人間が名前を付ける
おらは独りで飛んでいる。
何回目の夕日だろう。
冷たい風に当たった体を温めてくれる。
時には雲の隙間から一筋の光線となって。
時には雨雲の中からほんのりと灯ることもある。
ふとね、思ったことがあるんだ。
夕日が人間なのではないかってね。
でも、夕日は、体を温めるだけで、おらを呼んではくれない。
おらが話しかけても返ってくることは一度もなかった。
だから人間じゃないってわかるんだ。
その時は、この自慢の翼を大きく広げて、風に乗る。
風に乗っている時だけは、何も聞こえなくなる。
おらを忘れることができる。
おらが消えているようで。
決して悲しいわけじゃない。
辛いわけじゃない。
何もないわけじゃない。
どんなに速く飛んで風を切っても、飛んでいるカモメの群れを追い抜いて、おらの大きな翼を自慢しても、通り過ぎる冷ややかな風は、おらを震えさせた。
おらの体温と一緒に、ぽっかりと、何もかも出て行ってしまいそうで、息を凝らす。
きっと、あの地平線に沈む夕日の先に行けば、おらを呼ぶ声が聞こえるんだ。
気が付けば、休むことも許さずに飛び続けていた。
どんなに急いでも、夕日はいつも先に行ってしまう。
「待って!」と叫びたいけど、叫んでしまうと、もう夕日に会えなくなるのではと怖くなる。
だから、ぐっと我慢する。
夜になれば、満天の星空が、空でキラキラとおらを励ましてくれる。
星たちは異なる色や輝きを放ち、一つとして同じ星は居なかった。
星たちが見守ってくれるから、夜も飛び続けられる。
いつの日だったか、星空に話しかけてみたことがある。
おらを励ましてくれるばかりで、返ってはこなかった。
おらは、満天の星空に向けて急上昇する。
ぐんぐんと上空に行くも、星たちはどんどん逃げていく。
どんなに進んでも星空には行けなかった。
夜明けになると、地上が色鮮やかになる。
動物たちやお花たちが朝を喜んで会話をしている。
お花たちが風で揺れれば、地上が混ざり合って、違う色を映しだす。
動物たちが踏み歩いた場所もまた色が変わる。
動物たち、お花たちが地上に色を塗っている。
居なくなったら、地上は何色になるのだろう。
皆はとてもキラキラしている。
おらはどんな色だろうか。
「朝日さん、おらはどんな色ですか?」
朝日は、おらの背を照らすばかりで、答えてはくれなかった。
故郷からずいぶんと遠くまで飛んできた。
林を抜け、広野を越え、今は荒廃した灰色の地上が広がっていた。
倒壊し、朽ちた建物が一面に広がり、まるで灰色の海のようだった。
そこには、お花たちも動物たちも居ない。
どこを見ても、色なんてなかった。
おらの自慢の翼も綻び、羽が抜け始めていた。
抜けていく羽が、夕日の陽光によって煌めきながら粉雪のように降りゆく。
それでも、翼を休めることはできなかった。
生きている意味さえも奪われそうで。
夕日が地平線に近づくにつれ、その陽光も鋭さを増し、眩い光線となって、おらの体を照らす。
飛び続けてきた翼は力を失いはじめ、思うように動かない。
風も上手く掴めない。
だんだんと高度が下がっていく。
虚ろになった瞬間、おらの体は灰色の地上に叩きつけられた。
もう、翼を折り畳むことさえもできない。
上体を起こそうとしても力が入らない。
ギシギシと重い顔を上げると、そこには大きな影がいた。
それはそれは大きな影で、それが、すぐに人間だとわかった。
やっと出会えた人間に言葉をかけようにも、安堵の涙が邪魔をする。
人間は、頭から手先、足先まで、ホコリの積もった鎧を纏い、地上に突き刺した大楯に腰を掛けていた。
右手には鏡のように磨かれた石を握り、灰色の地上を映している。
左手には大剣を握り、剣先を空に向けていた。
人間は独りでぽつんと座りながら、物言うことはなかった。
人間の背後から夕日が照らしている。
夕日を遮る人間の影が、地上の灰色の波に当たりながら、地平線まで伸びている。
涙が一つ、おらの頬を伝い、灰色の地上に色を付ける。
おらは、思うように動かない体を引きずって、人間の間近へ擦り寄った。
そして、兜に隠れた人間の顔を見上げて覗き込んだ。
人間の顔は髑髏(どくろ)だった。
鎧の中は白骨化した人間だった。
人間の背後から漏れ入る夕日の明かりが、のんびりとした光のカーテンとなって揺れ動く。
その明かりの中には、塵がキラキラと舞っていた。
塵たちは空を舞い踊り、煌めいていた。
それはもう、とても楽しそうで。
名前を呼び合うことなく、互いを認め合っている。
その優しい明かりは、おらの体を優しく撫でる。
ふと気がつけば、人間の右手に持つ鏡石に、おらの顔が映っていた。
羽は抜け、色は抜け、ぼろぼろとなった皮膚が捲れて、おらの顔は髑髏(どくろ)が露わになっていた。
おらは、その鏡石に映る、おらに呟いた。
その奇特な声は、灰色の海にすうっと消える。
「おらの名は」
おらの名は full moon @FULLMOON45
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