おらの名は

full moon

地上から聞こえる音色をいつも独りで聴いている

今日も独りだけの空を飛んでいる。


地上では、動物たちが生き生きと暮らし、日々を楽しんでいる。


ある動物が名前を呼べば、呼ばれたほうは振り向く。


子供達の喧嘩の仲裁に入る母熊も居れば、獲物を捕らえる猫も居る。


群れで行動する蟻も居れば、のんびり動く蝸牛も居る。


空を飛んでいると、名前を呼ぶ声が様々音色で聞こえてくる。


その心地よい旋律は、おらの耳を悲しませる。



つむじ風に巻かれた葉のような凄い速さで一羽の燕が飛んでくる。


その燕は、おらの横を通り過ぎ、地上へ向かう。


「嵐が降るぞー」


地上すれすれまで滑空した燕は、低空飛行しながら、地上に近い鳥たちに喚起を促している。


雲を見ると、地平線から黒い雲が押し寄せていた。


黒い雲は見る見るうちに空を覆い、地上を暗くした。


おらは急いで木影に急ぐ。


ピカリと黒い雲の中で光ると、大きな岩が転がるようなゴロゴロゴロという音が鳴り響いた。


ポタと一滴、雨の雫が滴ると、猛烈な雨が降り始めた。


やっとのことで、木影に入れたおらは、濡れた翼をバサバサと水を切る。


毛繕いをして、濡れて冷えた足を、折り畳んで、体の中にしまい込み、暖める。


足元に小さな新芽が雨に打たれて揺らめいている。


おらは、その新芽を上から翼で覆い、雨を凌ぐ。


新芽はプルンと一筋の水滴を流す。


ふと、地上から怯えに急き立てるように助けを呼ぶ声が聞こえた。


猛烈な雨の音でかき消されながらも、確かに聞こえる。


おらは真下を見下ろした。


ぐちゃぐちゃにぬかるんだ地面が見える。


至る所に水溜まりがある。


水溜まりは隣の水溜まりと一緒になりより大きな円を作る。


大きくなった水溜まりは小枝や木の実を激しく流す。


その小川に流される小枝を見送っていると、その先に一羽の雛が見えた。


水を被りながらも必死に這い出そうともがいている雛を小川は容赦なく流していた。


しかし、一度乗ってしまった流れからは出られない。


雛は岩にぶつかり、一緒に流れる葉に巻かれ、体を黒ずみながらも脱したい一心だった。


その雛の頭上をびしょ濡れになりながらも旋回する、雀の母。


雛は徐々にもがく力も無くなり、流れに身をゆだねていく。


雀の母は何度も何度も誰かの助けを呼んでいる。


確かに雀の力では雛を掴んで持ち上げようとした瞬間に、雀の母も小川に飲み込まれてしまう。


このおらの翼なら助けられる。


おらなら助けられる。


でも、怖かった。


今、おらが助けなければ、あの雛は死んでしまう。


でも、おらが助けていいのか。


おらは、そっと目を閉じた。


土砂降りの雨音が一瞬消える。


そして、目を開けた。


おらは泊まっていた木を勢いよく蹴って、滑空する。


全速力で滑空しても、激しく打ち付ける雨を切る事ができない。


雨を吸収して、翼がどんどん重くなる。


視界はまるで灰色の壁のように雨が降り注ぎ、おらの行く手に障害を与える。


不意に片目に雨が入り、視界を更に遮る。


雀の母の助けを呼ぶ声を頼りに滑空する。


「! 見えた」


おらの視界に、雛がはっきりと見えた。


この小川の打ち付ける激流だと、更に速度を上げないと、おらまで飲み込まれてしまう。


しかし、翼が重くて思うように速度を上げられない。


「そうか、重さを利用すれば、上手くいくかもしれない」


おらは翼を畳んで、一粒の雨になったかのように、垂直に落ちていく。


ぐんぐん速度が上がる。


ここまでの速度を出したことはなかった。


でも、おらは恐怖よりも喜びのほうが強かった。


おらの役目がわかったようで嬉しかった。


雛が溺れていることを感謝している内心もいるのかもしれない。


水面ギリギリになり、一気に翼を開いて滑空するも、雨を含んだ翼は思うように開かない。


シュン! と叫ぶ雀の母の前を横切る。


おらは小川に突っ込んだ。


バシャンと水しぶきが上がる。


「よし、掴んだ!」


突っ込んだ勢いのままで、小川の外へと飛び出した。


重い翼が思うように動かず、小川の横に降り立った。


小川の外では、羽の先まで緊張を張り巡らして体を大きくした雀の母が、おらを鋭い眼差しで見ていた。


よたよたしながらも雛が雀の母の近くに寄っていく。


雀の母は嘴で雛を体の下に入れる。


ようやく緊張が解けたのか、雀の母の羽は丸くなり、深く頭を下げる。


「助けてくれたのですね、よかった」


雀の母の言葉を猛烈の雨がすぐにかき消す。


「いえ、無事でよかった」


おらは、濡れて冷える翼を体に畳み入れて言った。


「近くに棲み処がありますので、どうか、濡れた翼を休めてください」


おらと雀の親子は近くの木影に移動した。


雀の親子の住処には、何匹もの雛が、雀の母を待ちわびていた。


雀の母は、雛にご飯を与えて、寝かしつけている。


「最近、雨がよく降りますね」


おらは、雀の母に言う。


雀の母は、濡れた雛を足元に連れてきて、体の下で暖めながら、こちらに向いた。


「そうですね。今は梅雨という季節になったと長老が言っておりました」


雀の母は言う。


「梅雨?」


おらは初めて聞いた言葉だった。


「梅雨をご存じないのですか? 先祖代々の言い伝えで、ひと昔前、人間は、四季を作ったと言われています。この梅雨が終わると、とても暑い日が続き、人間は夏と呼んでいたそうです」


おらは、何も知らなかった。


それもそのはず。卵から孵った時、明るい視界の中には母も父も居なかった。ただ、近くに居た烏の母が我が子と一緒に育ててくれたから、こうして大きくなれた。


幼い時は本当に可愛がられた。おらも烏だと疑いもしなかった。


でも、いつの日か、烏の母は目を細めて、おらを見るようになった。


大人になるにつれて、おらの羽と嘴は烏とは異なった色に変わり、翼の大きさも母よりも大きくなっていき、烏の母も違和感でおらを遠ざけた。


おらは、毎夜毎夜、お月様に大きくなりたくないと願った。


しかし、お月様はそのお願いには答えてくれなかった。


そして、烏になれなかったおらは、空を飛べるようになった明くる日、その故郷を捨てた。


「そう言えば、あなたは、なんてお名前でお呼びしたら良いでしょうか」


雀の母がおらに尋ねる。


おらの表情を曇らせる。


故郷からずっと飛び続けて、おらとそっくりな仲間を見かけたことはなかった。


「ここら辺では見かけないお姿ですので、お名前がわからなくて。どこか遠くからお越しになられたのですか? 私は、人間から雀と呼ばれたという言い伝えが後世まで継がれています」


雀の母はそう言うと、空を見上げた。


気づけば、雨は上がり、木々の隙間から太陽が見え隠れしている。


葉から水滴がキラキラと太陽の光を浴びながら流れ、ポチョンと滴る。


「あら、雨が上がりましたね」


雀の母が振り返る時には、おらは雀の巣を飛び去っていた。


雨に濡れた翼はまだ重いが、いつものように木々を抜けて、空に出た。


太陽の光が眩しく感じる。


体も顔も濡れていて、視界がキラキラと滲む。


上空で風に乗ると、風は雫を拭った。

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