく。色はごちゃ混ぜになって乱暴に絵の具で描いたキャンパスみたい見えた。

 

 心に闇が入ってくる。そうか、やっぱり駄目だったんだね。

 

 不思議と悲しくなかった。最後に幸せな夢を見れたから。

 立ち止まったままだった彼を立ち直らせることが出来たから。

 やるべきことは、出来たから。

 

 ねぇ、柊ちゃん。ちゃんと聞いてね。

 

 もう声の出し方もわからなくなっちゃったけど、これだけは伝えないと、君はきっと、また歩くのをやめちゃうだろうから。

 



 私ね、私はーー。


 



 

 時計の針が小刻みに進み、柊介の部屋に響いていた。

 

 夢が終わった。

 そして柊介の手から球体が消える。柊介も千景もただただ泣いていた。涙を拭いもせず、嗚咽を漏らすことも憚らず。

 

 夢の終わりが何を意味していたのかは、言うまでもなかった。

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