第2話 別れ
いつものように、神有(かなり)は会社に行くために駅に向かっていた。
途中柴犬を連れた近所の人とすれ違うと、一度も吠えられたことのない、犬が神有にむかって吠え掛かってきた。飼い主の女性が、「どうしたの。ごめんなさい。」と、リードを自分のほうに引き寄せて、犬をなだめていた。
会社に着いてまもなく、父から電話がかかってきた。
「伊勢さん、お父さんから電話だよ。」
「ありがとうございます。」
職場の人から受話器を受け取り耳にあてると、
「もしもし、」
父が声を震わせながら、
「かあさんが、様子がおかしくて、救急車よんだよ。」
「えっ。」
「亡くなったんだ。」
「・・・・・。今から帰ります。」
「病院にきているから、そっちに来てくれるか。」
「はい。」
受話器を置くと、
「母が亡くなったと連絡がありまして、本日はこのまま退社させていただいていいでしょうか。」
「あっ、いいよ。気をつけて帰ってね。」
帰りの電車の中で通勤途中で犬に吠えられたのは、このことを知らせるためだったのかと考えた。犬には、我々には見えない何かを感じるのではないだろうか。
家の最寄駅まで着くと、病院まで歩いていった。救急専用の出入り口まで行くと、救急車が止まっていた。
ちょうど、父が主治医に挨拶をしているところだった。
神有は、主治医に向かって会釈をして、父のほうへ歩み寄った。
その日は何度目かの母の入院日だった。
「病院にいこうと、母さんを起こそうと思ったら、意識がなかったんだ。それで。。。救急車を。」
「。。。。」神有は、父の背中に手を置いて擦るようにてのひらをまわした。
「このまま、救急車で家までおくってくれるそうだ。」
「お手数かけます。」救急隊員の方たちにお礼を言って、父と母と神有は家に戻った。
家に着くと、すでに近所の方が母を横にするための布団と線香台を用意していてくれた。
救急隊の方が母を布団に寝かせてくれた。
父は、近所の人に呼ばれ、会館を葬儀で借りるための手続きで家を離れた。
「白いハンカチはあるかしら。お顔を覆ってあげないと。」
「はい。」
まだ使っていないハンカチを母の顔に伏せた。
ご近所の方は、いったん帰っていった。
戻ってから一時間もしないとき、隣の駅近くに住む従兄が駆けつけてくれた。
「残念だったね。今日入院するって言ってたよね。」
「入院したくなかったんじゃないかな。もう戻ってこないってわかってたんじゃないかな。」
「なんで。」
「年末年始の支払いの振込みを昨日、わたしにどうしても昨日中にやってくれって頼んで、
全部終わったよ。って言ったら、これで安心。って言っていたもの。」
「そうだな。」
「顔見る?」
「うん。」
神有は、母の顔を覆っていたハンカチをはずした。すると、
母が眠るように微笑んでいたのだ。
整理ダンスの小さい引き出しを開け、中を探した。
「。。。。」
「笑ってるね。」と従兄が言った。
「そうね。」と神有が返した。
しばらく、二人で母の顔を眺めていた。
その表情は母が死んだのが実は真夜中で、ちょうど神有たちが見たのが、いったん筋肉が緩んでいる頃だったのだ。
「そんなわけないよね。」と従兄が改めて言った。
「そうね。」再び神有は返した。
ハンカチをそっと母の顔に戻してやった。
本当にあったちょっと怖い話 @masamisorimachi
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